小さな発明家

 部屋から飛び出した私は、手すりを使って階段を滑り降りてました。これは子供の前ではやってはいけませんね。だって、危ないですし、実際やってる身としても怖いですもの。でも、早いんですもの、止められません。


 手すりが終点に近づくと、ぴょんと飛び跳ねて床に降ります。そして、階段のすぐ横にあるドアのノブに手をかけました。


 木目のドアの向こうにあるのは、私の職場である工房です。ただし、それは名称だけ。なにせ、私の目にはその部屋がゴミ屋敷にしか見えないのです。部屋の床のほとんどが用途不明のガラクタと異常な量の紙束で出来た山脈で埋め尽くされていて、無事なのは部屋中央のテーブルの周りだけです。


 その唯一の安全地帯であるテーブルにいる十代前半かそれより若い見た目をした金髪の男の子が我が主"トマス・マークウェイン”。白いシャツに薄い黄色のオーバーオール、そしてトレードマークの黒のシルクハットはテーブルの上に。そんな可愛らしい我が主は、椅子に座りながら自身の身の丈ほどある新聞紙を広げていました。


「遅かったじゃないか。君らしくない。昨日は夜更かしでもしてたのかい? いや、君にかぎってそれはないね。まさか、昨日何かあったのかい?」


 博士が目線を新聞紙に向けたまま口を開きました。心当たりがあるかと聞かれても、そんなものはありません。決まった時間にベッドで寝て、決まりごとのように朝の決まった時間に起きる。それが当たり前でした。今日、この日までは。


「いいえ、何ひとつもございません。私にも何故かさっぱりです」


「もしかすると、疲れかもね、最近、働き詰めだったし」


「あー……そうかもですね」


 そういえば、確かにここ最近は休日という極上の時間に触れていません。理由はといえば、博士の言う通りここ最近は仕事の依頼が多かったため働きっぱなしだったからだろう。人間、どんなに無理をして物事を続けようとしてもいつかは限界が来てしまいます。つまり、私にその限界が近づいて来ているというのでしょう。……その自覚はありませんが。


「だから、近々休みを取ろうと思ってるんだ」


 自分でも明確に感じました。私の口角がびっくりするほど上がっていることに。


「本当ですか!」


 恐らくは満面の笑みを浮かべた私はそう叫びました。


「もちろん。この僕が嘘をつくわけないでしょ」


「それでそれで、休みはどこに行きましょうか? やはり、この時期といったらバカンスですよね。それなら、南の方へ……」


  えへへ、とつい口から笑いが漏れてしまう。


「こら、品のない笑い方をしないの」


 おっと……、なんて言いながら私は落ち着きをとりもどしました。でも、無理です。南国の陽が降り注ぐ地のことを考えてしまえば嫌でも口元が緩んでしまうというもの。仕方ないのです。


「浮かれないでね。確かに休みはとるし、君の希望通りどこかに旅行に行くのも悪くは無い。けれどね、その前に片付けなきゃいけない仕事がある」


 へ? と変な声を出して、私は呆然としました。


 私の反応なんか気にしない様子で、博士は続けます。


「これが今回の依頼。詳しいことは向こうで直接聞いて」


 そう言って、新聞紙の影から取り出したのは一通の手紙でした。珍しく赤い蝋で封をしてある丁寧な手紙。


 はい、と博士は渡してきました。右手の中指と人差し指に挟まれたそれを私は受け取りました。


「えーと……」


 既に一度開かれた跡のある封を開くと、中身を確認します。


 育ちの良さそうな達筆で綴られた文章は、あくびが出るほど退屈な単語ばかりで、いっこうに本題に入りませんでした。


 数分ほど読んだところで本題に入り、その部分を確認の意を込めて口に出しました。


「ある人を探して欲しい、ですか」


「そう。依頼人は、察しているかもだけど貴族の男。今のところ、やり取りは文面だけで顔は合わせてないんだ。ちゃんと話たいのだけれど、僕はこんな姿だから怪しまれるかもしれない」


 そう言って、博士は両手を広げてその小さな体を強調させました。


「そうなれば、依頼人との接触は私が?」


「頼めるかい?」


「お任せ下さい」


 ありがとう。と言った後、博士はこう続けました。


「依頼人の貴族……"エヴァン・セルディック”氏の工場の場所は手紙の最後に書かれてる。ここからそう遠くない場所にあるから、土地勘のない君でもすぐにたどり着けるよ」


「なら、良いのですが……」


 依頼内容の詳細こそ知らされていない方が不安なのですが、それよりも……。


「何か不安?」


「はい」


 一度、深く息をして、口を開きました。


「…今回の件、なんだかモヤモヤします」


 ため息を混じらせながら言いました。


 博士は呆れたような顔をすると、


「それはいつもの事でしょ? 聞くけど、僕らに来た仕事が厄介事じゃなかったことある?」


「そう、ですね。私、考えすぎでした」


 あはは、と無理やり笑みを浮かべます。それで無意識にでも私の中にある不安から逃れたかったのでしょうが、どうも不安が晴れそうにはありません。


 数秘ほどそうしていると、博士が真面目な表情をして言いました。


「……でも、いつもは何も言わない君だ。もしかしたら、君の言う通り、なにか良くないことが起きるかもしれないね」


「…………」


 この不安は間違っていなかった。


 ですが、確信に変わったところで胸の中の不安が拭われることはないのです。


「大丈夫。なにかあっても僕が君を守るから。安心して」


 そんな、博士の声が聞こえ、私は彼の顔を見ました。つぶらで純粋な碧眼は私の目を覗いていました。


 小さな体の彼は、お世辞にも頼りになるとは言えません。ですが、その瞳を見ていると不思議で、感じていた緊張感も解れていました。


「ふふっ」


 思わず、笑みが漏れました。


「その時は、お願いしますよ」


 少し微笑みを浮かべて私は言いました。
























「では、行って参ります」


 扉の前で私はお辞儀をします。見送りのために来てくださった博士を前にです。


 博士はトレードマークマークであるシルクハットを被っていました。シルクハットの上には、発明家としての彼の象徴である、遮光用のゴーグルがかけられています。


「あぁ、行ってらっしゃい。くれぐれも気をつけてね。今回の報酬次第で旅行の内容が変わるから、しっかりと頼んだよ」


「ご安心を。お望みならば、今日中にも解決して差し上げましょう」


 少し、芝居かかった言葉で私は言います。


「それは頼もしいけど、調子には乗らないようにね」


「分かってます!」


 そんなこと、言われなくても分かってます。別にこれは思春期の子供が親に対する強がりのようなものではなく、経験からの言葉です。調子に乗れば、結果がろくでもない事になるというのは承知の事実です。昔、それが原因で片足を無くしそうになったことが教訓となっただけです。


「では、改めて。レイラ君、くれぐれも気をつけて。何かあったら直ぐに戻ってくるんだよ」


「分かっています。それでは」


 そう言って私は扉に手をかけて、ノブを回して押し出します。カランカランという来客を知らせる鐘が鳴ります。


「いってきます」


 と、最後に言うと私は工房から足を踏み出しました。


 工房から一歩出ると、そこは金属の世界です。狭い道を挟む真鍮製の壁。その一面にはやはり金属製のパイプが張り巡らされていて、所々で白い煙が漏れていました。これは修理を怠っているからでしょう。そして、頭上からはコキコキと金属同士が擦り合うような音が聞こえます。少し上を見上げると、パイプに混じって大きな歯車がいくつも回っていました。普通に生活していれば気にはなりません。けれど、よく聞くと案外、耳に残る音をしているものなのです。カチカチ、コキコキ、とまるで時計に耳を押し当てているかのような気分に陥ります。


「お、レイラちゃん。今日もお出かけかい?」


 と、道を歩いていると近くのお店のおやじさんから声をかけられました。


 立ち止まって、「はい。少し、用事があって」と笑顔で応えます。


「そうか。なら……」


 そう言って、おやじさんは店先に置いてある果物からひとつを取ると私に投げるように渡してくれました。


「良いんですか?」


「あぁ、どっかで食うと良い。……まぁ、その代わりに頼みごとがあるんだが」


「頼みごと、ですか?」


「うちのボイラーの調子が悪くてな。そろそろ、冷え込んでくるから、博士に見てほしいんだが」


「ええ、それなら。私が伝えておきますよ」


 頼んだよ、とおやじさんが言うと私は再び歩みを進めます。


 その後も、道行く先で様々な頼み事を聞きました。


 滅多に人に会おうとしないのに、あの人はいつもどこかで頼りにされています。あの人はいつも気のせいだよ、とは言いますが、それは違います。確かに博士は"蒸気師”という名誉ある資格をもつ人間。しかし、その資格を持つ人間は決して少なくはない。工房の近所にだって何人か住んでいます。それなのに、彼らは私の主を求めています。何故なのか、という疑問に対する明確な答えを私は持ち合わせていません。なにせ、彼らと博士とは私よりも"付き合い”が長いのです。それの答えを知るには、もう少し博士と過ごすしかないのでしょう。


 ところで、かれこれ10分は歩いているものの。依頼人の工場とやらの影すら見えないのはどういうことでしょうか。


「……もしかして、結構遠い?」


 ふと浮かんだ疑問を胸にした私は、立ち止まって手紙の中身を確認します。書かれた住所は確かにこの近くのようでした。しかし、それらしき影はない。一体どういうことなのか。


「あ、すいません」


 とにかく、この近くの土地勘を持っていそうな道行く人に聞いてみました。


 そして、その答えは案外とすぐに分かりました。










「そういうこと、ですか」


 私がいるのは、先程の道幅10メートル程ある表の方でなく、道幅5mほどの行き交う人も少ない道の上。そして、目の前にある建物を見て至極純粋な気持ちを言葉にして呟きました。


「思っていたのとはだいぶ違いますね」


 目の前の建物、そこはこの街では珍しいレンガ造りの建物でした。決して小さくはないのですが、私にある工場というイメージとはかけ離れていました。具体的に伝えるのは、ここのイメージがもっと悪くなるのでしませんが。さっきの通りから離れた位置にある、旧式の建築方法で建てられた建物。つまりは、そういうことなのです。


 ……とはいえ、どんなにみすぼらしくても相手は貴族。それなりの報酬は用意があるはずです。それに、依頼人がどんな人間であろうと、私たちは平等に仕事をこなすだけ。見た目なんて、二の次どころか十の次あたりかそれ以上。


 よし、と覚悟を決めると、私は目の前のドアを叩きました






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