第42話
「まさか……本当に成功させてしまうとは…驚きだわ」
ナターシャは慣れた手つきでヤカンからカップラーメンにお湯を注ぐ。雨宮はナターシャの無機質な部屋に来ていた。
「ナターシャ、劇を終わらせる方法を教えてくれ。お前はそのために劇に参加したんだろ?」
「………」
ナターシャは少し目を開いたあと、ゆっくりと座る。麺をゆっくりと啜ると口を開く。
「その通りよ。永遠の命が本当にあるとはもともと考えていないわ」
「じゃあお前の目的は、劇の参加者を殺すことじゃないんだな」
「一応それも目的よ。必須ではないけど傀儡師の殺害はミッションの一つよ。ただ大きな目的は劇の主催者を殺すこと、彼に会うために劇の参加者を殺してたのよ」
「なら俺と一緒にその主催者の場所を探そう」
「無茶を提案するのね。どう考えても殺して出会った方が楽だと思うのだけど。貴方を合わせて後、二人だけなのだから」
ぞっとするような笑顔でナターシャはこちらを見る。蛇のような目だ、彼女にとって人の命は胃の中に飲み込まれるべき獲物でしかない。
「嘘だな」
「嘘はついていないわよ」
「お前は欲張りなんじゃなかったのか?」
「………。自分でそれを言うのね」
「利用できるなら、なんだって利用してみせる」
「良い覚悟だわ。いいわ、乗りましょう。ただし時間がかかりすぎるならなしよ。一週間ぐらいが妥当かしらね」
「それでいい」
「何か当てがあるのかしら」
「ない」
「相変らず後先考えないのね。いつか痛い目を見るわよ」
「じゃあ、カバーしてくれ」
「嫌よ。死んでもごめんだわ」
雨宮はそれだけ伝えると立ち上がり、扉から出ようとする。
「どこに行くの?」
「とりあえず図書館でも行ってみる」
「いいわね。私も連れて行きなさい」
「………協力してくれるのか?」
「図書館に行きたいだけよ、そんなに不思議なことでもないでしょう」
「……そうだな。…ありがとう」
雨宮の穏やかな笑みからナターシャは目を逸らした。
海来市立図書館は一般的な図書館よりはわずかばかり大規模だ。二階建てで近代的な改築が施されている。こうなったのは5,6年前なので雨宮には目新しさはない。目的を持って行動しているというのならなおさらだ。
「当てはないとか言ったけど、誰にでもできる程度の推測はしているさ」
「郷土の資料でしょ」
「………俺に言わせてくれよ」
「安易な推測ね。けど土地を指定している以上、この場所が聖地か何かという可能性は考えられるわ。超人の思想は理解できないから適当な可能性もあるけれど」
「適当に動く殺人鬼が居るのかよ?」
「貴方だって蟻を踏み潰すのに妙な作戦を実行したりしないでしょう」
「じゃあ、劇の主催者にはその必要があるのか?」
「楽しみとしてかもしれないわ」
ナターシャは冷やりとする言葉を吐く。雨宮は考えていて分からなくなってきた。ようするに人間と離れているために超人の思惑を理解しようとするのは難しいらしい。
二階に上がった雨宮たちは何回か探し回ったのち、郷土資料がある場所を見つける。適当にパラパラとめくってみる。海来人形の歴史について書かれた本や、現地で生まれた雨宮ですら知りもしないマイナーな偉人の資料。雨宮は老人になってもこういう本を読む気が湧かない。
ぱたりと本を閉じる音が終わりを告げた。結局、雨宮は目ぼしい情報を得ることができなかった。得たものと言えば、海来人形は旧海來村が始まりらしい。そこに行ってみれば何かあるのかもしれない。本を棚に戻してナターシャの方を見ると、じーと一つの本を見ていた。何年を埃をかぶった古い本。
1000年と少し前の話だ。時の流れのせいでなくなった旧海來村に一匹の異形が降り立った。
円口類のような口、人間の胴体に、蝙蝠のような翼膜のついた腕。下半身は蟷螂の腹のように膨れ上がっている。眼球はあるのかないのか分からない。ただの傷跡のようにも見える。それでもその存在は下でわめいている人間たちを見ていた。
「悪魔」とか「化け物」などその存在にとっては音の羅列でしかない言葉を並べながら、鍬を振り下ろしている。皮膚に刃が突き刺さるたびに彼には触れられたという感覚は伝わるが、それ以上のものを感じない。血の一滴も垂れることもない。勇気があるものもいるかと思えば、奥の方では小さな人間が怯えて縮こまっている。どちらが正常な判断なのだろうか。彼は判断に迷った。ただいい加減に、蠅のように纏わりつく彼らをめんどくさいと感じ始めたのか、巨大な腕を横にないだ。先ほどまでのだるそうな姿勢から想像もできない勢いで纏わりついてた人間の体を爪が引き裂き、翼は刃となり人間を切断した。
纏わりつく蠅がいなくなったかと思うと、今度は気味の悪い悲鳴が聞こえ始めた。だから雨を降らせた、全てを支配する黒い雨。生物に作用する毒性は数時間後には鳴き声を途絶えさせ、従順な傀儡に変える。村人たちは頭が可笑しくなったのか、跪いて祈り始めた。言葉の端々と動きから何を言っているのか推測した結果。どうやら雨がお気に召したらしい。彼にとっては体液に等しいものなのだ。だが彼らにとっては恵みらしい。村人は彼のことを「繽來神」と叫びながら讃えていた。
繽來神にとって現地の言葉は耳慣れないものだったが、数日間で容易に学習した。
「あ……ああ、なるほどだから貴様らは私を讃えていたのか」
繽來神は奇妙な高音で音を発しながら、体をふいてくる女に確認する。喋ると思っていなかったのか、女は怯え始める。ふと、彼の中にある怠惰から殺意が浮かんだ。辞めた。本能に逆らえないほど繽來神の脳は矮小ではない。いや学習の結果を見るに、人間などよりはるかに高度な知能を持ち合わせているだろう。彼にはこの村が干上がっていることも理解している。今では利用できると判断して人間の神として生きている。
もしかしたら神は言語を理解してしまうことで人間に近づいてしまったのかもしれない。人間の論理を理解してしまったものはもはや神ではなく、王でしかない。そんな哲学的思考に神は沈んでいた。
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