第8話 才澤は鈴木に話しかける ①

 仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。

 一週間が経過して、街並みを変なフォームで歩くことに羞恥を感じる余裕はなくなっていた。そんなことよりも、仕事がないことに対する焦燥感が激しい。

 仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。

 勘の鋭い祥子が鈴木の状況を悟るのも時間の問題であるし、今に通帳にぼろが出るだろう。

 仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。仕事。

「こんにちは。鈴木さん」

 随分と大きい声が鈴木のことを呼び止めた。人ごみの中だったが、その声は確実に自分のことを呼んでいるとわかった。久々に呼ばれた自分の名字。ありきたりな名字だが、自分の名字だ。

 振り返ると、そこには鈴木と同じくらいの身長の女性が、両手を腰において堂々と立っていた。季節はもうすっかり秋。肌寒い季節にも関わらず、彼女の服装はとてつもなく短いパンツに、半そでのTシャツという明らかな夏仕様であった。いや、夏でも都会でなかなかこの格好は見ない。

 さらに、体はプロレスラー並みのたくましい筋肉で溢れかえっているのに、顔は小さく、人形のような童顔である不釣り合い具合が鈴木を戸惑らせた。強さと可愛さと子どもらしさが激しく喧嘩をしている印象である。

「俺のことを……呼びましたが」

 女性は大きく頷いた。

「はい、呼びました。私、才澤と言います。才澤晴河です」

 声には張りがあり、力強い覇気を感じる。

 しかし、誰だ。フルネームを聞いても思い当たる節はない。

「あの、誰ですか」

「才澤です」

「……」

「何の用です?」

「膝の話です」

 鈴木は今一度才澤の顔を見た。才澤は口角を上げたままこちらをじっと見つめている。鈴木と目が合って、一瞬首をかしげた。

 得体のしれない恐怖を抑え込みながら鈴木は尋ねた。

「何で、膝のことを?」

「一週間前にたまたま電車に乗る機会があったんです。いつもなら私の恰好に周りの人は不審な目線を送ってくるんですけど」

 やはりこの人の恰好はおかしいのだ。鈴木は自分の感覚が狂っていないことに安堵して相槌を打つ。

「その日だけは私じゃなくて、他の誰かに皆の目線が集まっていたんです。見てみると、膝が曲がらず、電車の中で転ぶあなたがいました」

 膝不動初日の話だ。もしかして。

「もしかして、あのときカバンを――」

「そうです、そうです。そのときの私です」

 あのときは正直周りを見ることができる精神状態ではなく、カバンを拾ってくれた人の顔などちらりとも見なかった。まさか、こんなに派手な女性だったとは。というか、膝が曲がらない転倒男と筋肉で覆われた派手女が電車の中で並んでいたのか。それならあのとき刺さった冷たい目線の半分はこの人に向けられたものだったのでは……まぁいい。

「それで、そのときのあなたが、俺の膝にどんな話を?」

「教えにきました」

 鈴木は首をかしげる。

「あなたの膝には、霊がついています」


 鈴木は踵を返した。何を言い出すかと思えば、霊か。時間を無駄にした。鈴木は心霊の類を信じない。テレビや動画で流れるものも全てが嘘だと考えている。

「ちょっと待ってください」

 後ろから才澤が追いかけてきた。

「本当なんです。あなたの足には霊がついているんです。話を聞いて下さい」

「嫌です」

「一週間ずっと言おうか迷ってて、ついに言う決断をしたんです」

「それはそれは」

「話を聞いてくださらないなら、仕事がないこと、祥子さんに話しますよ」

 鈴木の口が三角形になった。再び踵を返し、勢いよく才澤に詰め寄る。勢いよくといっても、気持ちだけだが。

 指を才澤に突きつけ、激しい口調で問うた。

「何で祥子の名前を知っている?」

「何でって、この一週間ずっと鈴木さんのことを調べていましたから」

「え」

 気持ち悪。あまりにも才澤が当たり前のように言うので、鈴木の動揺はしぼんだ。

「……私の仕事場にきてくださいますね?」

 鈴木は渋面ながらも頷かざるを得ない。弱みを握られてしまった。この女性が裏世界に精通していないことを祈るしかない。

「ありがとうございます。では早速いきましょう。仕事場はここから四キロくらい先です」

「遠い」

「走れば二十分もかかりませんよ」」

「見てくださいよ、俺の足。これじゃ走るどころか……」

「もちろん、あなたを担いで二十分です」

 才澤は突然鈴木を掴み、肩の上に軽々と持ち上げた。暴れる鈴木だったが、膝が曲がらない上に、才澤の安定感が抜群で、抜け出せるイメージが沸かない。

「じゃあ、出発します」

「やめて、恥ずかしいから。やめて、嫌だ。嫌だ!」

 才澤は走り始めた。人々の目線が二人に集中する。鈴木はあまりの恥ずかしさに赤面したが、才澤は何も気にしていない様子だ。みるみるうちに加速して、周囲にいた人のごみたちがスマホを構える前に、密集地帯を突っ切っていった。

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