きょうを読むひと

増田朋美

きょうを読むひと

その日、杉ちゃんと蘭は、庵主様の主催する観音講へ参加することにした。観音講と言っても、宗教的な集まりではなく、ただ、みんなが抱えている悩みを話し合うというものであった。まあ、宗教的なところといえば、話し合いを始める前に、心を落ち着けるために、瞑想をするというだけのことであったが。

その日も、七分間、お寺に設置されている、けいの音を聞きながら、参加者たちは瞑想し、自分の心を落ち着かせた。瞑想をすると、問題を語り合う余裕が出てくるという。それが終わると、一人一人、自分のそれぞれの問題を語り合って、別にそれを言って答えが出るわけじゃないけど、誰かに話すことによって落ち着こうという事を狙いとしているのだった。

「今日は、一番東側の席に座っている、佐藤さんから、お話をしてもらいましょうか。うまく喋ろうというか、上手に伝えようとする必要は全くありませんよ。それよりも、あなたのお気持ちを、飾らずに話してください。自分をかっこよく見せようという必要はありませんから、その当たりはどうか気にせずに。」

と、庵主様が言うと、参加者の佐藤さんという女性は、はい、わかりましたと話し始めた。

「私が抱えている問題は、だれも私の方には関心を持ってくれないことです。主人も、仕事のことばかりしていて、息子と娘も年頃になって、友達と遊びに行くことばかり考えていて。それでは、私は、ただ、食事や掃除などを提供しているだけのことであって、私は何もしていない。それでは行けないとはわかっているのですが、なんで、私には、そういう事をしてはいけないんだろうって。それで、悩んでしまって今日やって来ました。」

「はあ、つまり、お前さんは、どこかへでかけたりする仲間がほしいってこと?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ。私もよくわからないんです。私は、友達らしき人も居ないし、息子や娘が学校の友だちと楽しそうに遊んでいるのは、その年だから仕方ないんだと思っても、やっぱり寂しい感情が湧いてきてしまって。どうしたらいいのか、私もなんだかわからなくなってしまって。ただ寂しいなと思っているばかりで。」

と、佐藤さんはそう答えたのであった。

「それをするのなら、インターネットの友達募集のウェブサイトとかで、友達を募集してみたらいかがですか?私は学校に行っていた時、いじめられて、友達ができなかったから、そういうサイトで募集かけたら、親友ができましたよ。そのことは、今でも、メールしたり、ラインしたりして、楽しくやっています。」

と、年の若い女性が、そう発言した。彼女は、まだ、30代にも届かない若い女性だったが、なにか悩んでいる事があるような、若いゆえに悩んでいるかのような雰囲気がある女性だった。

「ええ、確かに加山さんの言うとおりかもしれません。でもインターネットって、変な事件の温床にもなるし、怖いのではないですか?」

と、佐藤さんが再びそう言うと、

「いいえ、私が出会ってきた人たちは、みんな良い人ばかりでした。それに、インターネットである程度やり取りしてから会えば、どんな人かわかるから、あまり気にしてません。」

と、若い女性、つまり加山さんはそう答えるのであった。

「それに、中年のおばさん、あ、こんな言い方すると失礼ですが、佐藤さんくらいの年の人も、結構投稿していたりしますよ。中にはおばあさんでも、やる人はやります。どうですか、もし、現在の家庭環境で、そういう出かけるきっかけが得られないのであれば、そういうサイトに投稿するのもおすすめします。」

「それか、なにか習い事をするのもいいかもしれませんよ。今更習い事なんて思うかもしれないけど、結構、楽しいものですよ。」

と、加山さんの隣にいた、吉川さんという女性がそういう事を言った。

「働くって言うことは、なかなか、難しい人も居ますよね。旦那さんが、やってくれるからそんなことしなくていいっていう人もいるし。私みたいに、うつがあって、働くのができない人もいると思うけど、習い事だったら、意外に、できると思うんです。」

「そうですか、、、。」

佐藤さんは、小さな声で言った。それができれば苦労はしないという顔をしている。

「だけど、そのためには、ときにリスクを伴うってこともあるけどな。なんていうのかな、ちょっと旦那さんと口喧嘩するコトもあるかもしれないが、まあ、それはあまり気にしないで、お前さんがやり遂げられるかだな。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。佐藤さんは、そうなんです、それが私は怖いんです。と小さく答えると、

「だけど、そっから抜け出せると、すごく楽しい世界がまっているということは確かだよな。多少リスクがあるけどさ、でも、楽しんで生きるためには、多少喧嘩があってもいいんじゃない?」

と、杉ちゃんがすぐに答えた。

「じゃあ、少しでも、楽しい場所が見つけられるように、なるといいですね。次は、加山さんお願いします。」

庵主様が加山さんという若い女性に言った。

「ええ、私は、今、大学生なんですけど、なんでこんな勉強しているのかわからなくなってきちゃったんです。今、文学部に要るんですけど、そんなところ、役に立つか立たないかよくわからないところですよね。それよりも、もっと人に役に立つ学問がしたい。それはなにかと言いますと、着るものとか、食べるものとか、そういうこと。私、そういうのを作っているほうが、よほど自分らしく居られるのではないかと思うんですよ。」

加山さんは小さい声で言った。

「はあ、それは、洋裁したりとか、料理作ったりとか、そういうことかな?」

と、杉ちゃんは言った。

「そうなったのには、なにかきっかけでもあったんですか?」

吉川さんがそうきくと、

「ええ、先日、母が風邪をひいて、二三日家の事を私がすることになったんです。それで、炊事とか、洗濯とかやりましたけど、母は毎日こんな事をしなければならなかったのかと思うと、ほんとに申し訳ない気持ちになってしまって。それで私、なんで大学なんか行ってたんだろって、馬鹿らしくなったんですよ。」

と、加山さんは答えたのであった。

「それまで、私は普通に学校に行って、その後大学へ行くための塾へ行って、本当に家の事は、母に任せっぱなしの生活でしたから、なんだか母に対して申し訳ない気持ちになって。もう大学は、いらないかなあとか、本気で考えてしまったんです。」

「まあ、それはそうだけど、学校へ行っているんだから、資格も取れるし、何よりも学校へ行っている事が、有利に働くことはいっぱいあるわよ。だから、大学はとりあえず行っておいて、ちゃんと卒業したほうがいいわ。そのほうが、あとになって公開しないから。でも偉いわねえ、お母さんにちゃんと、お詫びをしたい気持ちになるなんて。」

と、佐藤さんが、彼女に言った。ちなみに佐藤さんは、近所のスーパーでパートタイマーをしていた経緯がある。

「大学出ていたほうが、職業選択の自由だって広がるし、きっと親御さんだって喜ぶわ。そのほうがずっといいと思って、大学に行かせてあげているんだろうから。」

「でもですね佐藤さん。飲んだり食べたり、着るものを作ったりするほうが、生きる上ではよほど重要なのではありませんか。私は、机の上で勉強しているよりも、そういう事をしていたほうが、いいのではないかと思うんです。そのほうがより、やりがいもできて、楽しくなると思います。」

佐藤さんの悩んでいることとは正反対の事を言っているようだ。確かに机の上の勉強は何も面白くないと言うのは、わかる気がするのである。

「うん、まあ、そうなんだけどね。でも、そういう基礎的なことって、今の世の中、全く重要視してないよね。それよりも、大事なのは、資格取って、かっこいい世界で働くことじゃないかなあ。そういう、たべることとか、着るものとかを仕事にしたってさあ、みんな安いもんに乗せられちまって、なんにも意味がないよ。そういうことを仕事にしたら、ご両親とかね、嘆き悲しむよ。お前さんが気がついたところは、それはたしかに大事なんだけど、それを口にしたら、嫌われるのも、また事実だよね。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうねえ。うちのお父さんも、よく健康のことは口にして、あの食べ物はだめだ、こんな生活習慣はやめろとか、しょっちゅう言うけど、かえって健康になるどころか、鬱陶しくてしょうがないわ。だから、健康とかそういうのは、よくテレビでとりあげられるけど、こだわり過ぎはあまり良くないわよね。」

と、吉川さんが発言した。

「私は、父と娘のことなんだけど。」

吉川さんは、静かにこう切り出した。

「娘は、父と同居しているのを、同級生に笑われて、学校へ、行けなくなってしまいました。いまは、私が働いているからいいけれど、この先どうなるのやら。父は、娘がどこにも行けないから、自分が家庭をなんとかしなければ行けないと、思い込んでいるらしくて、娘のことや、私達の生活にかなり口を出して、昔のままの生活でいるようにいいます。最近、娘は、やっとカウンセリングとか受け始めるようになったんだけど、父は、それでは満足できないみたいで、はやく働けとか、そういうことを言って、娘と衝突するんです。まあ、どうせ、うつ病に、なった若者なんて、誰も手なんか差し伸べないでしょうけど、娘と父はよく衝突して。私は間に入っても、何もできなくて。それでは行けないと思っているんですけどどうにもならなくて。だから、いっそのこと、私も死にたいくらい。」

「そうですか。吉川さんたち、そんなに大変なんですか。確かに、お父さんにしてみれば、年を取れば取るほど、頑固になっていくし、娘さんは娘さんで、大変ですよね。どっちのみかたをすればいいか、吉川さんも悩むでしょう。まあ、確かに、人生百年と言いますが、早く死んでくれたほうがいいなって思うときもありますよね。大体、重要な人ははやくなくなるし、迷惑をかける人ほど、長生きをするものですよ。」

佐藤さんが、吉川さんに言った。

「お父さんは、そうやっていかしてもらえることが嬉しくないんでしょうね。自分の人生は、こんなはずじゃなかったとでも思ってるんでしょうか。もう、周りのことは、十分すぎるくらい、十分やったから、もう手を出さなくてもいいや、とかそういうふうに思うことができないんですね。いまを変えなきゃいけないっていうか、自分が主役にならなきゃいけないとでも思ってるんだと思います。そういうことはもういいやと、思えないのは、

娘さんが、おかしくなってしまったことによるものなのかな。」

加山さんは、若者らしくそんなことを言った。

「他に誰か支えになってくれるような人物はいないのですか?吉川さんのほうが、破綻してしまわないか、私はとても心配なんですが。」

佐藤さんが思わずそういうことをいうほど、吉川さんは、真剣に悩んでいた。

「いなかったら、ここに来るわけがないわな。」

と、杉ちゃんがいう。確かにそのとおりなのだ。誰かに相談できていたら、観音講に来るはずがない。

「もしもねえ、何も味方がないことで悩んでいるんだったら、お釈迦様が、守ってくれていると考えたらどうかなあ?僕は、そういうことも悪くないと思う。それをしているから生きていられるやつもいっぱい知っている。」

「そうよ、それがいいわよ。例えばさ、辛くなったら、あたしもよくやるんだけど、お写経をしてみたらどう?あれすると、すごく心が落ち着くわよ。祈りの言葉って、もともとそのためにあるんじゃないかとおもうわ。一人で寂しいなと思う人間を救うために。」

佐藤さんが吉川さんにそれを勧めた。確かにそれも良いものであった。どうしようもなく辛いとき、人間にできるのは、誰かに助けを求めるしかないからだ。それをすることによって、生きていられる事もある。どうしてもだめな場合は、写経をしたり、禅をしたりして、心の安定を得ようとする。それの指導者がお坊さまという感じなのだろう。

「そうですよ。あたしも悩んでいるときは、まず休むことにしています。誰のおかげでとか、そういう言葉を外すんです。そして、苦しんでいる自分になく許可を出すんです。」

加山さんは、若者らしくそういうことを言った。

「私は泣いてもいいと思います。私は、いまは幸せだとか、意識をむりやり曲げて問題を回避することはしたくありません。」

これは、専門的にいえば、解離という症状に結びつくのだった。現実から目をそむけようとするあまり、自分が誰なのかわすれたり、過去の記憶をわすれたり、誰か別の人物の記憶と、取り違えたりする。

「加山さんはえらいわねえ。そうやって自分でありたいという意識がちゃんとあるなんて。それが、続いてくれれば、あなたはしっかり生きられるわよ。」

佐藤さんが、加山さんに言った。不思議なもので、彼女たちは、いわゆる傷のなめあいのようなものをやっていて、そこからさきをどうするかについては、まったく考えていないようだった。もちろん、先へ進めないのかもしれないが、それではどうしたら良いのかということについては、何も発言しない。嫌だ嫌だ、消えたい、死にたい、などの言葉は口にするのに、彼女たちは、その対策については話し合わないのだった。

「まあな、確かにそうかもしれないけどさ、一番大事なものまでなくしちまう生活は、したくないよな。」

と、杉ちゃんが言った。

「きっと、相談もできないで、何もできないまま、日常は過ぎてくんだろうが、一番大事なものは、なくしたりしてはいかんぞ。」

「そうねえ、時々考えるわ。私がきえても、あの人たちは、やっていけるんじゃないかって。世の中も変わることはないし、一生懸命やっても、無駄なんじゃないかって。」

佐藤さんがそう言うと、

「だって、佐藤さんのようなことをしたくて、悩むやつもいるんだぞ。加山さんがそうじゃないか。でも、確かに加山さんのしたいことをしたら、佐藤さんのような、生活しか得られないとおもうよ。そして、いまは幸せでも、親が年を取ってくれば、吉川さんのような不幸にぶち当たるだろうよ。結局、人間てえのはさ、幸せになれないように出来てるんじゃないのかな。だって人間が幸せになったら、それこそ大変だよ。」

確かに杉ちゃんの言うとおりでもあった。人間は、おごる動物である。どういうわけなのか、俺がやったんだと言う感情をもっている。これを具象的にしてしまうと、人間は不幸になっていくことが多い。歴史上の人物だって、偉大な功績を残しても、家庭的な幸せは得られないとか、そんな欠損があることが多い。

「そうねえ。あたしたちは幸せになってしまうよりも、それを求める過程のほうが幸せであるって、どこかの本に書いてあったわ。確かに、病んでいるのかもしれないけど、本当に私達から見たらすごく幸せそうに暮らしている人が実はつまらないことで悩んでいたりするんだものね。」

と、佐藤さんがそういった。吉川さんも、加山さんもそう頷いた。

「それでは、あたしたちの悩んでいることは、もういいとして、ゲストさんのお悩みを聞きましょうか。それでは、杉ちゃんと一緒に今日ここにやってきた方、なにかお悩みを話してください。」

と、吉川さんがいきなり蘭の方を、見てそういう事を言うのである。蘭は、まさか自分がそういう事をいわれてしまうようなことは予測していなかったので、困ってしまった。

「ええ、ええと、僕は、そうですね、悩んでいることといえば、、、。」

蘭は困った顔をして、急いでそういった。悩んでいることなんて、すぐに思いつくことでもなかったが、

「何言ってるんだよ。蘭は、悩みの塊じゃないか。悩んでいることは、すぐに、話してしまうのが、一番なんだよ。」

蘭は杉ちゃんにいわれて、そうだなあと思い直し、急いで口に出して言ってしまうことにする。

「はい。それでは、いわせていただきますが、僕は、子供の頃からの、親友が降りまして。と言っても、その当時は、犬猿の仲といわれていたんですが、今は、かけがえの無い友達です。彼が、ちょっと病名を口にすると、ありえないといわれるので、伏せておきますが、彼が、とても重い病気にかかってしまいまして。それで僕は、どうしても彼に医療を受けてもらいたいと思っているんですが、彼のほうが、自分の出身地をいいことに、医療を受けようとしないのでありまして。それで、僕はどうしても彼に立ち直ってもらいたいと思っているのですが、どうしたら僕の思いは彼に伝わるのでしょうか。それをみなさんに聞いていただきたいと思い、こさせていただきました。」

蘭は、したを向いたまま、一気に自分の思っている事を言った。

「そうですか。それは、幸せなことですね。蘭さんは、自分のことではなくて、他人のことで悩めるんですから。それは、とても幸せなことだよ。良かったですねえ。」

佐藤さんが、にこやかに笑ってそういうことを言った。

「それは、とても、素敵なことですよ。他人のことで悩めると言うのは、自分の人生はとても充実しているということですから。きっと、その人は、蘭さんがそれだけ思っていてくれれば、生きようとしてくれますよ。こんなに悩んで貰える人なんてそうは居ないわよ。ええ、いいじゃないの。」

加山さんがそう言うと吉川さんも、

「自分の事を悩むよりも、他人のことを考えられるなんて、蘭さんの生活はとても安定していらっしゃるんですね。なんだか、家族に頼って行かなければならない私達より、ずっと安定していて、やっぱり男の人は、羨ましいなあ。」

と、蘭の顔を見てそういうのだった。やっぱり、自分のことは、高らかに人に話すが、他人の悩みだと、小さなことに見えてしまうのが、女性の悩んでいることだと蘭は思った。蘭は、彼女たちのやっていることは、明日には繋がって行かない、きょうを読むひとなのだと思った。みんな、もうちょっと明日へ意識を向けることができたなら、多少違っていただろうか。



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きょうを読むひと 増田朋美 @masubuchi4996

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