第6話 鈴木は朝起きて異変に気がつく ④

 会社にて。

 男たちが机を囲んでいた。机の上には、社員の顔写真と社員の資料。会社の経営は切羽詰まっていた。今まで悠長にしすぎたのだ。もうどうしようもない段階にきてから焦っている。

 部屋は閉め切らており、異常なほど蒸し暑い。男たちの顔は真っ赤な上に汗で埋もれていた。  

 どの社員を切るか。

 昨夜から続いたこの厳しい会議は、今佳境を迎えていた。

 男たちは二つの写真を血走った目で見ていた。

「どちらを……切るかですね」

「鈴木か、佐藤か」

「どちらも年齢は三十。業績も同等」

「甲乙つけ難し……」

「だが、決めなくてはならないんだ」

 社長が苦しそうに言うと全員が黙った。こんなことはしたくなかった。

 一人が控えめに声を出した。

「鈴木には、二人の子どもが」

 その言葉のせいで一同に戦慄が走る。

「お前、それは!」

「ですが、家族にかかる負担を考えれば。……佐藤は独身です」

 男たちはこめかみを押えて唸り声をあげた。

「そもそも社長、どうしてこの二人なのでしょう。彼らはまだ若く、これから働き盛りの年齢でしょう。業績も悪いわけではないですし」

「だからこそだ。働き盛りだからこそ、まだほかの会社で拾ってくれる可能性があるんだ。歳食ったやつはだめだ。若すぎて経験がないやつもだめだ。彼らしかいないんだよ!」

 再び一同ため息。

 五分に一回はため息をついている。ため息をつきすぎて死ぬかもしれないな、と皆が思ったとき、部屋のドアが勢いよく開いた。

「部長!」

 一斉にドアの方向を見る男たち。ドアを開けた若い女性社員はたまげた。まず部屋の暑さに、それから会社の偉い人たちが勢ぞろいしていることに。

「すいません」

 女性は慌て引き返そうとするが、呼ばれた部長が呼び止めた。

「構わないよ。話してくれ」

 女性はおどおどしながら言った。

「実は、鈴木が……」

 男たちは目を合わせた。

 鈴木にとって今日という一日は、まさに青天の霹靂。絶望の雷が脳天を直撃したような日だった。

 死に物狂いで会社にいったはいいが、まるで仕事にならなかった。椅子に座れず、仕方なく立ってパソコンを操作するわけだが、全く集中できない。タイピングミスを連発し、資料を作るのに通常の倍の時間がかかってしまった。素早く動くこともできないし、下手をすると転んで皆の迷惑をかける。今日は外に出ることがなくて助かったが、外部の人と会うのに膝が曲がらないでは仕事にならないだろう。

 この先膝が治らなかったら仕事はどうなるのだろう、という不安に苛まれていると、部長が鈴木の名を呼んだ。いつもにこやかな部長が真顔である。

 入った部屋には、社長を始めとした偉い人たちがずらり。何事かと鈴木は訝しんだ。 妙に優しい笑顔を浮かべた彼らは、鈴木に椅子に座るように促した。部屋の湿度が高い。鈴木は額に汗を浮かべて顔を膠着させたまま椅子に座る。しかしもちろん座れない。座ると、足が前に飛び出してしまう。

 部長が鈴木の膝を見ながら遠慮がちに言った。

「鈴木、あのな……」

 部長が言った言葉を正確に思い出すことはできなかった。だが何を言われたかは覚えている。言い訳のような前置きが延々と続いた挙句にとんでもないことを言われたのだ。

 つまりは、そう、唐突に、突然に、会社を辞めろと。

 帰りの電車の中で鈴木は呆然としていた。 悲しみだとか絶望だとか、そんな悠長な感情が出てくる隙もないくらいにただただ強烈な衝撃に打ちひしがれていた。

 羞恥は耐えられる。しかし、職がないことには耐えられない。家族がいるのだ。     

 悪夢のような一日だ。人生の流れが変わった。 朝起きたら膝が曲がらなくなっている。その原因は不明。あらゆるところで恥をかく。そして何といっても、それで職を失った。仕事をせずに家族をどう養えばいい?

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