第2話

「トールハ、アノ男ノ婚約者ナンカ?」


 かわいさに世界の理を見ていると、クドウが金色の円な目で私を見つめた。

 あの男とはザイラードさんのことで、婚約者というのは、今、猫王子の発した言葉のことだろう。


「いや、婚約者ではないよ」


 恋愛的なキスをしたとしても、それイコール婚約者というのは違うだろう。

 なので否定すると、棚の上で丸くなっていた猫王子が「はあ?」と声を上げた。


「婚約者でもないのにあんなことを? はしたないどころの話ではないな」

「あー……。聞きたいんだけど、この国ではそういう自由恋愛というか、お付き合いしてるときのいろいろはしない感じ?」


 なんせ異世界である。恋愛についての価値観や決まり、普通というのが違うのかもしれない。そもそも日本に住む人々の中でも多少は差があるだろう。

 ザイラードさんに聞いてもいいが、せっかくここに元人間の猫王子がいるので参考までに聞いてみる。

 猫王子は私の質問に丸くなっていた体を起こし、しっかり座り直すとふふんと胸を張った。


「一般の感覚は知らない。だが王族として教育を受けた私は婚約者にそのようなことをしたことはない!」

「なるほど……、って、え?」


 猫王子の言葉に頷いていたのだが、ちょっと待って。恋愛の価値観より気になる単語が出てきたけど!?


「待って待って、君、婚約者がいるの?」

「ああ、第一王子だぞ? 当たり前だろ」

「当たり前なんだ……。え、じゃあ今は?」


 猫になってしまってますけど。え、お相手の方、大丈夫……?

 第一王子が魔物化したのは正直、自業自得感が強い。が、それをペット化し猫にしたのは私なんだよな……。

 第一王子の両親は国王と王妃だが、第一王子の行いから王位継承権だけでなく、廃嫡まで考えていた。それを止めたこと、そして第一王子が猫になってしまったとしても生きているということに喜んでくれた。

 だから、第一王子が猫になっていることのついて、ほぼ罪悪感はなかった。むしろ、世界を救った上で全員ハッピー、猫王子も元気でオッケーと思っていたのだが……。

 第一王子に婚約者がいたとすれば、その方はとても困っているのではないだろうか。

 突然の降って湧いた罪悪感に胸が痛む。

 が、猫王子はそんな私を「はん!」と鼻で笑った。


「すでに婚約破棄をしている。国王になるために後ろ盾として選んだ相手だ。婚約者とはそういうものだ!」

「そうなん、だ?」

「そもそも聖女が現れた際にこちらから婚約破棄の提案をしたのだ。聖女と関係を結んだほうが臣下の評価も高いからな」

「うわぁ……」


 心の底から軽蔑の声が出た。

 さすが第一王子。性格が酷い。自分が国王になるための後ろ盾としていた婚約者がいたのに、異世界から聖女が現れた途端に婚約破棄とか……。


「それじゃあ元婚約者ってことなんだね……」

「まあそういうことだ。こちららから提案した婚約破棄だ。保障もあるし、こうして私がこんな姿になってしまったのだから、あちらがなにか言われることもないだろう」

「たしかに」


 その場合、むしろ猫化してオッケーということになる気がする。よかった。やはり全員ハッピーだ。

 降って湧き、蒸発しきれいな虹になった罪悪感に安心し、ほっと息を吐く。

 すると腕と体の隙間に頭を突っ込んで落ち着いていたコウコちゃんがむむっと鼻に皺を寄せた。


「その女とその親が何度か私に会いに来たの。女はあまり覚えてないけど、親は嫌な感じだったわ」

「そっか、コウコちゃんも困るよね」


 信仰を集められるからと王宮に行ったコウコちゃんだが、いろいろあったのだろう。

 よしよしと頭を撫でれば、寄っていた鼻の皺もなくなった。

 あ、というか。


「コウコちゃんを婚約者にしようとしてたってこと?」


 わざわざこれまでの婚約を破棄し、聖女と関係を結ぶというのはそういうことだろう。

 猫王子は私の質問にふふんと胸を張って答えた。


「まあ、そうなるな。王位が近くなる」

「ブレがない」


 色恋沙汰をまったく感じない。

 いつだって権力最優先。さすが第一王子。目的のためには手段を選ばない行動力の化身。


「私の元婚約者はマッカンダル侯爵の娘だった。今はどうしているんだろうな。私の王位を後押ししていたが、私は王位継承権がなくなってしまった」

「あー……」

「第二王子を擁立していた派閥に負けたのだろうな」


 猫王子はどこか遠くを見るようにそれだけ言うと、また丸くなった。

 やっぱり王位を争うというのは大変そうだ。そして、めんどくさそう……。

 ザイラードさんもそういうのに疲れて自分で王位継承権を捨て、辺境の第七騎士団の騎士団長になったって言ってたしな。

 ザイラードさんの話では第一王子はほとんどの貴族に見限られていたようだ。が、猫王子の言うマッカンダル侯爵というのは、そうではなかったのだろう。娘を第一王子の婚約者にし、なんとか国王になれるよう推していた、と。

 そもそも第一王子が国王になる可能性はほぼなかったし、猫王子の話では第一王子と娘さんに恋愛関係があったようにも思えない。

 第一王子に振り回されているあたり、すごく大変な身の上だったはずだが、解放された今、平和に楽しく暮らしてくれていればいいなぁ。


「トール、コンヤクシャッテナニ?」


 第一王子の関係者に思いを馳せていると、肩から声がかかる。話を聞いていたレジェドが婚約者について疑問をもったようだ。


「婚約者はね、これから将来一緒にいることを約束した仲って感じかな」

「ソレ、オレトトールモ?」

「いや、レジェドとはそういうのではないかな?」


 レジェドとは契約しているが、婚約者とは違うだろう。ので否定すると、私の膝の前にいるクドウが説明をつけ足す。


「人間ノ言ウ婚約者ハ、魔物デ言ウト、つがいヤロナ」

「番!?」

「番ナノ!?」

「番だったの!?」


 肩、膝の上、腕と体の隙間。

 それぞれから驚きの声が上がる。

 どうやら魔物たちとコウコちゃんにとって、婚約者がどういうものかいまいちピンと来ていなかったようだ。

 番というと、私が思い浮かぶのは動物がオスとメスでペアになる感じだな。鳥とかだと想像しやすいかも。


「トール、アレト番ニナルッテコトカ!?」

「トール、アイツト番ニナルノ!?」

「私って第一王子と番になるところだったの!?」


 レジェド、シルフェ、コウコちゃんがそれぞれの驚きのまま、私にズイッと顔を寄せる。

 視界いっぱいにそれぞれの顔があって最高にかわいいのだが、待ってほしい。答えるけど一人ずつね。


「レジェド、シルフェ、私はザイラードさんとは番ではないよ。コウコちゃんも大丈夫。第一王子と聖女についてはもう解決したし、コウコちゃんの気持ちが一番だからね」


 レジェドとシルフェに関しては否定をするだけなので、すぐに答えられる。婚約者ではないから番でもない。

 そして、コウコちゃんについてはすこし言葉を選んで答えた。

 コウコちゃんがこれまで、あるいはこれから第一王子(猫王子)を好きになったり、一緒に暮らしたいと思っているのならばそういう選択肢もあるのだろう。だが、今のところそんな素振りはみじんも感じない。ので、「大丈夫だよ」と体を撫でて落ち着かせる。

 きっと「婚約者」というのもよくわからないが、信仰を集めるために必要だと言われて頷いてしまったのだろう。

 三人はそれぞれ首を傾げたあと、「でも……」と言葉を続けた。


「コレカラ、トール、番サガス?」

「ソウナノ!? 番サガスノ!?」

「番なんていなくてもいいわよね?」


 うっ……。それをね、今、世界の理の崩壊として見てたんだけど……。

 かわいさにより理を修復していたが、やはりそこへ戻ってくるわけだ。

 顔をズイズイと近づけてくる三人をとりあえず、定位置へと戻す。

 そして、私は「こほん」と一つ咳ばらいをした。


「えー……これは間違いでなければ、なんだけど」


 ザイラードさんに催眠がかかっていて私を好きになってしまったとか、私が知らないうちにだれかを人質に取ってザイラードさんを脅しているとかではなければなんですが。


「ザイラードさんが、番候補だと思う」


 魔物的に言えば。


「「「エエーッ!!」」」


 私の言葉にレジェドもシルフェもコウコちゃんも稲妻に打たれたような表情になった。

 全員がショックを受けている。

 そして、なんかカンカンッていう物音が響き始めたな。


「うん、みんなの驚きももっともだと思う。私もザイラードさんの血迷い方については、自分の不可解な点を探しているところなんだけど」


 私がなにかした可能性を探しているところなんだけど。

 あ、またカンカンッて物音がしたな。


「トールハ、オカシクナイ! デモ、ズルイ!!」

「ウン! ズルイヨ! ナンデアイツハ番ナノ!?」

「そうよ! あの男はどうでもいいの!」


 定位置に戻した三人がまたズイズイと私の顔へ近づいてくる。

 the 圧。そして、カンカンッ。


「オレハ!?」

「ボクハ!?」

「私は!?」

「え? かわいいけど」

「「「チガウ!」」」


 心のままに答えると、三人が一斉に私の言葉を否定した。

 そうか。違ったか……。カンカンッ。


「オレモ番ニナリタイ!」

「ボクモ番ニナル!」

「私もなってあげてもいいけど!?」


 え? うーん。しかしなぁ……。


「三人はとってもかわいいよ。一緒にいたい。でもほら、番っていうとなぁ……」


 やっぱり今の私だと人間が対象になりがちっていうか……。


「オレヲ見テ。オレハツヨイ! 絶対ニトールヲ守リ切レル!」


 きゅるきゅるの青い目に私への思いと決意を感じる……うん……。


「ボクヲ見テ。ボクモツヨイ! ズット、トールト楽シク、クラスヨ!」


 うるうるの赤い目にかわいいだけではない強さと今後の暮らしへの抱負を感じる……うん……。


「私は……強くはないかもしれないけど……。っでも、私は、……あなたが、その、好き、だから、その……近くにいたい」


 黒い目が恥ずかしそうに伏せられるが、右前足で必死に私の肩を押している。それがその言葉が嘘ではないと感じられて……うん……。


「いっか。みんな番で」


 かわいいしな。魔物やお稲荷様の番ってなにかわかんないけど、まあいっか。かわいいし。

 とにかくみんなかわいい。ので、私は全員を抱き寄せる。カンカンカンッ。

 すると、膝の前に立つクドウが一際大きなため息をついた。


「ホンマ、ナンモ考エント、スグニ頷クンヤカラ。魔物ト人間ハ、番ニハナレヘン」

「あ、そうなんだ?」

「「「エエー……」」」


 クドウの至極まっとうな言葉に私は納得し、三人は落胆の息を吐いた。


「トール、ウナズイタ。ダメカ?」

「イイトカダメトカチャウネン。魔物ト人間ハ番ニナレヘンッテコトヤ。……マ、実力デ無理ヤリナラ可能ヤロウケド。ドコカニ閉ジ込メタリナ」


 え? 今、怖いこと言ってる?


「ナンデモカンデモ頷イタラアカンデ。性根ノ腐ッタ魔物ヤッタラ本当ニソウスルカラナ」

「はい」


 ありがとう、忠告ペンギン。カンカンッ。


「オ前ラモガッカリセンデイイデ。人間ノ番ハ、ワイラノ番トハ、チャウカラナ」

「ソウナノカ?」

「ドウイウコト?」

「二人で時を同じくして、常にだれよりも近くにいるってことじゃないの?」

「チャウチャウ。人間ノ番ハ、クッツイタリ、離レタリスルネン。トールトアノ男ハマダ番チャウシ、番ニナッタトシテモ離レル可能性ガアルンヤデ」


 たしかに。人間は結婚しても離婚する生き物。世知辛ペンギン。カンカンッ。

 私的には心に隙間風が吹く話だったが、三人はそれで一応は納得したらしい。番になれないし、番になったとしても魔物の番とは違うならいいのか? みたいな微妙な空気ではあるが。

 にしても。


「さっきからカンカンカンカン、なんの音?」


 なんか窓のほうから聞こえるけど?

 最初は窓に風で飛んできたものが当たっているのかと思ったが、やけに回数が多い。

 気になって、そちらを見た途端――


「こちらが穏便にしていればなんたる不遜! 来客に対し礼を取ることもできないのですか!」


 ――バリーン!


 どこか硬質な声が響いたあと、窓ガラスが弾けた。

 窓から離れていたためにケガはないが、これは一体……っ!?


「……コウモリ?」


 窓から一匹の真っ白なコウモリが飛び込んできた。

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