第4話

「おお……」


 小さくて白いコウモリ。紫色の目はきれいでまっすぐ。そんなかわいい姿から壮大な話が出てきたので思わず感嘆する。

 魔王か。なんかかっこいいね。


「なに他人事で感嘆してるんですか! あなたがそれを阻止したのではないですか!」

「私が、阻止」

「そうです! せっかくの魔王の誕生を……! ワタクシの悲願をあなたが壊したのです!」

「ほう」


 そんなことしたっけ……記憶……。

 はて? と首を傾げる。

 すると、コウモリは視線を私から棚の上へと移した。

 そう、そこにいるのは――


「私か」


 お前だったのか。

 ――かわいい茶トラの猫。猫王子。


「人間の意思を持ちながら、魔物の強大な力を操る。魔物の頂点に立つべき魔物! 長年、人間の姿しか持たなかったフレアグリフォンがついに魔物の姿を手に入れた。ようやく、ようやく魔物の時代の到来のはずだったのに……!」


 コウモリの熱弁に、そういえばそうだったな、と思い出す。

 最近のことなのに、もはや猫王子が猫王子として馴染み過ぎて忘れていた。

 私も薄っすらとそんなことを思った気がする。もしかしたら、私がこの世界に呼ばれたのは、人間の意思を持つ魔物の存在をなんとかするためだったのかもな、と。


「フレアグリフォンの力を感じ、私は歓喜しました。長年、眠っていた城から飛び出し、フレアグリフォンの姿を探したのです。私が一番最初の配下になるのだ、すぐに馳せ参じなければ、と。それが……それが、来てみれば、こんな小さく愛らしい姿になってしまっていて……」


 コウモリはとつとつと語ると、ううっと声を詰まらせた。

 どうやらこのコウモリは魔王の配下希望でここまでやってきたようだ。で、来てみれば就職先がこんなかわいいにゃんこに変身していたからびっくりした、と。

 ……うん、それはびっくりする。でも、まぁ。


「猫、かわいいからさ、よくない?」

「よくありません! 魔王にかわいさはいらないんです!! なんですかその軽さは! ご自分のしたことに責任感や申し訳なさはないんですか!?」


 ごめんて。


「にぇっ」


 すると、またよくない声がし、コウモリがむぎゅっとしている。ザイラードさんがまた力を入れたのだろう。


「彼女への暴言は許さないと言っただろう。魔物と我々の立場は違う。我々から見れば彼女は、国を……いや、世界を救った聖女だ。もし仮にフレアグリフォンが魔王の器だとすれば、彼女のおかげで我が王族による蹂躙が行われずに済んだ。この国に彼女が現れたことが奇跡だ」


 ザイラードさんはそう言うと、私を優しい色で見つめる。今日もエメラルドグリーンの目がきれいだ。


「にぇぅ……むぐっ!」


 コウモリはザイラードさんの言葉に一瞬悔しそうな目をすると、ぐっと体に力を入れたようだった。

 その途端、小さなコウモリの体が淡く光り、そのまま煙へと変わっていく。


「これは……っ?」

「わぁ……」


 まさかコウモリが煙になるなんて。

 さすがのザイラードさんも煙は掴めなかったようだ。煙はそのまま一筋になり流れていくと、窓辺付近に集まった。


「とにかく! ワタクシは魔王の出現をまだ諦めたわけではありません!」


 集まった煙が徐々に大きくなり、もやもやと人型を象っていく。

 その人型の煙がカッと輝き、そして――


「ワタクシの名はベルナドット十一世! 魔王の君臨を夢見て、早270年。魔物の時代を信じるヴァンパイアです」


 ――銀髪、紫目のイケメンが現れた。

 整った顔は怜悧でどこか冷たい印象があり、銀色の髪はきれいに整えられている。右目にある片眼鏡ときっちりと着こなしたタキシードが上品さを醸し出していた。

 そのイケメンヴァンパイアがビシッと私を指差す。


「あなたは魔物がどれだけすばらしく、強大な力を持つか、なにもわかっていない!」

「あ、はい」

「そこで! ワタクシがあなたに魔物がなんたるかを教えて差し上げましょう!」

「……えっと、つまり、……勉強ですか?」

「そうです! あなたには圧倒的に知識が足りない! ワタクシとともに魔物について知れば、自分がなにをしたのかを理解し、今後はこのような軽率なことはしないでしょう! そう、必要なのは魔物への知識! ワタクシがしばし付き合い、あなたに知識を授けましょう」

「なるほど」


 とてもこう、あれだ。まともだ。「魔物をペット化するならあなたを殺します」みたいなことは言わないらしい。インテリジェンスを感じる。

 ついつい窓ガラスは割ってしまったみたいだが、そもそもは手紙を届けて交流を持とうとしたようだし、手順を踏もうという気配もある。

 つまり、こうして現れたのは家庭教師の斡旋だったのだ。


「ザイラードさん、ザイラードさん。どう思います? これ危険ですか?」

「……俺としては、トールがよくわからないものに近づくことは心配だ」

「ですよね」


 一瞬、家庭教師になってもらうのもいいかな? と思ったが、それはあまりにもチョロいだろう。私はいつだってチョロい。

 ので、ザイラードさんの意見に従い、家庭教師はお断りしようと口を開きかける。

 しかし、ザイラードさんがそっと私の手を取って……。


「いや、すまない。もし、トールが魔物の話を聞きたいのであれば、聞くべきだ。トールには魔物たちがついている。この男一人がいたところで君に害はないだろう」


 真摯なエメラルドグリーンの目が私を見つめる。

 私はその目をそっと見返した。


「今、俺が言ったのはトールを心配してのことだと言ったが、正直に言うと、人型の男性の姿をしているものとトールが仲良くなることにいい気持ちがしなかっただけだ」

「……えっと、つまり」

「嫉妬だと思ってくれていい」

「うっ……はい」


 くっ胸が、胸がきゅうっとしてしまった。高鳴ってしまった。

 こんなにまっすぐに気持ちを伝えられて、頬が熱くならない人がいるだろうか。いや、いない。これは確死である。

 私は「あ、あ」しか言えなくなりそうなところをグッと足を踏ん張って耐える。

 これではザイラードさんを不安にさせただけになってしまう。私も言葉を返さねばならない。疲れてもいいと言ったのは私だ。


「ざ、イラードさん、その、心配は無用です」

「……というと?」

「あの、……私が知っている男性で一番かっこいいのはザイラードさんです。あのヴァンパイアもかっこいいとは思いますが、私はコウモリのほうが好きです」


 そう。コウモリ姿はかわいかった。体がもふもふで、耳も大きくてウサギみたいだったなぁ……。

 コウモリ姿を思い出して、ふふっと笑う。すると、ザイラードさんはぎゅうと私を抱きしめて――


「トール、もう一度」

「えっと……あ、一番かっこいいのはザイラードさんです?」

「……そうか」


 耳元で声が響く。

 途端にぶわぁあとザイラードさんから色気が放たれた。ちらりとザイラードさんを見上げれば、蕩けるような笑顔である。あまりに心臓に悪い。

 眩しすぎて直視できずに俯くと、髪をふわりと撫でられた。そして。ちゅっとリップ音が……。


「俺もだ。トールが一番かわいい」

「いっ」


 「あ」じゃなくて「い」が出た。心臓が止まった可能性がある。

 そんな私たちにかわいい声が掛かった。


「ハナ、チラスカ?」

「ハナ、チラスノ?」


 いい、花は散らさなくていい。背景にきらきらはいらない。


「はしたないな」


 そして、その様を見ていた猫王子にふんっと鼻で笑われた。

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