8話目『向き合う日』

 ーー王宮


 そこでは現在、国王マーズ=エルドラゴンによって聖ミハエル騎士団の幹部が集められていた。


「聖ミハエル騎士団。未だにリンカは見つからないのか?」


「はい。全軍をもって捜索していますが、見つかりません」


 騎士長サエルはそう返答を返す。

 国王は娘のリンカが帰ってこないことに苛立ちを覚えていた。


「ふざけるな。早く私の娘を連れてこい」


 マーズは激を飛ばす。


「国の外へ通じる門には全て我が兵が待機しております。少なくとも国外へは出ていないと思われます」


「お前たちは本当に見つけられるのか」


「はい。お任せください」


 国王はじっとサエルを見つめる。

 その視線に臆することなく、サエルは静かに頭を下げていた。


「まあ良い。すぐに見つけ出せ。今日までに見つけろ。全軍をもって捜索に当たれ」


「承知致しました」


 そう言い、サエルたちは王宮から去り、失踪したリンカ探しを開始する。




 リンカを探す兵たちを、宿屋の窓から魔王は見ていた。


「なあリンカ。お前、この国の王女らしいな」


「知っちゃったんだ……」


 リンカは自分の運命を悟り、悲しさを滲ませ、俯きがちになっていた。


「それじゃあここでお別れだね。少しの間だったけど、ありがとう」


 リンカは帰ろうと背を向けた。

 だが魔王は扉の前に移動し、開けようとした扉を塞いだ。


「え!?」


「リンカ。俺は約束しただろ。お前を拾ってやるって」


「でもそれは一日だけでしょ。それにこれ以上私と関わっても迷惑をかけるだけだよ」


 リンカは魔王に世話になった。

 魔王は優しい人だと、そう知ったから、魔王には迷惑をかけたくなかった。

 だから扉のドアノブを握り、開けようとする。それを魔王は押さえつけたまま、扉を開けさせようとはしない。


「お願い。私のこのまま逃がしてよ。私をこのまま帰らせてよ。もう良いんだよ。私はあなたに迷惑をかけたくないんだよ。それを分かってよ」


「迷惑、そんなもの俺はどうでもいい。ただひとつ気になることがあってな。どうしてお前は家出なんかしたんだ?」


 魔王はリンカの目を真っ直ぐに見て、そう質問をした。

 リンカは目を逸らし、表情を曇らせる。


「それを教えてくれないか。お前には何か家出をした理由があるのだろう。親子喧嘩か」


「…………」


 リンカは沈黙しているが、おそらく図星だろう。


「話したくないのなら話を聞いてくれ。これは俺の子供の頃の話だ。世の中に希望というものを抱いていた生誕の瞬間、それが一瞬で黒く染められた日々の話を」


 魔王はベッドに腰かけ、何十年も前のことを思い浮かべながら、その日のことを話し始める。


「俺が生まれたのは汚い小屋の汚い布の上。清潔とは無縁の場所で生まれた。父は魔族、母は人間だった」


 魔王は綺麗なベッドの布を見て、少し表情が濁る。


「俺の父と母はいつも喧嘩ばかりしていた。そのせいか、時にその喧嘩が俺に飛び火することもあった。殴られるのなんかは日常茶飯事で、飯を食べるよりも殴られた回数の方が多かったかな」


 その日のことを思い出しては、今でも全身の傷が痛む。

 今ではもう治っているはずなのに。


「それでも俺は両親を愛していた。他に出会った人がいなかったからな。この世界には俺と父と母の三人だけだと思っていたから、俺はこの日常を何ら不思議と思わず、平然と過ごしていた。

 だがある日、俺の家の近くで子供たちが遊んでいた。家の壁は薄かったから、外で遊ぶ声は駄々漏れで、この世界にはもっとたくさんの人がいることに気づいた」


 足を組み直し、話を続ける。


「その日以来、俺は自分が置かれている状況に疑問を抱いた。今俺が置かれている状況は正しいものなのだろうか。本当は間違っているんじゃないか。そう思った時、俺は気づけば家を飛び出していた。丁度今日の日と同じ青い空だった」


 明るく青い空を眺め、その日のことを鮮明に思い出していた。


「それから俺はイェリクサーという女性に拾われ、それから悪事を働き続け、気づけば魔王と呼ばれるようになっていた。父と母のことなんかはすっかり忘れてーー」


 そこで魔王は過去のことを話すのをやめた。


「という具合に、俺はもう父と母には会えないし、会うつもりもない。リンカ、お前はまだ会えるんじゃないか。もう少し家族を大切にした方が良い。そうしないと、きっといつか後悔する」


 魔王は知っている。

 もう言えない後悔を。

 もう会えない儚さを。


「リンカ、どうして家出をしたんだ?」


「お父さんと……喧嘩をした。だから城から飛び出して、私は一人で逃げてきた……」


「喧嘩か。原因は何だ?」


「お父さん、ラファエロとかいう人と何か危ない実験をしていたの。それでお父さんにやめてって言ったら、お父さんが怒っちゃってさ……」


「ラファエロ!?」


 ラファエロ。

 それはイェリクサーを殺した因縁の相手であった。


「リンカ、今ラファエロと言ったのか!?」


「そ、そうだけど……どうかしたの?」


「ああ。ラファエロは俺が倒さなくてはいけない恨むべき相手だ。俺はあいつに大きな恨みがある。だが居場所が分かったのなら話は早い。どうせレイを拐ったのはあいつだろうし」


 魔王はラファエロへ近づく機会を見つけ、この好機に微笑んでいた。


「なあリンカ。その実験って一体なんだ?」


「分からないけど、何か目の研究をしてたよ」


「眼の研究?」


 それを聞いて真っ先に思い浮かべるのは、レイの眼に宿っている、視界に入った生命を抹消するという不思議な力。

 もしそれが故意に生み出された力であったとしたら、その力を消すこともできるかもしれない。


 魔王はそんな期待を抱いていた。


「まさかこんな簡単には手がかりを掴めるとは」


 魔王は喜び、リンカの頭を撫でる。


「ありがとな。おかげでまだ生きる希望を捨てずに済んだ」


 魔王の目には光が戻る。


「リンカ。父と仲直り、できるか?」


「分からない。でも怖いよ。お父さんと顔を合わせることだって、今の私は怖いんだ」


 リンカは脅えている。


「リンカ。向き合うことは怖いし、臆病になっても仕方がないことだ。だから実際、逃げることは間違ってないし、その選択を選んでも良いんだ」


 ーーだけど


「だけど、いつか別の場面で向き合わなくてはいけない日が必ず来る。俺にだってその日はあった。だから、だからリンカ、向き合うのは別に今じゃなくても良いが、向き合えるのなら今が良い。親というのは、かけがえのない存在だから」


 ふと、思い出していた。

 リンカは父と母と過ごした日々を思い出していた。


 あの日に戻りたい。

 もしあの日に戻れるのならーー


「レイシー。私、怖い。でも、向き合う」


 リンカは震えていた。

 それでも確かに真っ直ぐに前を見ていた。


「それでは行こう。王宮に乗り込むぞ」

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