慰め
愛すべき我が家であるゴミ屋敷に戻ると、私は博士に手を引っ張られて無理やりベッドに寝かされました。羽織っていた上着と義手、そして、義手を固定するベルトを外されて、ブランケットを頭から掛けられてです。疲れきった私にそんな作業は出来ないので、博士に手伝ってもらったのです。……それはそうと、女の部屋に断りもなく入ったことは今度話すことにしましょう。せめて、一言ぐらい掛けて欲しかったです。
「何か気になることはない?」
私の義手をクローゼットにしまいながら、博士は心配そうに言います。
「はい、特には」
ブランケットをずらして顔を出しながら私は答えます。
「なら、いいけれど…"もしかしたら”があるかもしれない。だから、今日はもう休むと良いよ」
仰向けになった私を見下ろしながら言うと、博士がベッドの縁に腰を下ろしました。そして、シルクハットを頭から下ろすと両手で胸に抱きました。
「……僕がもっと早く来ていれば君は傷つかなかったのに」
博士が呟きます。仰向けに寝かされている私の目に入ったのは、ベッド横の窓から差し込む夕陽に照らされた、年端もいかない男の子の小さな背中だけです。
「そんなこと、言わないでください。貴方が来てくれた、私にとってはただそれだけで良かったのです。そうでなければ、私は死んでいたのですから」
ベッドから起き上がると、私は彼の体に右手を回して体を寄せます。
そうして、彼の耳元まで顔を近づけてびっくりさせないように小さな声で呟くように話しかけます。
「さっきはあんな生意気を言って申し訳ありません。……本当はとても嬉しかったのです」
頬を赤めながら言うことではないのですが、どうしてもこれだけは伝えたいのです。
すると、博士は自分の体に巻かれた私の腕を振りほどきました。
「何をいまさら。そんなこと、初めから知ってたさ。馬鹿にされては困るよ」
博士は膝の上にシルクハットを置くと、私の方へと振り返りました。
不意な行動に驚いてキョトンとしていた私の頬を、博士は空いた両手で挟むと目を見据えながら悪戯っぽく笑いました。
突然の事で、真っ白になった私の頭は、次の瞬間爆発でもするのでは無いかと思うほど熱く、赤面しました。
博士のとった行動は、私にとって、とても、恥辱的な行為でした。
恐らくは顔をリンゴのようにした私は、耐えきれずに漏れた小さな悲鳴を口にして顔をブンブンと振ってその手を振りほどきました。
それに謝るどころか、博士はまだにやにやと笑っています。私が少し睨むと、微かに笑みをうかべたまま、ごめんごめん、なんて取って付けたような文句を口にしました。
「それじゃあね。今日はしっかりと休むんだよ」
あはは、とまるで悪戯に成功した子供のような声を上げて部屋の扉のドアノブへと手をかけました。
「あ、そうだ」
突然、博士が振り返りました。
私は恥ずかしさが残ったままの顔を向ける訳にはいかないので、口元をシーツで隠して視線だけを送ります。
「これ、探していたでしょ」
そう言いますと博士はズボンのポケットから何かを取り出して、扉の近くにある棚の上に起きました。
「君の片眼鏡だ。拾ったままにして渡すのを忘れていてね」
あ、とつい声が漏れてしまいました。
「それじゃあ、今度こそ。……今日はゆっくりと休んでね、レイラ君」
今度こそ、博士は私の部屋から出ていきました。
残された私は、羞恥の余熱が帯びたままの体をベッドに寝かせます。
仰向けに転がると、何となく天井を眺めました。
そして、さっきの博士の言葉を思い出します。
『僕がもっと早く来ていれば、君が傷つくことはなかった』
それはトラムでの会話の時のような淡白な言葉ではなく、心の底からの後悔のように聞こえました。
「……安心してください、博士」
右手を天井に掲げる。
壁にかけられたランタンの明かりで照らされた、包帯だらけの腕、見ているだけで痛々しい。
執拗に殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた。大の大人が寄ってたかって生み出した最大級の暴力をこの身に受けた。
でも。
「私は、何も感じないのですよ」
この皮膚が裂かれても、この胸に刃が突き立てられても、何も感じられない。
体が悲鳴を上げるのに、私にはその悲鳴を感じ取れない。
こんな世界に身を置いている私にとって、好都合な体たらく。例え、足が捥げても、臓物が零れ落ちようと、身体の機能が働くかぎり、いつまでも私は動き続けられる。
「あなたが言ったような傷など、私にはどうだって良いのです。体なんて、休めば自然に治るのですから」
だから、あなたがなんと言おうと私はこの体を駆り続けるのです。
私の全てが朽ち果てるまで、あなたの為に。
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