第5話
「ところで、お前は魔物について詳しいのか?」
猫王子がそう言ってイケメンヴァンパイアを見下ろす。
イケメンヴァンパイアは鷹揚に頷いた。
「ええ、もちろんでございます」
「ならば、私が人間に戻る方法はわかるか?」
猫王子の言葉に「なるほど」と思い当たる。
わざわざ私に魔物について教えようという人物ならば、猫王子の魔物化について知っているかもしれない。フレアグリフォンについての詳しそうだしね。
だとすれば、魔物から人間に戻る方法を知っている可能性もあるだろ。
「猫、すごくかわいいけどなぁ……」
「私は人間に戻り、このような屈辱から解放されるのだ!」
人間の王子より猫王子のほうが圧倒的にかわいいので、思わず本音が漏れる。人間に戻る方法など知らなくていいと思う。
が、そんな私に猫王子はシャーと背中の毛を立てた。
ほら、かわいい。人間の姿のときはうるさいだけだったが、猫姿だと怒る姿さえ愛らしい。
微笑んで見つめると、猫王子はより背中の毛を逆立てた。しっぽは膨らんでぽんぽんだ。
「その目だ、その目! 私をそのような目で見るのをやめさせる! 私は人間に戻って、お前をぎゃふんと言わせるのだ!」
「ぎゃふんね、うんうん、そうだね。かわいいね」
「だから、その目をやめろ! かわいいって言うな!」
「うんうん、かわいいね……」
怒っているにゃんこのかわいさを前に、この目をやめることは不可能。言葉を止めることも不可能。
ので、引き続き微笑んでいると、頭上から「はぁ」とため息が聞こえた。
そして、ぎゅっと抱きしめられる。
「トールは動物に弱すぎるな。猫の姿をしていても、元は第一王子、人間だということを忘れないで欲しいのだが」
「すみません」
忘れちゃうんだよなぁ。猫としか見れない。猫かわいいっていう気持ちがすべてを覆い隠してしまう。
しかし、ザイラードさんの言うことももっともなので、猫を第一王子だと思うために、微笑んでいた表情を元に戻す。
すると、チュッとふたたびリップ音が響き――
「まあ、そこがトールのかわいいところでもある。俺もトールに弱いしな」
――色気。くっザイラードさんの甘さが止まらない。
もしや、ザイラードさんは私が魔物たちに感じるこの気持ちを私に対して感じているということだろうか。
だとすれば、恐ろしいことである。なにをやっても愛しさが胸にあふれてしまうやつ……。
なんていうか、こう。なんていうか、こう。
「愛されてます」っていうのを感じてしまって、頬が熱くなる。
もちろん私が一人で勘違いしている可能性もある。
が、優しく抱き寄せている腕も、頭頂部にされるキスも、甘くこちらをくすぐってくる声も。すべて「好きだよ」と伝えてくれているのだ。
これが私の勘違いだとすれば、それはもう、ザイラードさんが私を騙そうとしているということだ。だとすれば、騙される私は当然と言える(?)。言える。
考えすぎて、思考がよくわからなくなり、ぷすぷすと焦げていく。
ザイラードさんはそんな私を見て、くくっと笑ったあと、視線をヴァンパイアへと向けた。
「俺もエルグリーグが人間に戻れるのであれば、その方法を知りたい。これ以上トールとエルグリーグが近づくのも厄介だ」
「私がこの女に近づいているのではないぞ」
「まあそう思っているのだろうな。お前はまだ若いから」
「どういうことだ?」
「そのままの意味だ」
ザイラードさんと猫王子が話している。ザイラードさんの呼んだ「エルグリーグ」というのは猫王子の名前である。忘れがちだが一応名前があるのだ。
どうやら、男同士の話をしているようだ。
たぶんザイラードさんが猫王子の若さというか幼さを諭している? のかな。そして、猫王子はよくわかっていない、と。
もちろん私もよくわかっていない。
不思議に思いザイラードさんを見上げると、気にしなくていいというように、そっと頭を撫でられた。そして、話を戻す。
「で、どうなんだ? フレアグリフォンについて知っているなら、俺たち王族が魔物になる可能性を知っていたということだろう?」
「そうです。私はフレアグリフォンの復活を待ち望んでいました。あなた方の祖先の人間が斃したとされるフレアグリフォンはその時を虎視眈々と狙っていました。あなた方の血族のだれかが魔に心を寄せたとき、その際に完全体として蘇る」
「……つまり、エルグリーグがフレアグリフォンに変化したのは、エルグリーグの心が魔に染まったということか?」
「ええ。これまでにも何人かそのような人物はいました。ですが、やはり人間の心とは魔に染まったとしても、最後の決定的なものを越えるには、選択ができないものが多かった」
「ああ、普通はそうだろう」
「ですよね。魔物になるのを受け入れる人間なんて、そういないですもんね……」
猫王子の変身時を思い出す。
第一王子は国王になるために画策し、行動していた。私とザイラードさんのその計画を悉く潰され、最後はみなの前で王位継承権を剥奪された。たしかに心が魔に染まってもおかしくはない。
だが、最初に魔物化の兆候があったとき、第一王子の意思のすべてを乗っ取っているようなことはなかった。人間にも戻れる状態だとあのとき感じたし。
で、これまで魔に染まった人も、そこから先には進まなかったのだろう。
「フレアグリフォンも力を蓄えている状態だったと考えられます。なので、魔の染まった人間がいたとしても、時期尚早だったということもあるでしょう」
「私は欲しいものを手に入れるために行動しただけだ。結果として、力を手に入れるために魔物になるのも仕方がない!」
「普通の人間であれば、魔物にはなりたくないだろう」
「ですよね……」
ザイラードさんの言葉に頷く。
さすが猫王子。唯一の美点の行動力と決定力により、世界が混乱している。
「エルグリーグが魔物になったのは、『王族の人間であったこと、周りに恨みを持ちやすい環境だったこと、自己への慢心、機会、時期、本人の資質』。すべてが揃った上でのことだったんだな」
「そうです! まさに奇跡です!」
うん。この場合の奇跡は悪いほうの奇跡だね。
偶然が重なり合って、普通では起きないような事件が起こる。魔の一瞬。あれだ。
「それを! あなたがあっという間に猫に変えてしまった……っ!」
ヴァンパイアは悔しそうにそう言うと、くぅと目頭を押さえた。
ごめんて。
「もはやこうなってしまった以上、どうせならば人間に戻ってもらったほうがマシです。憧れの魔王、憧れのフレアグリフォンの愛らしい姿などワタクシは見たくない!」
ヴァンパイアは目頭から手を離すと、猫王子を見上げる。
そして、「簡単なことです」と言い放った。
「もし、人間に戻りたいのであれば、その魔に預けた心を改めればいいのです」
「心を、改める?」
「そうです。魔に打ち勝ち、人間の善性を取り戻すことが肝要です」
ええ……。
「……無理では?」
おっと、思わず本音が。
「おい! いいか見ていろ! お前をぎゃふんと言わせてやる!」
「もう、その気持ちの時点で無理では?」
「うるさい!」
猫王子はそう言うと、棚から机、そして床へとぴょんぴょんと伝って降りた。
そもそも第一王子時代に人間の善性があったことってあるのか? 権力に目が眩み、道を踏み外しまくっていたが……。
「私は人間として善き行いをする! 民を導き、この国の王になる! 私にはその資質がある!」
……。
…………。
「まあ、無理だろうな」
猫王子の宣誓と静まり返る私の部屋。
なにも起きない空気を見かねて、ザイラードさんがため息をついた。
「なぜだ! 私のこれのどこがダメだというのだ!」
「その幼さだ。『王になる資質がある』と自身で言えるものが、人間の善性に優れた者のわけがない」
「とくに一度、魔物へと完全に変化していますからね。一般的な人間よりも、より人間の善性が強くなければなりません」
「……そもそも人間の善性ってなにかって話ですしね」
難しいよね。哲学的すぎる。
「ね、諦めよう。諦めて猫のままでいよ」
私はザイラードさんから体を離すと、猫王子の隣へと屈みこんだ。そして、微笑み、そっと手を出す。
猫王子は私の手をぱちんと叩き落とすと、フシャーッと毛を逆立てた。
「猫であることに困ってはいない! だがお前をぎゃふんと言わせるために、必ず人間に戻る!」
「ええ……」
猫、かわいいのに。
「それならば、お前はもっと学ぶべきだな。人間とはなにか、王とは、執政とは。それを学び、自身で考えることで、視野が広がれば……」
ザイラードさんは顎に手を当てて、ふむと考えている。
人間の姿を諦めさせようとする私とは大違いだ。こんな猫王子でも諦めることなく、教育を続けるなんて、ザイラードさんの善性が天元突破している……。
さすが、できる上司No1。私はそんなザイラードさんの人間性にそっと手を合わせた。
すると、突然、ノックの音が響く。
「すみません! 至急、いいでしょうか!?」
どうやら、ザイラードさんの部下の騎士のようだ。
焦った様子だが、なにかあったのだろうか。
一応、私の部屋なのでザイラードさんが私へと目配せをする。「入れてもいいか?」ということだろう。
問題ないので、頷くと、すぐにザイラードさんは扉へと声をかけた。
途端、騎士がなにかを持って、ザイラードさんへと差し出す。
「国王陛下からの書簡です!」
「国王陛下から?」
ザイラードさんはすぐにその書簡に目を通した。
さっきコウモリの手紙を読んだばかりだが、今度は国王陛下からかぁ。
ちょうど猫王子の話をしていたし、そろそろ王宮に戻ってこいとかそういうのかもしれないな。まあ、私には関係ないだろう。
よいしょと立ち上がり、ザイラードさんを見つめる。
すると、読み終わったザイラードさんは私を見て、すまなそうに眉を下げた。
「あっ……その感じは……もしや」
もしかして、私に関係ある的なあれです……?
これはあまりいい予感がしない。
ザイラードさんは私の問いに頷き、ため息をついた。
「……ここより東、田舎の村で魔物の害が出たらしい」
「魔物の害、ですか」
ザイラードさんの言葉に、思わず、魔物のみんなを見渡してしまう。
「オレ、ナニモシテナイ!」
「ボクモ、ナニモシテナイ!」
「ワイカテナニモシテナイデ」
「うん、わかってる。ちょっとみんないるか確認したかっただけ」
そう。一応みんないるのだ。三人と狐、あと一応猫王子。みんないる。
ので、東の村に出た魔物というのは、新しい魔物だろう。
最初に出会った巨大なみんなのことを思えば、甚大な被害がでているのかもしれない。
東の村のことを思い、胸を痛める。
そんな私にザイラードさんは話を進めた。
「どうやらそこに『聖女』がいたらしい」
「え……?」
「その聖女が村に魔物を呼びよせたのではないか、と噂が立ってしまっている。そして、それがトールではないか? と」
まさかの私、加害者説。
やったのか、私。いつだって私は自分を怪しんでいる。
「もちろん国王陛下はそうとは考えていない。この書簡には、その不審を払うように動くということと、トールへの謝罪が書かれている。申し訳ないが、すこし煩わしいこともあるかもしれない」
ザイラードさんの目が申し訳なさそうに細まる。
私はそれを見つめ、一度、俯いた。
聖女が現れ、魔物が暴れたこと。それが私が起こしたかもしれないと疑われていること。
そっと胸に手を当てる。
うん。大丈夫。私は自分が疑われていることについて、それほどショックを受けていない。
むしろ、国王陛下がその噂を払拭しようとしてくれていること、ザイラードさんがこうして私のことを心配してくれることに、心強さと温かさを感じている。
そして、思うのだ。
――私に、できることがあるのではないか? と。
胸に当てた手を外し、ザイラードさんのエメラルドグリーンの目を見つめる。
「ザイラードさん。その村、行ってみませんか?」
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