ChapterⅨ

『Angel's Right Arm』1/3

 私は声が出なかった。

 何か、思い出さなくてはならないことがある気がして、必死に記憶を遡り続けていた。



「私は……」


「ベル、しっかりしてください!」



 ルフトラグナの声も遠くに聞こえる。

 耳鳴りがして、心臓の鼓動が早まって、ただ俯いて砂を眺める。



「思い出せないか……いや、当然か。通常通りの転生を果たしたなら、前世の記憶は残らないものだ」


「な、なんで……そのことを……」


「……永い時の中にある儚い記憶だ。無理に思い出す必要はない。終わるまで、じっとしていてくれ」



 シリウスはどこか悲しげにそう言うと、勇者の剣を構えた。



「勇者の意志を継ぐ者達よ。私は少し体がなまっている。少々戯れに付き合ってもらうぞ」



 そんなことを言った瞬間、空が黒く塗り潰される。

 太陽は隠れ、あの二つ目の太陽だけが天に輝く。

 すると静かに、ポツっと一滴の雫がルフトラグナの頬に当たる。



「これは……雨?」



 ルフトラグナがその水滴を左手で拭うと、指が真っ黒に染まっていた。



「まさかこれは、渾沌色の力ッ!?」



 エストレアがそれに気付くと、すぐさま魔法で水の膜を張る。

 しかし、その隙は大きい。

 地面を蹴り、一瞬でエストレアの懐に潜り込んだシリウスは、無表情のまま呟く。



「────さらばだ、妖精王」



 剣が振り払われ、エストレアに大きな傷が与えられた。

 致命傷には見えないが、様子がおかしい。



「うぁっ……これ、は……」


「また開花されては面倒だ。【フロラシオン】は奪わせてもらう」



 刹那、エストレアから光の塊が飛び出したかと思うと、それはシリウスの体へ移った。



「エストレアッ! ……何故だ魔王。アニムスマギアは魂の力だ! お前も持っているはずなのに、なぜそんないくつもアニムスマギアを保持出来るッ! お前も複数の魂を持つとでも言うのか!?」



 倒れたエストレアに寄り添いながら、ヘルツはシリウスを睨んで言う。



「以前は二つの魂を持っていたが、今は一つだ」


「なら何故……!」


「……私のアニムスマギアは【神星こうせい魔法】。名はなんでもいいが、アニムスマギア、魔力の根源こそが私なのだ。お前たちの持つアニムスマギアも、その辺に漂う魔力も、全て私あっての力だ」


「そんなことがあるのか、それじゃあまるで世界の一部じゃないか……」


「なかなかに勘がいいな。そうだ。私は世界の一部となったからこそ、終焉もよくわかる。……さぁ、もう少し楽しませてくれ。もっとお前たちの悪意をぶつけて見せろ。そうすれば、より確実にへ至るのだから」



 白髪を揺らし、シリウスは再び剣を構える。

 黒雨が降る中、周囲が徐々に暑くなっていく。



「……ルフトラグナ、私には右腕を取り返せそうにない。時間を稼ぐから、その間にベルを正気に戻せ」


「そんな……お、囮役ならわたしがやります! いくらでもやりますからっ!」


「駄目だ。弟子に出来ないことをさせるわけにはいかないからな────魔王シリウスよ、少々荒々しくなるが、私の演奏に付き合ってもらおうか!」



 ヘルツは杖を構え、慣れた手つきで、流れるように音を奏でる。



「【豪雨魔術プルヴインスティーゴ】【暴風魔術ウラガーノ】【落雷魔術フルモバート】……クンファンディー、集中砲撃! 【災害魔術カタストロフ】ッ!!!」



 雨、風、雷の三つを融合させ、別の魔術へ派生させたヘルツは、シリウスに向けてその災害塊を解き放つ。

 ただでさえ広範囲に大地を破壊しそうなそれをまとめて放てば、他のどんなものにも及ばない超高威力となるだろう。


 だが、しかし─────



「魔術か……まさかそのような使い方をする人間が現れるとは夢にも思わなかった。誇るべきものだろう。……しかしな、それでも私に及ぶことはない」



 シリウスはそう言うと左手を突き出し、ヘルツが放った嵐を受け止め、上空へ方向を変えてしまう。

 【災害魔術カタストロフ】はそのまま上へ上へと昇り、二つ目の太陽と衝突すると消えてしまった。



「……おい魔王……あの太陽はなんだ? 私の魔術が吸収されるほどのもの……一体どうやって用意した」



 夜よりもくらい天に輝く、ただひとつの青い星……。

 災害を呑み込んだそれに、ヘルツは知的好奇心半分で聞いた。



「何百年かけて魔力を生成し続け、遂に成長した星だ」


「魔力の根源は自分自身だと言っていたな。アレを使って何をしようとしている」



 ヘルツはそう問いかけながら、右手の杖を後ろに隠して振っていた。


 私は見ているだけで、何も出来ない。

 何かをしようともせず、ただの観客のように傍観する。

 あの二人の間に入っていくのがたまらなく怖いのだ。

 見せつけられた魔王の圧倒的な力の差……殺されるという恐怖に打ち勝つことは出来ない。

 私の覚悟はその程度のもので、誰かが引っ張ってくれないと前へ進めない。


 シリウスの言葉を聞いたところで、真実を知ったところで……私は絶対に何も出来やしない。

 そんな思いが積もっていく。



「この世界には、《サイハテ》と呼ばれる神器がある。簡単に言えば『神ではないものが神に成る』ための道具だ。それをこの手に顕現させるため……星一つ分はくだらない膨大な魔力と────」



 シリウスは言葉を切り、ゆっくりと、ルフトラグナへ指を差した。



「天使が必要だった。媒体にする部位はどれでもいいが、腕であることに意味がある。……そう、この腕、この手で、掴み取るッ!」



 遊びは終わりだと言わんばかりに、シリウスは勇者の剣を突き立てると右手に《天使の右腕》を出現させる。

 何日も経っているはずだが、その腕に劣化は何一つ見られない。



「私は神に成るッ! そして神界への道を拓くのだッ! 片腕の天使よ、お前が何故この世に降り立ったのかは理解出来ないが、お前が居なければこうしてチャンスを得ることもなかった。心の底から礼を言う」


「それじゃあ……わたしのせいで……。そんなのダメです! ヘルツさん! 腕はどうなっても構いません! 今すぐ止めてくださいっ!」


「言われずとも────ッ!」



 ヘルツが杖を振り払い、時を止めようとした瞬間……勇者の剣が独りでに動き出し、ヘルツを斬り飛ばす。



「これで止められる者はいなくなったわけだ。それにもう遅い。渾沌色による黒雨がこの星を黒く塗り潰した時、星は崩壊する。その崩壊時のエネルギーを利用すれば、異色の力も使って神界への道も拓ける……」


「な、ならこの雨を止めれば、少なくともあなたの目的を阻止することが……!」


「無駄だ。海色の力は永久なる水源。組み合わせてしまえば止めることは不可能……いや、ひとつ活路があったな。どうしてもと言うなら、私を殺すことだ」



 勝てるかどうか……いや、殺せるかどうかもわからない相手に、殺す覚悟もない奴がぶつかっていって何が得られる。

 私にはそんな覚悟はない……一生するべきではないとして完結させた。

 どんな状況になっても、『死』だけは避けるべきだと思うようになった。


 今、記憶が無くても、この世界でルフトラグナたちと過ごした日々はとても楽しかった。

 それだけで守る理由に……生きる理由になる。


 彼には殺される覚悟もある。

 これまで出会った側近たちもそうだった。

 皆、魔王のため、あるいは自分自身のために、生ではなく死を選ぶことに躊躇がなかった。


 ────いや、そうか。

 彼らには、この世界に生きる理由がないのか。

 とうの昔にこの世界に絶望し、今こうして彼らなりの希望に託している。

 だが、私の望む結末には至らない。



「殺さない……絶対に生かす……」


「そんな甘い考えでよくここにいるものだな。私にはもう、生きる理由はない。戦うならば死ぬ気で、殺す気で来い。……そうでなければ、私は……」


「いいや殺さない。当然死ぬ気もない。私はこの考えを曲げるつもりは、一切合切…絶対にないから。……だから……あなたを巻き込んで、一緒に生きて……っ、ぐすっ……あれ……? なんで涙が……」



 前にも似たようなことを言ったことが、ある……ような気がする。

 なんだか胸の奥が熱くなって、涙が溢れて止まらない。

 『一緒に生きよう』……その言葉が、とても懐かしく思う。



「……神は世界を見放した……もう終わるしかないこの世界で生まれ、なぜ、どうして、私だけが他の生物とかけ離れてしまっているのか…………同族もなく、永遠の孤独を宿命とされたそんな私に、声をかけてきた人間がひとりだけ居た」



 シリウスはそう言うと、ルフトラグナの右腕を地に起き、細かく編まれた魔法陣を展開する。



「その人間の名は『ベル』だ。私がかつて、生きる理由とした少女だ。だがもう居ない。居ないはずだ……死んだ彼女の魂は呼び戻せず、二つある私の魂の一つを与えたがまた彼女は死に……転生処置が行われれば記憶はリセットされる。……そこから生まれた者は、ベルでも私でもなく、別の存在だ。……なのに、どうして顔も、姿も、声も、思考も、何一つ変わらずベルのままなんだ……」



 シリウスは歯を食いしばると、天を見上げて大きく息を吸う。



「神よッ! なぜ彼女でなければならない! また彼女を使って……!」



 その声は虚しく、シリウスは言っても無駄と判断したのか顔を俯かせ、展開した魔法陣をじっと見つめる。



「あぁ、終わらせよう。これ以上苦しまぬように……。星よ墜ちろ、最果てへ至るために。天腕よ導け、最果てへと。顕現────」



 その瞬間、天の孤独な青い星から無数の光が流星群のように降って、それらは《天使の右腕》に集まっていく。

 今にも弾けて消えそうな魔法陣は震え、何人なんぴとたりとも近付けさせまいと凄まじい熱波を放つが、ルフトラグナが翼を広げて私を庇ってくれていた。



「うぐっ……あっっ!!」


「ルフちゃん!? つ、翼が燃えて……もういいよ、私なら大丈夫だから! アニムスマギアでどうにかして……あれ、音色が響かない……どうして……響けッ! 響いてよッ! なんで、今守れなきゃ意味がないのにっ!」


「……ベル、絶対に守ります……約束、しましたから……」


「ルフちゃ………」



 ルフトラグナの白い翼は燃え、どんどん勢いを増していく。

 黒雨はより激しくなり、もう見える景色のほとんどが黒く塗り潰されていた。


 【音色トーン】は響かない、運命も殺せない。

 魂が自分のものではないような気がして、アニムスマギアが使えなくなっていた。



「腕を斬られた……いえ、ここに存在していたわたしのせいですね……」


「ち、違うよ……ルフトラグナのせいじゃない……! だから……!」


「ベルならきっと大丈夫です。誰かの生きる理由になれます。……魔王だって、きっとこんなこと望んでないはずなんです……だから、諦めないでください……【白色魔法リヒトア】」



 透明な涙を零すと、ルフトラグナは私たちを覆うように光の翼を広げる。

 暖かく……倒れている者たちの傷も癒えていく。

 ルフトラグナは私に微笑むと、立ち上がって光の翼の外に出る。

 燃えていく翼を広げ、左腕もめいいっぱいに大きく開き、私たちを庇う。



「みんな、大好きですっ───────」



 私はルフトラグナを連れ戻そうと右手を伸ばす。

 刹那、凄まじい光が瞬き、私たちは皆、光に呑み込まれた。

 行っちゃダメだ、という言葉は……届くことを許されなかった。


 ────たったの一秒だった。

 目の前にはサハラ・レイの姿をしたシリウスではなく、角の生えた真っ黒な骸骨を中に取り込んだ白いスライムのようなモノが佇んでおり……ルフトラグナの姿はなく、ルフトラグナが立っていた場所には綺麗な白い砂が山になっていた。


 光翼の結界から出てしまった私の右腕は無くなっていて、その腕には同じく白い砂が付着していた。


 たった一つの、白い羽根がゆっくりと落ちて……私はルフトラグナが死んだことを認識せざるを得なかった。



「ぅぁ………………」



 右腕が消えた痛みなんて感じる暇もなく、砂の上に涙が落ちる。



「私も守るって、言ったのにっ……」



 白い羽根を左手に乗せ、微かに残る温もりを感じる。

 ヘルツは愕然とした表情で、理解が追いついていないようだった。

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