第9話 才澤は鈴木に話しかける ② 

 狭い和室には、小さな仏壇があった。年老いた女性がその前に正座している。おりんを二回鳴らし、目の前で微笑む男性の写真に向かって女性は静かに両手を合わせた。

「ゆっくりお休みになってください……」

 仏壇の左右の花立には、見事な菊の花が飾られていた。それは女性が先日飾ったものだ。淡い花弁がいくつも寄り添う黄色の装飾は、一匹の生物がそこにいるような温かさがあった。

 高月にはお供え物のパイナップルと個包装の餅が何個か供えらえている。

 女性が閉じた瞼をゆっくりと開いた。

 その瞬間、女性の体は小刻みに震え始める。

 菊の淡い黄色の花弁が見る見るうちにしぼみ始めたのだ。色がどこかに吸い取られ、力をなくしていく。

 女性は震える体を自分の手で抱きしめ、正座の態勢を崩した。

 何か目に見えない力が菊に働き、それはまた広がっているように感じた。

 続いて、灯っていたろうそくの火が不意に消えた。息を吹きかけたわけではないのに、風になびいたように消えたのだ。さらには、高月の上に置かれたパイナップルまでもがその色を失い、仏壇から明るさが消える。

 気がつけば、女性は奥の壁まで後ずさりをして背をつけていた。

「何で、何で……」

 女性がか細い声でそう呟いたとき、色あせた仏壇に色が灯った。

 菊には赤、紫、白、桃の色がつき、パイナップルの表面は海のような紺の色に覆われた。ろうそくの火は三十センチ以上の火柱を上げ、茶陶器と仏器にはうっすらと肌色がにじみ、無数の亀裂が入った。仏壇全体が黄金の光を強め、おりんがひとりでに鳴る。              

 それらが同時に起こった。

 女性は枯れた悲鳴を上げながら仏壇の前を離れ、台所の隅でうずくまる。

 おりんの音が収まった後も数十分は体が震えて動けなかった。

 ようやく呼吸が整い、恐る恐る仏壇のある部屋を覗く。

 仏壇は仏壇のままだった。菊もパイナップルも黄色の色を帯びているし、ろうそくも静かに小さな炎を作り出している。

 女性の顔はやつれていた。

 台所の前にある食卓の椅子に座る。顔を覆うその手もまだわずかに震えていた。

 台所付近は小ぎれいだったが、逆にそれが閑散とした印象を与える。二人用の机に女性が一人。頭上の蛍光灯は弱弱しい光しか発しない。

 女性は机の上にある一枚のチラシに気がついた。朝刊と共にねじ込まれていた怪しげなチラシである。

 女性はしばらくそのチラシを眺めると、小さな声で呟いた。

「しぶつれい……」

 女性は暫時、何かを託すような目線をチラシの中へと注いだ。そして覚悟を決めたかのように、固定電話の受話器を手に取る。

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