蛇使いと発明家

 


 薬品の匂い。それに混じった生温い悪臭。いくつか並べられたベッドからは、なるべく清潔にと扱われていたと思われる純白のシーツが被せられている。しかし、シーツの端々には赤黒、い液体が染み付いていた。

 どれだけ妥協した言葉にしても、ここは最悪という他ない。

 診療所。

 それもトマス・マークウェインという少年がよく知る人物が勤めている、信用が出来る唯一の医療施設。

 その一室で、隣で眠る少女の手を両手で握りながら、少年はその顔に不安を浮かべていた。

(いつかはこうなっていた。でも、覚悟は出来ていなかった)

 今までも、傷つけられたことは何度もあった。

 しかし、これほど暴力的なことは初めてだ。

 何人にも嬲られて、それでも彼女は立ち向かっていった。

 どうして、そんなことをしたんだ。

 いつも教えていただろうことを、どうしてしなかった。

「君が何をしようと、彼女は起き上がらないよ」

 少年の背後から声が聞こえた。

 ほとんど生気がない掠れた声、振り返ってみれば想像通りの姿をした男がそこにいた。

「分かっているよ、マイヤーズ。君の薬の腕はこの街で一番だからね」

 男は医者だった。

 しかし、痩せこけた頬、青白い肌、それらを見れば彼は医者を必要とする人間にしか見えないだろう。

 腕は一流なのに、なぜ自分の管理が出来ないのかトマスはいつも疑問に感じている。

「まだ、分からない。私だって届かない場所だってある。試しにキスをしてみればいい、起き上がるかもしれないよ」

 気味の悪い笑みを浮かべ、男はトマスに言う。

「それは出来ないね、僕じゃ愛情不足だ」

「よく言うね。今の君たちの間柄は、単なる主従関係とは全くもって見えない。少なくとも私はそう見える。きっと、他の奴らもおんなじだろうさ」

 言われて、トマスは一度、少女の顔を見た。今はまだ薬剤で深い眠りに落ちているその安らかな顔。けれど、彼女の身体には赤い液体が滲む包帯が至る所に巻かれている。ここが彼女だけに充てられた部屋で良かったと少年は思う。こんな姿は他の誰にも見せたくない。

「…それで、彼女は今どうなってるんだい」

「君が思っているよりは軽い、とだけは言えるね」

 マイヤーズが右手をトマスに差し出す。その手には数枚の束ねられた紙があった。

「だが、数は多い」

 紙束を手に取ると、トマスはパラパラとめくって確認した。

「…そうみたいだね」

 苦虫でも噛み潰したような表情は、不愉快だという感情をありのままに表していた。

「トム、私が君に連絡を寄越してからどのくらいで彼女を助けた?」

「分からない、けど40分は経ってないはず。それがどうした?」

「彼女、それ以上だったら耐えきれなかったかもしれない。君が間に合って本当に良かったと思うよ」

「…そう」

 トマスが低い声で小さく呟いた。その目は、紙束に向いたままに。

「彼らが誰か分かる?」

「それは君たちが殺した三人の事かな?」

 聞かれて、トマスが頷く。

「さぁ、よく分からないとしか言えないね」

「それはどうして?」

「この時間にうろつく男の大抵は不良共のはずだけどね。人を襲って金品を奪う奴らだよ。でも、"女”は決して傷付けない。それにただ暴力だけを浴びせるような奴らじゃない、彼らは生きる為にやっている、そんな利益のない事はしないはずだ」

「偶然むしゃくしゃしてたって訳でもなさそうだね。君の言う通りなら、何かしらの利益があるからレイラ君は襲われたともいえるね」

 紙束の最後を見る目は鋭い。それをマイヤーズは睨んでいると思えた。紙束に書かれた情報、その先に見える誰かに向けたものだと。

「生き残りが居るんだろ。細かいことはそいつに聞けば良いじゃないか?」

「そういう訳にもいかない。そいつ、今はジェームズの所にいるからね」

「あの警官の所に?また、どうして」

「"正当防衛”のためさ。あれには証拠がいるからね、どうしても必要だった。生き残りは交換条件さ」

「そうか。警官ども、こっちには見向きもしないとは思っていたが、ようやく腰を上げたか」

「どうだろうね、ジェームズ以外は問題解決よりも目に見えた報酬の方が良いらしい。彼だけじゃ、どうしようも出来ないよ」

「…ろくでなし共め。他に協力してくれる人間は?」

 ため息と共にマイヤーズが額を指で抑える。

「居ないね、少なくとも"セントラル”の方には僕の知る限りでは誰一人」

「分かった。こっちでも出来ることをしよう」

 でもね、とマイヤーズは続けた。

「私にできるのは、君たちの傷を塞ぐことだけだよ。それ以外はからっきしさ」

「けれど、それが僕らには必要だよ」

 トマスがレイラへと視線を移す。

「彼女は強い、ここの誰よりもね。でも、彼女は人間。どれだけ強くても怪我をしてしまう。そうしたら、僕はどうすることも出来ない。僕は人の体については無頓智だったからね」

「そうか。なら、今回の協力への第一歩としてこれを終わらしてしまおうか」

 そう言うと、マイヤーズはレイラのベッドへと近寄る。彼はベッドの横の壁に埋め込まれていた機械へと手を伸ばす。

「トム、少し手伝ってくれ」

 マイヤーズが手に持っていた物をトマスの方へと向けて揺さぶる。

 それは花のような形をした奇妙なモノだった。チューリップの花弁に似た部位は金属で出来ていて、どちらかと言えば大きく口を開いたコップのようにも見える。そのコップの底からは動物の皮で作られたと思われる管が繋がっていて、それは壁の機械から伸びていた。

「僕は看護師じゃないんだぞ」

「うちの看護師は一昨日辞めていったんだ。いいから、早くしてくれよ」

 不貞腐れた顔でトマスが受け取る。

「これをどうすれば良い?」

「それを彼女の口元に嵌めてくれ。薬剤を通す器具だからな、慎重にやってくれよ」

 マイヤーズの指示通りにトマスが手を動かす。コップ…彼が言うには"マスク”を口元に置くと、マイヤーズは機械に取り付けられたバルブを回す。

 聞き馴れた蒸気の排出音に似ているが、どこか違った、柔らかい印象を受ける音が部屋に響く。

 恐らくは、マスクを伝って何らかの薬品を彼女の体内へと運んでいるのだろう。

「なぁ、マイヤーズ。これは何の薬だ?」

「ただの香草(アロマ)だね」

「香草?なんで、そんなものを」

「疲労改善。彼女、疲れを溜めすぎだよ。もう少しでも遅かったら、この子、歩けなくなっていたよ?」

「……」

「身に覚えがあるのなら、しっかりと見てやるんだな。感覚がなくとも、予兆は見せてくれるからね」

「……そうするよ、ありがとうマイヤーズ」

 この男に合う度に思う。まるで、人の心を見透かしているようだと。頭の中身と身体は同じ、だから、心に異常が出たら身体にも出るのだと。

 そんな身も蓋もないことを言っても、彼自身の行動自体は何も間違っていない。だったら、その知識で本でも出せば売れるだろうにとはいつも思う。

 それにしても、とトマスは壁に埋め込まれた機械に目を向ける。

「よくもまあ、香草なんて手に入ったね。最近なんて、高いどころか目にもしないってのに」

「ちょっとしたご褒美だよ。こういうのは物珍しくてね、ついつい魔が差してしまうのさ」

 ははは、と感情があるとは思えない笑いを男はこぼす。

「まさかとは思うけど、出てった看護師とは関係ないよね?」

「さぁ。彼女の給料が少し減る程度だったから問題ないと思ったんだけどね」

「…まったく、君という男は」

「そう言うもんじゃないよ、トム。こうでもしないと、私、死んでしまうからね。止められないのさ」

 恐らくは、その看護師とやらと同じ感情を抱いていたトマスはそれでも感謝をしなければならなかった。

「あぁ、そうだ。礼なら、今度新しい人を連れてきてくれよ。私は1人じゃ、働けないからね」

「分かったよ、それでいいのなら何人でも紹介してあげるよ」

 呆れた顔でトマスは答えた。


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