第45話

 雨宮は学校帰り、ナターシャと合流した。雨宮自身はこの状況で学校に行く気はあまりなかったのだが、意外にもナターシャが行くように言ってきた。なんでも、非日常的な行動をしすぎて、戻れなくなることを心配しているらしい。


 雨宮の家から北にある旧海來村と呼ばれた場所につく頃には、日が落ち始めていた。旧海來村。子供の頃、親に近づいたら化け物に食べられるなんて言われたことを思い出す。その言葉はきっと完全な間違いでもないのだろう。

 200年ほど前の工業化の影響で建てられた工場は、既に廃棄されており巨大な鉄の塊だ。不自然な場所に敷かれた柵が村人の団結心を見せる。工場には張り紙がつけられている。「工場建設反対、村を守れ」と誰かに叫んでいる。ふと雨宮の視線が吸い寄せられる。等身大の人形だ。ただ今まで見てきた戦闘用の物ではなく、日本人形のような飾り付けが行われてる。本来の人形の姿だ。ただやたらと大きい。それが道端にゴミのように落ちていたら視線も惹かれれるだろう。ナターシャはずかずかと人形に近づいた。首が蹴られて吹き飛んだ。

「何してんだよ?」

「念のためよ。相手は傀儡師の親玉なのよ。あとあと人形を動かす能力を使われるかもしれないわ。……まあ、この様子だと馬鹿みたいな数を用意しているでしょうけどね」

「繽來神は、もう俺たちが来ていることに気づいてるのか?」

「さあ、知らないけど。いつかは分からなかったとしても、備えるのか不明よ。分かったうえで余裕ぶっこいている可能性もあるわ」

「それでも行くしかないんだよな」

「そうよ。だから潰せる面倒ごとは潰しておく」


 アスファルトの上をカツカツと歩く靴の音だけが響く。雨宮たちは、一人の老人を見つけた。ゴミを出しに来たらしく右手には黒いビニールの袋を持っている。目は窪んでいて、鷲鼻、細い体格、見るものに不気味ささえ与える風貌だ。彼はこちらを睨みつけた。

「人を睨みつけるのは、失礼だと思わないのかしら」

 いつの間にか、ナターシャは老人に近づきでガン見していた。雨宮はお前の方が失礼だろと言いたかったが、長い文句を言われそうなので口をつぐんだ。男はナターシャの異様な雰囲気に一瞬、息を飲むが、すぐに気丈に睨み返す。

「誰だ、お前さんたち。部外者がここに来て面白いものがあるとは思えんが」

 しわがれた声で、男は言い返す。

「面白いものがない場所に人間はわざわざ足を運んだりはしないわ。あるから来てるのよ」

「…………何の用だ。お化け屋敷だと思ってんなら、迷惑だ」

「ここの歴史について教えてほしいのよ」

「なんだ、あんた大学生か何か?」

「いえ、研究者よ。これでもロシアからはるばる来たのよ」

 ナターシャは嘘を平然と吐き。

「もしかしたらこの村の復興の手助けにもなるかもしれないわ」

「生憎、あんたみたいな若者に助けられたいと思ってる奴はこの村にはおらんよ」

「この村と言うことは、未だに海來村は続いているのね。てっきり当の昔は人がいなくなったものだと考えていたのだけど」

「…………あんたの予想通り、ほとんど人はいないよ」

「あら、話す気になったのかしら? ちなみにそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだから、返答は慎重に選ぶことね」

 ナターシャは大きく一歩踏み出した。老人はなんとか恐怖に屈さず立っていた。

「あんた……本当は何者なんだ」

「あらしがない研究者よ。人体の研究者だけど、ね」

 老人は近くの廃工場の目の前に座った。どうやら逃げることも、誤魔化すことも選択しなかったらしい。もし選択したらナターシャは頬を切り裂くつもりだったので賢明な判断と言えるだろう。

「何が聞きたい?」

「この村の始まりの歴史と、神について」

「………長く生きた者からの警告だ。面倒ごとに関わらない方がいい」

 老人は本気でこちらを心配した眼でそう言った。

「残念だったわね。面倒ごとを潰してやることが私の仕事なの」

 冷たい笑みをナターシャは浮かべる。老人は苦虫を噛みつぶしたような顔になったあと、ため息をついて言葉を続けた。


「繽來神がどこから来たのかわしは知らんよ。ただ噂では海から来たらしい。わしらの知る、青い海ではなく真っ赤な血の池のような海だ。突飛な話だが、この世界とは、また違う世界に住んでいた知的生命体と言われておる」

「それのどこからの情報かしら?」

「知らんよ。ただの伝承だ。本当かどうかの責任は持てんな」

「神に誓って」

「何を言ってるんだお前さんは」

「いえ、簡単な事よ。貴方は繽來神を信じていないのよね。神がいないなら簡単に誓えるわよね」

「…………」

「沈黙は真実を伝える。当たりね」

 ナターシャは満足そうに頷いた。

「これ以上関わらんことだ。死にたくなければな」

「残念だけど反対ね。死にたくないから関わっているのよ。貴方の主に用があるのよ」

「お主は、神などいると信じてるのか?」

「一応、仮でキリシタンだけど、死神以外は信じていないわ。けど、神をきどる愚か者に天罰を下したことは何度かあるわよ」

「貴様、いい加減に………」

 老人は立ち上がり殴り掛かろうとするが、突然立ち止まる。

「はい、はい。……貴方の仰せの通りに。……ナターシャ・オルロワ、憶えておけ」

 老人はそれだけ喋ると、全力で走り出した。ナターシャは獰猛な笑みを浮かべた。雨宮も背筋が凍りつくような気配を感じる。それは泥のように周囲を包み込んでいる。何者かの体内に取り込まれたような気味の悪い感覚。

「雨宮、ちゃんと気づいてるわよね」

「吐きそうだ」

「いいじゃない。これぐらいの存在じゃないと最後には相応しくないわ」

 ナターシャは冷や汗を垂らしながら言う。上を見上げればぽつぽつと雨が降り始めていた。霧のような雨の中から先ほどの男が現れる。

「不敬罪だ、不敬罪。神は私に復讐の機会を与えてくださったのだ。異教徒には制裁を」

 ぼつぼつと老人は喋る。両腕は膨張し触手へと変化する。怨みに満ちた眼差しを見るに、どうやら理性を保っているらしい。

「私は一時撤退を提案するわ」

 ナターシャは雨宮の返答を聞かずに襟をつかむと、真後ろを向いて逃げ出した。

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