第2話 天木家の朝の風景 その2

 先に下りた春花はるかは、すでに食卓に座って朝食を食べていた。食べてはいたが よく見ると、箸を口に当てたまま、ジッとテレビの画面に見入っている。

 釣られてテレビを見てみると、最近話題の観光スポットを紹介するコーナーで、娘を連れたママさんタレントが、二人でカピバラに餌をあげているところだった。

 フゥ、と一つ息をつきながら苦笑する。

「春花、よそ見しながら食べてたら、ご飯こぼすよ」

「はーい…」

 返事はするが、姿勢は変わらず、箸も口元から動かない。

 嗚呼ああ、これもいつもの朝の風景。

 などと達観の境地に入っていると、洗面所で顔を洗った柱基よしきがやってきて、食卓の自分の席に座った。

「お父さん、ふりかけが欲しい」

 我が息子は、食卓に座るなり、そんなことを言い出した。

「おかずがあるんだから、おかずを食べなさいよ」

「エーっ……おかずを全部食べたら、ふりかけで食べていい?」

「もォ~いいけど、時間も見なさいよ。結構いい時間になってるよ」

「はーい」

 そう返事をすると、柱基はすごい早さでおかずを食べ出した。ちゃんと噛んでるのか心配になる。

 一方、春花は相変わらず、口元に箸をつけたまま、テレビに見入っていた。

 もしかしたら、さっきから一度も動いてないんじゃないの?と思わされる。皿のおかずが少しも減ってないからだ。

「はーるーかー、ちゃんと食べてるの?」

「食べてるよー」

 そう言うものの、姿勢は変わらず。

 テレビには、先ほどの親子が、子犬や子猫と戯れている映像が流れていた。どうやらこの観光施設は、たくさんの動物と触れ合えるのがウリらしい。

 春花がポツリと「かわいい~」とつぶやく。

 我が娘はそんな映像に夢中のようだが、それでは困るのだよ、お父さんは。

「はーるーかー、テレビがご飯のジャマになるなら、もう消してしまうよ~」

 そのとたん、春花はあわててこちらを向くと、茶碗を持ち直して箸を動かす。

「食べるよ、食べるから、テレビは消さないでよォ」

 必死に食べてることをアピールすると、そんなことを訴える。

 その間に柱基はおかずの皿を空にすると、冷蔵庫からふりかけを取ってきて、手つかずの白いご飯にふりかけ出した。それはうれし気に。

 春花は起きるのは早いが食べるのは遅い。

 柱基は起きるのは遅いが食べるのは早い。

 うまいこと足して2で割れればいいのにな~などと、他愛もないことを考えていると、テレビからエレクトーンのメロディが流れてきた。

「おめざめ朝日です、ただいま七時二十分、次はトレンドキーワードのコーナーです」

「うわ、もう二十分か。柱基、春花、急ぎなさいよ」

「わかってる~」

「はーい」

 子供の返事を背中で聞きつつ、十八とおやも次の用事に取りかかる。

 子供たちが学校へ持っていく水筒や給食用の箸を用意して二人に渡し、さらに食べ終わった朝食の食器をお湯ですすぎ、そのあと少しお湯に浸け置きもする。

 その間に自分の昼食用によそっておいた白ご飯の弁当箱を閉じ、おかず用と合わせて弁当包みで包んでしまう。結び目に箸箱を差し入れるのも忘れない。

 そして、自分用の水筒も用意すると、弁当箱の横に並べる。

 その時二階から「おとーさーん」と、春花の呼ぶ声がした。

 なんだなんだと上がっていくと、春花が部屋の押し入れの中に並べられた、衣装ケースの引き出しを開けたまま、困った顔でこちらを見てくる。

「どうしたの?」

「体操服がないー」

 十八は「エエっ」と言いながら、開いた衣装ケースを調べた。だが、確かに体操服はない。

 昨日洗濯物をたたんだ時には、春花の体操服があったのは覚えている。そのあと、それぞれにたたんだ服を渡して、自分たちの部屋の衣装ケースに入れるよう言い含めた。

 もしやと思い、他のケースの引き出しも調べてみるが、入れ間違えたというわけでもなかった。

 刻々と時間が過ぎる中、春花が少し涙目になっていた。

 今日は体育があるのに、このままでは学校に行けない。

 半袖の体操服ならあるが、新学年に進級して間もない四月の上旬に、半袖ではまだ肌寒いだろう。

 あとは……兄の柱基の長袖を借りるという手も考えたが、六年生の柱基の服を、四年生の春花が着たら、ダブダブになるのは目に見えていた。

 どうしたものか?と窓の方に目をやる。

 すると、カラーボックスの上にランドセルが乗っていたが、そのランドセルの上に、見慣れない何かがあるのに………

「って、あった!あったあったッ」

 十八は急いで駆け寄ると、ランドセルの上にたたんで置かれた体操服を取り上げた。

 それを見た春花が思わず「あっ」と声を上げる。

「そうだ、昨日部屋に持ってきたとき、明日使うと思ってランドセルの上に置いてたんだ」

 照れくさそうに笑う春花に、十八も苦笑を返した。

「見つかったんだし、早く着替えなさいよ」

「はーい」

 うれし気な返事を聞いて部屋を出ると、隣の柱基が部屋から顔を出してくる。

「春花はどうしたの?何かあった?」

「いや、もう解決したから、大丈夫」

「そう。ならいいや」

 そう言うと、顔を引っ込めた。

 ちょうどその時、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴る。

「はいはーいッ」

 春花の部屋を出てすぐの階段を下りながら返事をする。

 声の主はきちんと返事を聞いてから、引き戸の玄関の扉を、ガラガラガラと勢いよく開いた。

「おはようございますッ」

「おはようございまーす」

 元気なあいさつと共に現れたのは、柱基や春花と同じ体操服を着た、男女の二人組みだった。

「ああ、おはようーりんちゃん、だいちゃん」

 階段を下りたところで、あいさつを返す。

 背の高い、一見すると男の子と見紛うようなショートヘアと、クリクリした大きな目の女の子の方が凛。

 その隣の、少し背の低いスポーツ刈りで、同じくクリッとした目の男の子のほうが大。

 二人はすぐ近くに住む火浦ひうらさんちの姉弟で、柱基や春花の幼馴染みというだけでなく、家族ぐるみでお付き合いをしているご近所さんだ。

 二人の他にもう一人、れつという二歳上の兄がいて、火浦家は男・女・男の三人兄弟なのだが、凛と大は、ちょうど柱基と春花と同い年なので赤ん坊の頃から仲良くしてもらっている。

「おおーい、凛ちゃんと大ちゃんが来たよ~早くしなよ~」

 十八が二階に向かって声をかけると「わかってる~」「はーい」という声が返ってきた。

「もうすぐ来ると思うから、ちょっと待っててね」

「はい」

「はーい」

 少しはにかんだような二人の返事を聞くと、台所へ戻る。

 そこで先ほどお湯に浸けておいた食器類を、食洗機の中へ並べていく。入り切らない物や、大きくて入らない物は、よけておいて後から手洗いした。

 食洗機も独身の頃は金持ちの贅沢品かと思っていたが、一度使い始めると、もうこれ無しではやっていけないッ、と思うようになるのは、なんだか怠惰が加速してるようで、少し怖い気もする。

 食洗機に食器を入れている間に、柱基と春花がドタドタと二階から降りてきた。

「おはよう、凛ちゃん、大ちゃん」

「おはよー、凛お姉ちゃん、大ちゃん」

「おっはよー、柱基、春花ちゃん」

「おはよー、柱基兄ちゃん、春花ちゃん」

 玄関で合流した四人は、それぞれであいさつを交わし合う。

「あー春花ちゃん、今日はマスターカプセルだねェ~」

 凛がそう言うと、春花はうれしそうに「エヘヘへ~」と笑った。

 凛に言われて十八も気付く。

 寝起きのままの柱基はボサボサ頭のままだが、春花の方は、あの短い時間で寝癖のついたミドルヘアをキチンとヘアブラシでとかし、左側に飾りのついたゴムの髪留めを付けていたのだ。

 その髪留めの飾りが「カプセルモンスター」という有名なゲームに出てくる、マスターカプセルというボール状のアイテムにそっくりなのだ。

 そして、その髪留めは、春花の一番のお気に入りなので、気付いてもらった春花はとても喜んでいたわけだ。

 女の子同士特有の尊い光景だが、今日は割と遅めの時間になっている。十八はチラリと玄関に据えた時計を見て声をかけた。

「柱基も春花も、いい時間になってるけど、忘れ物はないか?お箸は入れたか?水筒は持った?」

「持った~」

「大丈夫だよ~」

「そか。じゃあ、四人とも気をつけてな。それと、柱基も春花も、お母さんは夜勤明けだから、帰ってきた時に寝てたら静かにしてなさいよ」

「わかってる~」

「はーい」

 返事の後「いってきまーす」の声が四つ響く。

 十八が「行ってらっしゃい」と応えると、玄関がピシャリと閉まった。

 閉まった玄関の向こうで、かすかに「柱基、算数の宿題やった?やってたら見せて」「えーッ!凛ちゃんまたやってないのォ~」というやり取りが聞こえたが、それもやがて遠のいていく。

 いつもこの瞬間は、家の中が急にシーンとなった気がして、妙に寂しい気分になる。

 いつか子供たちが独立して、この家を出た時には、こんな気分が毎日続くのだろうか?

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