〜CLOCK・WARKER〜 《小さな発明王と隻腕の少女》
猩猩
蒸気の街の隻腕少女
どこからか響いてきた汽笛の音で目を覚ます。睡眠過多のような頭痛とだるさが、体を蝕んでいるのを感じます。
きっと、汽車かなんかが出発するためだろう響かせたその音は私の鼓膜から脳内に直接的に不快感を埋め込みました。もちろん、そうでなければ起きることはありません。人間とはそういうものなのです。
でも、違和感があります。
私が起きる時間、そのタイミングで汽車の汽笛など聞いたことはありません。時刻表でも変わったのか、はたまた運転手がボケたか。
考えても仕方はなく、上半身を起こすと、まずは背伸びをする。
そして、降り立ったのはふかふか……とはいえない安っぽいカーペット。これでも安い宿のような腐りかけの床よかはマシなのです。……別に、これ以上が欲しいとかは少ししか思ってません。
クローゼットの前に立つと、左腕で戸を開ける。中には、いつも身につける仕事着が数着、それに横になった長方形の箱。
まずは、仕事着を身につける。ブラウスにスカート。それにブラウスの上からはベルトを巻いている。それも何本も。
そして、本命の長方形の箱に手をかける。
蓋が開くと、顔を覗かせたのは腕。そう、私の欠損した左手の代わりになる真鍮で作られた仮初の腕。
結構な重さがある義手を、右手の接続面に差し込む。その際、うっ、と思わず口からそんな声が漏れる。元々、切断面には細工をしてあるので痛みとかは感じません。けれど、違和感はあります。博士はそれを仕方がない、慣れるしかないとは言うけれど、どうにも慣れそうな気配は訪れそうにありません。
義手を差し込むと、ぷしゅう、気の抜けるような音が響きます。それと一緒に白色の気体が関節の隙間から吹き出しました。身体に当たっても熱くはありません。そういう造りですから。
この時代、マネキンのような形だけの腕というのは滅多に見かけなくなりました。代わりにこのような機械仕掛け、もしくは蒸気仕掛けとでもいうような物品が出回っています。時代の進歩というのは、凄まじいものです。しかし、喜んでこんな体になる人間はいない。そのため、私の真鍮の腕には物珍しさからくる視線が少なくありません。
恒例である確認━━━━━指をひらいて、閉じる、それを数回繰り返すと、上半身に巻いてあるベルトで義手を固定する。信用がない訳ではないが、保険としてこうしているのです。途中で外れるようなことがあれば一大事なので。
そして、上着を羽織る。
流石にベルトでグルグル巻きにされた姿のまま外を出歩く訳にはいきません。なにせ、私は至って普通の人間。変態かなんかと勘違いされるのはまっぴらです。
着替えを済ませると、今度はカーテンと共に窓を開ける。
瞬間、とんでもない強さの風が部屋に入り込みました。
「うわっ!」
思わず間抜けな声を上げると、気づけば両腕で顔を守っていました。
そういえば、今日は風が強くなるとか聞いたような聞かなかったような……。
でも、今日は出かける予定もなく、ここで博士のお世話をするだけです。外に出てひどいことにはならないはずです。
そして、もう一度窓の外を覗きました。
どこかでまた汽笛の音が聞こえたのと同時に、その景色は私の視界に写りこみました。
大きな飛行船が飛ぶ青空の下、そこには真鍮で形作られた世界が広がっていました。建物のほとんどは縦に長く横に狭い。そんな、本棚の本のように並べられた建物郡がどこまでも続いている。
それだけならただの変な街で済まされます。ですが、ここは人々が"理想都市”と口々に語る街。
よく見れば、多くの屋根の上から煙がたっている。別に火事という訳ではない。どちらかと言えば、必要、いや、必須なもの。
その煙の正体は水蒸気。
この街のありとあらゆる機械を動かすための原動力。
これが無ければこの街は動かない。そのため、建物の壁面には蒸気を運ぶパイプや、蒸気機関のための歯車などが剥き出しで張り付いている。それどころか、建物の間、つまり道路の上にもパイプやら何やらが張り巡らされているのです。おかげで道路はいつも薄暗いという有様。まあ最近は街灯なども普及してきているので何も問題はないのですが。
すんすん、と鼻を動かす。
はるか昔から、蒸気機関に"火力”というものは付き物だった。それが無ければ蒸気機関は動くことはない。しかし、火力があれば環境は悪化する。臭いはするし、空は暗くなる。ですが、それは昔の話です。
今ではそんな公害など見る影もありません。青い空は澄んでいて、臭いも少し鉄くさいことを除けば普通。
それもこれも、あの学者達の成果です。こればかりは、いつも偏屈な彼らに感謝しなければなりません。
最新の技術と他国とは比べ物にならないぐらい整えられたライフライン。有機物が手に入りづらいことを除けば、ここは最高の街。
いつも蒸気が霧のように覆っているこの街に名前はない。ですが、街のみんなはここを未来都市、または蒸気が支配する"理想都市”とも言うんです。
ともあれ、この街こそ私の居場所。と言うよりは、私が住むこの建物こそが、と言った方がいいでしょう。
いずれにせよ、私はここが好きなのです。
と、その時でした。
ドアの方から、猛烈なノック音が聞こえました。
「レイラ君、起きてる!?」
それは我が主の声でした。小さな女の子のような声ですが、これでも立派な男の子です。ただ、少し発育が遅れているだけなのです。
「お、起きてますよ。そんなに急いで、どうかしたのですか?」
「時間見て、時間! 何時だと思ってるの!?」
言われて、ベッド横の棚に置かれた丸い置時計を見てみる。時計の針は、見間違えでなければいつもの起床時間からだいぶ、大幅、結構離れた位置を指しているように見えます。
脳が理解したのと同時に、私は叫び声を上げました。
寝坊した、と。
「五分で支度して降りてきてよ!」
それを最後に、我が主の声は聞こえなくなりました。
急いで、後を追おうとして忘れ物に気が付きました。それは置時計の横に置かれたあるものです。
「危ない、危ない」
レンズと縁がそれぞれ片方しかない眼鏡、すなわち片眼鏡と呼ばれるそれを手に取り、目に嵌める。
傍に置いてある鏡を見て自分の姿を確認する。
女らしさの欠片もない短く切り揃えられた薄茶色の髪。度数が入っていない片眼鏡を掛けたその女の左腕は金属で出来ています。上着から覗く体中に巻かれたベルトのせいで体はまるでつぎはぎのよう。その奇妙な姿をした女の━━━━━━━━私の名前はレイラ・ホワイト。
この街で生きると決めた一人の女でした。
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