第15話 如月華蓮と天木十八 その4
中学に入ってからは、本格的に医者を目指して勉強し始めたが、進路相談の先生から、医学部は普通の学部よりはるかに学力が必要なことに加え、普通の学部よりはるかに学費がかかることを知らされた。
それからの華蓮は、恋も遊びも絶品スイーツも全て遠ざけて、ひたすら勉強に勤しんだ。
その甲斐あって、国立大の医学部も、医師国家試験もストレートで修了し、在学中の六年間は、貸与型・給付型合わせて四つの奨学金を受け取り続けるという離れ業をやってのけたのだ。
それらはたしかに華々しい功績だったが、いつの間にか「医者」になるために「勉強する」という、手段と目的が逆転していたのだ。イヤ、それですら、さらにズレていた。
華蓮は「ケガや病気で困ってる人を助けるため」に「医者になりたい」と思っていたのに、いつの間にか「医者になること」が目的になっていて「どうして医者になりたいのか?」ということをすっかり忘れていた。
学生の頃の華々しい実績が、そんな目的のズレを隠してしまい、思い上がったまま研修医の仕事に臨んだのが、失敗の原因だったのだ。
(そうだった。私は水無瀬先生のような医者になって、子供の頃の私のように苦しんでる人を助けたかったんだ。どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう……)
フゥ、とため息をつくと、自嘲の笑みを浮かべる。
(才女とか呼ばれてたこともあったのに、才女が聞いて呆れる。こんな簡単なことにも気付けないなんて……)
そして……
(最初に見た時は、うさん臭いだけの男だったけど、お陰で大事なことを思い出せたわ。キチンとお礼を言わないと)
そう思って再び男の方を見ると、左手でアンパンの本体を持ち、袋の端を噛もうとしているところだった。
「だからッ!開けられないなら言いなさいって言ったでしょうがッ」
再びベンチから立ち上がってアンパンを取り上げると、袋を開けて中身を取り出してやる。
「アハハハ、ありがとう、ありがとう。なんか
「あのねェ……」
ハァ~とわざとらしくため息をつくが、男はすでに華蓮を見ておらず、うまそうにアンパンにかぶりついていた。
その姿を見ていると、怒ることすらバカバカしくなってくる。
「まあ、いいわ。あなた、仕事はしてるの?お金がないから、食べるものがないとか?」
男は華蓮の方を見ると、モシャモシャと口の中にあるものを飲み込んでから話しだした。
「仕事はあるけど、この腕のせいでずっと休んでて、でも治療費はかかるから、貧乏のスパイラルってやつだなァ。で、貯金もあまりないから、出費を抑えたくて、一日一食にしてるんだよ」
「一日一食……」
華蓮は改めて男を観察する。
大男でもマッチョでもないが、自分より背の高い成人男性が一日一食では、さすがにひもじくもなるだろう。
「またここに来ることがあれば、パンぐらいおごってあげるわよ」
なぜだろう。不思議とそんな言葉がサラリと出た。
今まで勉強のため、成績のため、男も色恋も極力遠ざけてきた華蓮が、会って間もない見ず知らずの男に、そんな誘いの言葉をかけているのだ。
言ってしまってから、ハッと、その自分らしからぬ大胆な行動に気付いて、急激に顔を赤らめた。
(な、ナニ言ってんのッ?!私ィィィ―――ッ!)
しかし、いまさら取り消すのはもっと恥ずかしい気がしたので、赤い顔のまま無理やり平静を装うと、フフン、と腰に手など当ててみる。
ただ、あまり成功してる気がしなくて、恥ずかしさでプルプル震え、やや半泣きになっていた。
そして、言われた男の方は、一瞬マジマジと華蓮を見たあと、ポツリとつぶやく。
「コワイ……」
「え?」
聞き損ねた華蓮が、一歩男の方に近づくと、男はズザザザザッと器用に片手で、ベンチの端まで後ずさった。
「コワイッコワイッコワイッコワイッ、なんで見ず知らずの男に突然そんな優しい言葉を?ハッ!まさか……カラダかっ?この僕の若い体が目的なのかッ?そうだろうッ!」
言いながら、空いた左手で右肩を抱き、かばうように背を向けたりする。
「エエぇぇ―――――――ッ」
(ナニっ、この展開ッ?!なにッこの言われようッ?!)
さっきまで恥ずかしがっていた自分が、急にアホらしくなってきた。
そもそも、見ず知らずの女に最初にパンをせびってきたのはそっちだろうッ!とツッコミたくなる。
ハァ~とため息をつくと、男の座るベンチに歩み寄り、空いた反対側の端に座る。
「アー、そういうのじゃないから、安心して」
華蓮が静かにそう言うと、男の方も「あ、やっぱり」などと気楽な声で言い、体をかばうポーズを止め、普通に座り直した。
(あーなんか遊ばれてるなぁ、私……)
ハハハ、と苦笑するが、あまりイヤな気分でもなかったので、とりあえず話を続けた。
「私がパンをおごりたくなったのは、あなたのお陰で滅入っていた気分が少し、いえ、かなり良くなったから。ありがとうね。そのお礼の意味で言ったのよ。エ、と………迷惑だった?」
そう言うと、少しうつむく。
最後のセリフを言うときだけ、再び顔が赤くなるのを感じた。そして、そのせいで男の方を見れなかったのだ。だから、男が今、どんな顔で自分を見ているのかがわからなくて、少し緊張した。この緊張は、大学入試や国家試験の時とは違う、初めての緊張だった。
男はうつむいた華蓮の横顔をしばらく見つめていたが、やがて少し口元を緩めると、明るい声で言ったのだ。
「そういうことなら、喜んで」
華蓮の顔が、パッと上がる。
そこには、こちらを見て笑う男の顔があり、目が合ったとたん、今さらのように顔を赤くし、釣られるように笑っていた。
二人でひとしきり照れ笑いを交わしたあと、大事なことに気付いて、華蓮が声を上げる。
「そういえば、名前を言ってなかったわね。私は如月華蓮、この病院で研修医をやってるの、っていうのは知ってたわね。で、あなたは?」
「僕は
こうして、二人は出会った。
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