『Angel's Right Arm』2/3
「────コレが……《サイハテ》……」
この異形の姿こそ、シリウスの本来の姿なのだろう。
人の皮を脱ぎ捨て、どの種にも属すことのない生物へ変貌を遂げる。
半白濁色のゲルが手のように変化し、空中に漂う光に触れる。
「今こそ悲願を成し遂げよう。《サイハテ》ッ!!!」
ゲルの中に取り込まれた《サイハテ》は砕かれ、ボコボコと沸騰し始める。
「ベル! 一度転移して態勢を立て直す! こっちに来いッ!」
ヘルツが手を伸ばして叫ぶ。
でも、逃げたところでどうすると言うんだ。
「逃げ場などない」
シリウスはその言葉を最後に、天へ飛翔する。
ふと、ミシミシと何かの音が聴こえた。
真っ黒な空に何かがあると思った瞬間、それは急激に膨張していく。
大地が……いや、星が震えて、逃げ場がないという意味がよくわかった。
渾沌色の空に、角の生えた巨大な頭蓋が口を開けて見下ろしている。
肋骨が伸びて、この星に突き刺さっていく。
星は丸ごと、この黒骸に取り込まれてしまったのだ。
今も尚、黒く染っていく星と、星を抱える黒い骸骨。
天は黒から歪み、禍々しい渾沌色に変わっていた。
「なんて大きさだ……これが、神に成ったということなのか……」
「魔神…………」
今にも星を喰らいそうな頭を見上げ、私はどうするべきなのかを考えていた。
しかし正直のところ、全く冷静になれない。
シリウスと私の関係や、ルフトラグナの死……そしてこの魔神の姿は、私の冷静さを欠くのには充分すぎる。
こんな時、勇者なら立ち向かっていくのだろうか。
こんな時、ルフトラグナが居てくれたら……。
「私……一人じゃ何も……」
そう呟くと、私の目の前に立ったヘルツが手を上げて……私の頬に打った。
私はなぜ叩かれたのかわからず、ジンジンと痛むの頬を押さえながら呆然としていた。
「今やらずして何とするッ! 確かに私は二人ならどんな困難も乗り越えられると言ったが、どちらかが死んだら何も出来ないとは言っていないッ! お前たち一人一人、充分に強くなったんだ! だからこそ、ルフトラグナは私たちを守ることが出来た!」
「そんなことわかってる……! おかげで強くなった……強くなれた! でもこの現状だ! 誰が何をしても、もう……無理だよ……」
「ベル、お前なら変えられる! 今立ち向かわなくては、もう後には引けないんだぞッ!」
「無理……駄目だよ……。だって私は、ベルじゃない……」
「なに……?」
そう、気付いてしまった。
シリウスが言っていた『転生処置』というのは、死んだ者の魂の浄化……これまでの一切をリセットするという行為だ。
浄化された魂は所謂『前世』を思い出すことはなぃ……が、しかし、極々稀に不完全な者が現れる。
思い出すことはなくとも、その魂には残っていた。
「私は……いや、私になる前のベルがこの世界で死んだ時、その魂は失われた。魔王……シリウスが言ってたことが本当なら、その後残った体に別の魂が入って、ベルに成り代わった……」
「だからお前はベルではなく、シリウスであるとでも言いたいのか?」
「…………意味わかんないよね、私は私だと思ってるのに、本当は全くの別人だなんて。『魔王と同質の魔法』……側近の一人にそう言われたんだ。そりゃ、元があの魔王と同じ、というより本人なんだから当然だよね……」
急にアニムスマギアが使えなくなったのは、私自身の問題だ。
魂が自分のものではないと知り、力を思うように発揮出来なくなった。
「私……どっちなんだろ……」
魂の元であるシリウスでも、ベル本人でも、ましてや転生しているので一条鈴でもない。
自分自身が一体何者なのかという、本気で考えてはいけない領域に足を踏み入れていた。
「……お前はお前だ。いいかよく聞け。お前ではないベルは既に死んでいるが、恐らく今、お前の中にいる。そしてベルに成り代わった魔王の魂もそこにいる。二つの魂があるからこそ、お前は二つのアニムスマギアを持っていた」
「だからその二つを持ってる私は魔王でもベルでもない! この世界でベルは死んだ! シリウスも死んだ! そして別の世界に転生して、一条鈴としてまた死んだ! またこの世界に戻ってきて、今度は死んだベルの魂もこの体に定着した! もう私は私が誰なのかわからないよ! こんなんじゃ……生きてるって言えない……」
「あぁもう、馬鹿なのか! 私もルフトラグナも、この場にいる全員、お前しか知らない! 魔王も、ベルも知らないんだ! いいか、私たちはどっちでもない、お前自身に言っている! 私は、お前だから術を教えたし、ルフトラグナもお前だから守ったんだ!」
「私……だから……」
「お前はお前で在り続けると、言っただろう。私はお前の音色が好きなんだからな」
「そっ……か……。いや、そうだった……私は私だ……転生とか、二つの魂とか関係なく、全部一つの『私』なんだ……」
以前に、ヘルツに言われたことだった。
二つで一つ……とは少し違うかもしれないが、これまでの全てが私という人間を構成している。
誰でもない私……シリウスでもベルでも一条鈴でもない私……。
「……私は私だ。これからも変わらず、ベルだ! 誰でもない、新しい私だ! 過去、シリウスの生きる理由にベルがなれたのなら……私も、自分が生きるだけじゃなくて、誰かの生きる理由のひとつになれるのなら! そうで在りたい! ベルで在りたいッ!」
シリウスにも聞こえるように、私は天へ叫ぶ。
「ありがとう、師匠」
「こんな時に冗談か?」
「ちょっとね。言いたかっただけ」
「……そうか。お前たちの師で良かったよ。心の底からそう思う。あの時、森で出会えて良かった」
「うん。だってこれは、私が選んだ運命だから……」
残されたルフトラグナの右腕を拾うと、私は自分の右腕と断面を合わせる。
「
合わさった断面に魔法陣が展開され、徐々に傷が塞がっていく。
神経が繋がり、私は右手を握る。
小さな手……左手と大きさの違う腕は少し違和感があるが、じきに馴染む。
「みんな、ちょっと運命変えてくるよ」
「ひとりで大丈夫か……?」
「一人だけど、独りじゃないから、平気だよ!」
私は元気よくそう答える。
ルフトラグナの羽根が輝いて消えると、背に光翼が生える。
ルフトラグナは、ここにいる。
「来い! プロテアス!」
すると、砂に埋もれていた指輪が宙に浮き、刹那、剣と化して私たちの右手に戻ってくる。
「すぅぅ…………」
大きく息を吸って、グッと翼を広げて力を込める。
「行っっけぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」
その掛け声と共に、天へ飛翔する。
どこまでも遠く、広いそこへ、懸命に羽ばたいて行く。
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