第60話 亜人の少女、気絶する
◆港町アクレアナ・ホテル前◆
「……まずい……非常にまずい」
ミオンがアネラをぶちのめしてから、ほぼ丸一日が経った。
経ってしまった。
つまり今は、約束の三日──夕方。
日付的には約束の三日後ではあるが、今日中に出発するとクロアは言っていた。
もう日も暮れて夕方……今から出発するなんて考えられない。
つまり、約束の時間に間に合わなかったということだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……!」
ホテルの前でうろちょろしている
このままここにいても時間とともに事態は悪化する一方だ。でも上に上がりたくない。何故なら修行の密度が五倍になるから。
しかしここは高級ホテル。いつまでここにいても、ホテルのスタッフから衛兵に通報されかねない。
「くぅっ。焦りすぎて向かう方向間違えたのが敗因か……!」
ミオンは別に方向音痴という訳では無い。小さい頃から森で遊んでたから、方向感覚はいい方だ。
これも全部、『修行の密度五倍』という魔法の言葉のせいだ。
混乱に混乱を重ねたせいで、感覚が麻痺してしまった。
「うぅ、どうしましょう……」
とりあえず噴水の近くにあるベンチに座り、深々とため息をつく。
こうしていても意味はないということはわかっている。
わかってるけど、こうでもしないとやってられない。何故なら行ったら最後、地獄が待っているから。
まあ、地獄を先送りにしても意味はないのだが。
──と、閃いた。
「あ、そうか。行かなきゃいいんだ」
行ったら地獄が待っている。
なら行かなければ、地獄はない。
「……逃げようかな」
それしか生き延びる術はない。
いや、クロアとウィエルのことだから、殺されるなんてことはないと思うが。
それでも、死んだ方がマシという修行が待っているに違いない。
送り出してくれた仲間たちには申し訳ないけど、命あっての物種だ。
「よしっ、逃げる……逃げるぞ、私……!」
「誰からだ?」
「それは勿論鬼畜将軍からです」
「ふむ。鬼畜将軍からは逃げられる保障は?」
「はは。そうなんですよねぇ」
そもそもクロアとウィエルから逃げられるとは思えない。
逃げたとしてもあの二人のことだ。絶対捕まえに来る。そうなったら密度五倍じゃすまないだろう。
「試す前から諦めるのは良くない。人生は一度きりだ。やってみたらどうだ?」
「そ、そうですよね! 私、やってみ……………ん?」
気付いた。
今自分は、誰と話してるんだ?
硬直する体。でも頭は何故かフル稼働している。
この感覚には覚えがある。
あの時だ。ドラゴンに食われかけた時に感じた、死を直前にした感覚。
いや、今回のはそれよりも酷い。
口の中が乾燥し、冷や汗が滝のように流れる。
ミオンは絶望を受け入れるように、ゆっくりと声がした方を振り向くと。
「おかえり、ミオンちゃん」
「待っていましたよ」
この時、人間が取れる方法はただ一つ。
「──ぁ」
思考を遮断した、気絶だった。
「やり過ぎたか」
「これからは精神的な訓練を取り入れないとダメですねぇ」
気絶したミオンを前に、クロアとウィエルはいつも通りの会話を続けた。
「まだ三日目だから、間に合ってるんだがな……これから出発すれば問題はないし」
「でも気絶しちゃいましたよ」
「気絶したまま運んでもいいが、それじゃあ修行にならないからな。今日は休んでいくか」
クロアがミオンをお姫様抱っこで持ち上げてホテルに向かう。
ウィエルは少し羨ましそうに口を尖らせたが、直ぐに並んでついて行った。
「出発は明日の朝ですか?」
「そうしよう。ミオンちゃんも疲れてるだろうし、無理やり起こすこともない」
「修行の密度の話は?」
「約束の三日には間に合ったが、出発には間に合わなかったってことで、三倍で許してやろう」
「……ふーん」
クロアの言葉に、ウィエルはジトーっとした目を向けた。
「なんだ?」
「ミオンちゃんにはお優しいと思って」
「そうか? 相応の対応だと思うが」
「ぷい」
ついにはそっぽを向いてしまった。
けどクロアはわかってる。こうやってそっぽを向いてるのは、構って欲しい証拠だ。
「何して欲しい?」
「! お姫様抱っこ!」
「はいはい。戻ったらな」
「えへへっ」
満足したのか、ウィエルは嬉しそうにクロアに寄り添う。
クロアも優しい微笑みを浮かべ、ホテルへと戻って行った。
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