第6章
「ユウキー、準備どう?」
シズネは玄関で靴を履きながら、まだ部屋にいるユウキに声をかけた。
「ごめん、もう行く!」
ユウキは慌ててコートを羽織り、財布や携帯をポケットにしまうと、玄関に向かった。ユウキが支度を済ませると、シズネは荷物の入ったバッグを肩にかけて、先に外へ出た。
シズネとユウキは、普段なかなか二人で買い物に行くことはない。それでも、都合がつくときは二人で食材や消耗品を買いに行くようにしていた。しかし、それはあくまで近場のスーパーの話で、それ以外に足を延ばすことはなかった。
「ついに二人で買い物に行けてよかったね」
「俺がてこずらなければもう少し早めに来れたんだけどね」
最近ではユウキの料理の腕がどんどん上達しているというのに、ユウキの部屋には最低限の調理器具しかなかった。そのため、少しでもユウキの役に立つ調理器具を買い足そうという話は前からしていた。そんな中、シズネがユウキの眷属になってしまい、ユウキの言葉に従ってしまうことがわかったため、なかなか二人で外出することができなくなっていた。しかし、その後の試行錯誤により、ユウキからシズネへの命令にしか強制力はないことが判明し、ユウキも命令をコントロールできるようになった。
そして今ようやく、シズネとユウキで普段は来ることのないショッピングモールまで足を延ばすことになった。
「さて、今日は何かいい調理器具があったら買って、その他にも必要なものがあったら買おう」
シズネとユウキは並んで歩きながら、そんな他愛のない話をした。
*
目的のショッピングモールはそこまで遠い訳ではないが、徒歩で移動するにはかなり時間がかかる。そのため、シズネとユウキはバスに揺られながら目的地へと向かった。
「そういえば俺、交通機関を使うの、かなり久しぶりだな」
「え? そうなの?」
シズネは隣のユウキを見上げた。バスの席はほとんど埋まっており、ユウキはシズネに座席を譲り、シズネを守るように隣に立った。
「だって、俺そもそも乗る必要がないから」
毎日会社へ通うシズネと違い、ユウキの仕事は家でできる。そんなユウキを少し羨ましいと思ってしまった。
「そっか。でも乗らないに越したことはないよね。電車とかって人が多くて疲れるから」
「お疲れ様。それじゃあ、疲れて帰ってきたシズネが元気になれる料理を作れるように、今日は調理器具を買わないとね」
「うん、ありがとう」
ユウキからはこれ以上ないくらいたくさんのことをもらっているというのに、ユウキのことを羨ましいと考えてしまう浅ましさを恥じた。
だんだんとバスには人が乗ってきて、ユウキは目の前の椅子に座るシズネを押し潰そうになる。満員となったバスは、二人を乗せて目的のショッピングモールの最寄り駅にたどり着いた。
*
まだ年が明けたばかりということもあり、ショッピングモールは多くの人で溢れかえっていた。福袋はほとんど売れてしまっていたが、それでもたくさんの家族が買い物に訪れていた。
「うわぁ、世の中こんなに便利な道具がいろいろと揃っているんだね。俺全然知らなかったな」
ショッピングモールの台所用品のブースを前にしたユウキは、立ち並ぶバラエティ豊富な商品を見て、感嘆の声を上げた。
「最近は便利グッズとかが多いからね。とりあえず、どんなものがあるか見ようよ」
シズネも最近では便利なものがたくさんあるとは知ってはいたが、実際に目にすると何から手を付ければいいのか分からなかった。
「そうだね。見てから何を買うか考えよう」
シズネとユウキは二人で陳列棚一つ一つを回りながら、商品を手に取っていった。
*
「ふぅ。便利なものが揃っているのはいいけど、ユウキの部屋の台所に置くとなると、買えるのは限られるから、これくらいしか買えなかったね」
買い物を終えたシズネとユウキは少し休憩をするために、商品が詰まった紙袋を手にベンチに腰かけた。
「そうだね。でもこれだけ買えれば十分だよ。かなりの戦利品だ。……それにしても、随分と時代は進化したんだと実感させられたよ。俺が子供の時はこんな便利なグッズはなかったよ」
「ふふ。おじさんじゃないんだから。でもたしかに、いつの間にか技術はどんどんと進化しているよね。最近じゃ、AIとかVRとかすごい普及しているって言うもんね。それに、クローン技術も進歩しているみたいだし、この調子でいくとそのうち不老不死みたいな時代も来ちゃったりして」
シズネはモニターで報じられたニュースを横目に見た。ニュースでは、新しいクローン技術がノーベル賞を受賞したことを報じていた。
「それはさすがに漫画とかの読みすぎだよ。とは言ったものの、ありえそうだから怖いな」
ユウキもチラリとモニターを見ると、ぼんやりと呟いた。
「さてと、少し休んだことだし、俺は本を見ようかと思っているんだけど、シズネはどうする?」
「うーん、私はこれと言って買いたいものはないから、適当にものを見ているよ」
「そっか。じゃあ、三十分後にくらい正面のカフェでどう?」
ユウキはベンチの向かいにあるチェーン展開しているカフェを示した。
「うん、わかった。それじゃあ三十分後に」
*
特にめぼしいものなかったシズネは、ショッピングモールを暫く散策した後、ユウキとの集合場所であるカフェで時間を潰していた。期間限定のチョコたっぷりのコーヒーではなく、甘さ控えめの抹茶ラテを注文して、窓際の席に座る。
どこかで聞き覚えのありそうな店内の音楽を聞き入っていると、不意に声をかけられた。
「お待たせ」
いつの間にか、ユウキは入店しており、テーブルの横に立っていた。
「あ、ユウキ。欲しいものは買えた? みたいだね」
手に持つ袋が増えているユウキを見て、無事に目的の本を買えたことに気が付いた。
「悩んだけど無事に買えたよ」
「そっか、よかった。何か飲む?」
シズネは店のメニューをユウキに手渡しながら尋ねた。
「何か……」
ユウキは椅子に腰かけながら、手渡されたメニューに目を通すも、なかなか返答は返ってこなかった。ユウキはメニューに視線を向けてはいるものの、明らかに内容が全く頭に入っていないようだった。
喉を鳴らすユウキを見てまさかと思ったシズネは、少しためらいながら小声で尋ねた。
「ユウキ、もしかしてもう〝空腹〟?」
「……あぁ。実は久しぶりの人込みの匂いのせいでね。今までのペースならちゃんともっていたのに」
図星をつかれたユウキは、観念したように答えた。
「大丈夫? 帰るまで持ちそう?」
「なんとかいけるかな。でも、できれば人混みは避けたい」
ユウキの言葉は強がりにしか見えなかった。以前は〝空腹〟を長期間抑えて過ごしていたようだが、最近では〝空腹〟を抑えることはなくなっている。昔と同じくらい〝空腹〟に耐えられるとは限らない。
「店を出よう」
すぐにどうにかする必要があると考えたシズネは会計を済まし、早々にカフェを後にした。ユウキに血を飲ませるのが一番のように思えた。そのため、シズネははユウキを連れ、歩き始めた。
「ここ、車で来る人少ないみたいだから、駐車場なら……」
「ちょっと待って、本気?」
ユウキは先を歩くシズネの腕を掴んで立ち止った。
「だって、帰り道だって間違いなく人は結構多いよ。それに、帰りに耐えられなくなって、人が少ないところを探しても、そう簡単に見つからない。ここを逃したらないかもしれない」
シズネは周りに聞こえないように、声を落として主張した。
「人に見られる危険性が高すぎる。それくらいなら、俺はなんとか我慢する」
「でも、最近は定期的に飲んでたから、我慢できるか怪しいよ。それに、いつもみたいに三日分飲む必要はないよ。あくまで帰るまでにもたせるだけだから、すぐに終わらせられる」
痛いところを突かれたユウキは、言葉を詰まらせた。そして、しばらく悩んでから、覚悟を決めた表情を浮かべた。
「わかった。飲ませてもらうよ」
*
シズネの予想通り、車で来ている人はあまりいないようで、駐車場には車が何台か停まっているものの、人気はなかった。もし駐車場が難しいようなら、周りからの視線に耐えながら共用トイレを使うしかないと考えていたため、ほっと胸をなでおろした。
人影のないことを確認した二人は、死角となりそうな場所を探しだした。そして、監視カメラにも映らず、万が一、人が通っても気づかれないであろう車と壁の間に身を寄せた。
「とりあえず、ここなら気付かれないかな。すぐに済ませるよ」
「わかった」
シズネは、しゃがんで壁にもたれかかると、タートルネックの首元を少し引っ張り、首元を露わにした。
「いいよ」
「それじゃあ、いただきます」
そう言うと、いつも通りユウキはシズネの首元に喰らいつき、血を飲んだ。普段であれば犬歯を何度か突き立ててしばらくこの時間が続くが、今回はシズネが合図をするよりも前に、ユウキは血を飲むのを止めた。
「ごちそうさ……」
「あ、あんたら、何を…‥?」
ユウキの言葉を遮るようにして、突然ユウキの背後から声が上がった。ユウキの奥に視線を向けると、そこには小太りの中年男性がこちらを見て立ち尽くしていた。
ここに来た時、周囲に人がいないことは念入りに確認していた。よりにもよって死角に選んだ場所に駐車した車の持ち主が車に戻ってきたようであった。しかも、中年男性はユウキがシズネの首元に喰らいついていた様子を目撃してしまったようであった。中年男性がこの状況をどう解釈したとしても、通報されればシズネの首元に残る傷跡について問い詰められることになる。どうにかしてその状況は避けなければならなかった。
「いや、これは別に……」
ユウキはどうにかごまかそうとするも、言葉に窮した。
「一体何を……」
中年男性は自分が見たものについて、いまだに頭の整理ができていないようだった。ユウキが説得しようと立ち上がると、中年男性は反射的に後ずさった。
「‼ 違うんです。これは……!」
せめて自分が説明すれば説得できるのではと考えたシズネが立ち上がりながら声を上げた瞬間、若い男の声が響いた。
「うわー、見つかってんじゃん。どんくさい同族だねー。全くしょうがない、後片付けしてやりますか」
中年男性の後ろには、顔色の悪い若い女性と共に、茶髪の男が立っていた。茶髪の男はニヤッと笑うと、中年男性に向かって一歩踏み出した。
「な、なにを言っているんだ⁈」
中年男性の言葉を無視して茶髪の男は、中年男性を車に押さえつけると、首元に喰らいつき、血を啜った。シズネとユウキはその光景をただ茫然と見ていることしかできなかった。
茶髪の男は、しばらく血を啜ると首元から口を離し、中年男性に言い放った。
「『ここで見たことは忘れろ。もしまた血を飲んでいる様子を見かけてもそれは、じゃれているだけだ』」
中年男性は身を震わせて頷いた。
「『じゃあ、どっか行け』」
中年男性はまた身を震わせると、何も言わず一人去っていった。この光景にユウキはそれとなくシズネを庇うように、シズネの前に立った。
「うぇ、やっぱ、ああいうおっさんの血は飲みにくいわ。おい、ナツミ。『口直しさせろ』」
茶髪の男の言葉に反応して、ナツミと呼ばれた女はコートの内側のブラウスのボタンをいくつか外した。すると、茶髪の男は荒々しく女の首元に喰らいつき、血を啜った。女は始め、苦痛の表情を浮かべていたが、しばらくすると苦痛でも快楽でもない、虚ろな表情を浮かべた。
この様子を見て、シズネとユウキは、茶髪の男がユウキと同族であることをすぐに悟った。しかし、吸血族の力を振りまくこの茶髪の男に対して気を抜くことはできなかった。
「ぷはっ。これでさっきよりましになったな」
茶髪の男が血を飲むのを終えると、解放された女はそのまま地面に座り込んだ。
「そんな状態で……」
顔色の悪い状態でさらに血を飲まれた女の様子にユウキは思わず呟いた。
「あぁ? 別に劣等種がどうなろうと、気にすることはないだろう? ましてや、こいつは俺の奴隷な訳だし」
「奴隷?」
茶髪の男の言葉にユウキは不快な表情を浮かべた。
「そうだよ。俺たち優れた血統を持つ上位種にとって、こいつらなんかは奴隷になるだけの劣等種だ。そんなことも知らないなんて、お前もしかして、野良か?」
「野良?」
「親は吸血族だったかって聞いてんだよ」
茶髪の男は、会話が進まないことに苛立ちを見せた。
「親は吸血族ではなかったけど」
ユウキの言葉に、茶髪の男は残念そうに息を吐き出した。
「はぁ。久しぶりに同族に会えたと思ったけど、野良だったって訳か。どうりで何かとどんくさいわけだ」
茶髪の男は前髪をかきあげながら、天井を見上げて息を吐き出した。再び二人に視線を戻すと、シズネに鋭い眼光を向けた。
「ってことはだ。そこの美味しそうな女、数少ない同族のものだと思って、手を出さないでおいた訳だが、野良のものってんなら、その極上の血を奪ってもいいってことだな」
茶髪の男の言葉にシズネの背中を寒気が走った。茶髪の男の言葉に我慢できなくなったユウキは、一歩踏み出そうとした瞬間、茶髪の男はユウキのみぞおちに向けて勢いよく蹴りをはなった。
「うぅ」
不意の攻撃に、ユウキはみぞおちを抑えて倒れこんだ。茶髪の男は明らかに喧嘩慣れしており、一方でこんなことに慣れていないユウキは、全く身構えられていなかった。そのため、ユウキは激しく咳き込んだまま、起き上がれない。
「ユウキ‼」
シズネはユウキに駆け寄ろうとすると、茶髪の男に腕を掴まれ、そのまま壁へ押さえつけられた。それでもどうにかユウキの元へ駆け寄ろうと、シズネは手足をもがき抵抗をした。ユウキの名前を呼びながら暴れたシズネの足が、茶髪の男の脛にぶつかった。
「痛ってーな。あんまり暴れるなよ」
苛立った茶髪の男はシズネの口元を抑え、腕を強く締めあげた。
「さて、その美味しそうな匂いのする血はどんなものか。おい、ナツミ! 『そいつ、なんとかしておけ』」
茶髪の男は振り向きながら、ナツミに命令した。ナツミは、近くのカラーコーンからおもりを外した。そして、脇腹を押さえ、咳き込みながらやっと立ち上ろうとしたユウキの背後に立った。
「んんー‼」
何をしようとしているのか察したシズネは、声にならない声を上げた。シズネの声に反応して振り向いたユウキに向かって、ナツミはおもりを振り下ろした。
静かな駐車場に鈍い音が響き渡る。
倒れこみ動かないユウキの頭部から、ゆっくりと赤黒い液体が広がった。
シズネは、口を塞がれ、腕を締めあげられるのも構わず、ユウキを呼び、駆け寄ろうと抵抗した。しかし、そんな抵抗を無視して、茶髪の男はシズネの首元に喰らいついた。シズネを押さえつけるのに、両手が塞がっている茶髪の男は、邪魔なタートルネックに覆われていない首元に無理やり喰らいつく。
シズネは自分の血が茶髪の男に啜られていくのを感じた。自分の血がどんどん対外へ漏れ出ていくのに対して、自分の身体は汚い別のものになっていくようだった。しばらく傷口から血を啜ると、茶髪の男はシズネの首元から口を離した。
「ぷはぁ。最高の味だな。全く野良にはもったいない。お前を俺の奴隷にできないのが残念だ。代わりに気が済むまで飲み干してやるよ」
泣きじゃくるシズネを気に留めず、茶髪の男は再びシズネの首元に犬歯を突き立てた。茶髪の男が何度も血を啜る間、動かないユウキを横目に、シズネはひたすらにユウキを助けてくれる誰かを祈った。
シズネが、ここで血を飲もうと言い出さなければ、ユウキがこんな目に遭うことはなかった。今更後悔しても、どうしようもない絶望に覆われ、どんどんと脱力感に襲われていった。自分で身体を支えられなくなってもなお、茶髪の男は血を啜り続け、シズネの意識は途切れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます