王女騒動編

7話目『リンカという少女』

 魔法国家エルドラゴン。

 そこはかつて龍によって護られていたという歴史が残る国であった。

 しかし今では龍の姿は全くなく、見ることのない虚構の中へとその姿を消していた。


 龍という存在が伝説上のものとなってしまった今、人々は龍への感謝など忘れ、反映する国で静かに暮らしていた。



 魔王はレイを失い、宿屋の裏路地で悲しんでいた。


「大精霊、俺は何か間違えていたのか」


「いいや。あなたは何も間違えていない。ただ私の力が足りなかった。それだけです」


 大精霊もまた、自分は弱いのだと、そう嘆いていた。


「大精霊、今度は城にでも攻め込むか」


「そうしたいけど、魔力がない。それに……またイェリクサーのようになってしまうかもしれない。私はそれが少し怖いよ」


 目の前で死なせてしまったからこそ、彼らを臆病にする。

 届いたかもしれないその手は、今は伸ばすことができないでいる。


 まるで全身を鎖に縛られたようだ。

 これが天罰か。

 魔王として、人々を恐怖に陥れてきた天罰なのか。


 そこへ足音が聞こえてくる。

 足音の主は頭上の方から聞こえてくる。何かと思って見上げてみれば、一人の少女が宿屋の屋根の上から落ちてくる。


「ちょ……助けてぇぇぇぇええ」


 少女は魔王の体を下敷きにして落ちてきた。

 少女に怪我はなかったが、魔王は下敷きになったため、ラファエロとの戦いの傷が広がっていた。


「痛て……」


「あ!ごめん。でもおかげで助かったよ」


 魔王を下敷きにしている少女は陽気に謝った。


「それよりも早くどいてくれ。傷口が広がる」


「ご、ごめん」


 少女はすぐに立ち上がる。

 魔王は広がった傷口を押さえながら、少女を不思議そうに見ていた。


「なあお前、どうして屋根の上なんかから落ちてきたんだ?」


「そ、それはね、ちょっと逃げてきたんだよ」


「逃げる?一体何から?」


「そ、それは……」


 リンカの目を見て魔王は察した。


「お前、何か悪いことでもしたのか」


「そ、そうじゃないよ。それは違う」


「じゃあ何で逃げてるんだ?」


「ねえ。少しの間で良いからさ、私を拾ってくれないかな?」


「……は!?」


 魔王は声を出して驚いた。

 リンカはすぐに魔王の口を塞ぎ、周囲を見渡している。

 人の姿がないことを確認すると、ほっと息をついて安堵し、魔王に聞こえる程度の小さな声で少女は言う。


「お願い。一日だけで良いから私を拾って。食事をいらないし、ベッドもいらない。掃除とか手伝ってほしいことがあったら何でも手伝うから。だから私を拾って。お願い」


 少女は真面目に言った。


 言えない事情があることは分かった。

 魔王はしばらく考えた後、こう質問を返す。


「君の名前は?」


「私はリンカ。ただのリンカ」


「俺はレイシー」


 そう言うと、魔王は立ち上がった。

 そして宿屋の入り口へと歩いていこうとする。その姿をリンカはじっと見つめていた。


 じっとしているリンカを振り向き様に見て、魔王は足を止める。


「何してんだ?」


「え!?」


「一日だけ拾えって言っただろ。それともこのまま追われている連中に捕まるつもりか」


「い、良いの!?」


「ただし一日だけだからな。それと、手伝いはちゃんとしてもらう。それが守れるのなら拾ってやる」


 リンカは嬉しそうに腕を上げ、魔王に抱きついた。

 魔王は抱きつかれるのに慣れていないのか、倒れそうになっていた。


「レイシーさん。ありがとう」


「礼はいらねえよ。丁度お前くらいのガキを失って寂しく黄昏ていたところだ。今さら一人増えようが変わらないってだけだ」


「レイシーさんって優しいんだね」


 魔王は頬を赤らめた。

 強張っていたリンカの表情はいつの間にか和らいでおり、すっかり魔王に懐いていた。


「レイシーの"シー"は優しいの"しい"なんだね。きっとあなたの両親はそういう思いで名付けたんだろうね」


 魔王は驚き、自分が名付けられた時のことを思い出していた。


「優しい……か」


 自分は優しくない。

 そう何千年も思っていた。


 なぜなら自分は魔王なのだから。

 世界を恐怖に陥れた大罪を背負う魔王であるのだから。

 そう自分を悲観し続けてきた魔王は、少女に二度も続けて"優しい"などという言葉をかけられたのだ。


 心が揺らがないはずがない。

 今まで自分がしてきたことを思い出し、魔王は自分の手を眺める。


(大精霊。俺の手はとっくに汚れているというのに……。こんな俺を優しいと言ってくれる人がいるなんてな)


 魔王は不思議な感情を抱いていた。


(そりゃあお前は意外と優しい奴だったってことじゃないのか)


(そうだろうか。俺が……優しい、か)


 魔王は静かに考えながら、宿屋へと入っていく。

 その後ろをリンカが追いかける。


 レイと借りた宿屋の一室では、今では魔王とリンカが暮らしている。

 魔王はリンカをレイと重ね合わせ、心の中で静かにため息を吐く。


 扉の戸がノックされる。


「お食事ができました」


「ああ。ありがとう」


 魔王は立ち上がり、部屋を出て外にいる従業員から食事を二つ受け取った。

 それを持って部屋へと戻ると、食事のひとつをリンカへと差し出した。


「え!?食事はいらないって」


「それでも食え。どうせ食事は余るんだ。だったら食ってもらった方が良い」


 リンカは恐る恐る食事を手に取った。


「本当に良いの?」


「ああ。餓死されても困る。だから気にせず食え」


 魔王はさりげなく促す。

 リンカはその食事を食べていく。

 腹が空いていたのか、リンカはあっという間に食事を食べ干した。


「はあ。美味しかった」


 幸せそうな顔でリンカは微笑んだ。


「食べたなら眠れ。今日は疲れただろ」


「うん」


 リンカはベッドで眠る。

 魔王はその姿を横目に、ふとレイとの日々を思い出す。


「レイ。すまないな。まだ俺は、お前を助けに行けそうにないな」


 魔王は自分の中にある霧のように見づらくなった心を誤魔化すために、夜の街を歩いていく。


 雲ひとつない青紫の空を見上げながら、魔王は街を歩いていた。

 夜の風が肌に優しく触れ、その風は傷口を軽く刺激する。


 その街を歩いていると、兵士たちが夜の街を歩き回っていた。

 彼らは誰かを探しているようだった。


「探せ。リンカ王女様はまだ近くにいるはずだ」


(リンカ……王女!?)


 魔王はその言葉を聞き、察した。

 リンカ王女、それは魔王が現在かくまっている少女であることは間違いなかった。


「リンカが王女か」


 魔王はそれを知り、宿屋へと帰っていく。

 その姿を一人の女性は見ていた。


 ーーあなたは今何のために生きているのでしょうか

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