第41話
爆竹のような頬を叩いた音が響き渡る。雨宮は人生で初めて、女性から頬に平手打ちをされた。今日は記念すべき日なのだろうか。雨宮は目の前で涙をためて頬を叩いたアメリアを見ていた。
「貴方………本当に馬鹿だったのね!」
アメリアはキッと威嚇するように睨みつける。唇は固く結ばれている。しかしこれでも昨日よりも落ち着いた方で、昨日は本当に一言も発することなく幽霊のようになって、そのままふらふらと帰宅してしまった。一瞬、雨宮は人転の効果を疑ってしまったほどだ。聖片の奪取は幸運にも上手くいっており、池で出会ったヒナという少女がただのほら吹きでなかったことを証明した。
アメリアは再び部屋の片隅に座り込むと自らを抱きかかえるように丸まった。雨宮は罪悪感は確かに持っていた。ただ間違った判断をしたとは思っていない。死ぬより能力の剥奪の方がよっぽど魅力的に見える。それは雨宮がもともと力を持っていなかったせいかもしれない。だからは雨宮は何も言わなかった。今の雨宮には理解できない感情だ。だから理解する努力するだけだ。雨宮は黙って部屋に座ってぼーと外を眺めることにした。命さえあればあらゆる諍いは時が解決するだろう。
「私……これからどうすればいいのかしら。国に帰ったら見事に恥の塊に降格よ。笑われちゃうわよ。………雨宮、貴方何か私の未来について考えてた?」
「ごめん。まったく考えていない」
「でしょうね……本当に大馬鹿野郎ね」
アメリアは赤くはらした目を擦り身を守るような体勢を解いて立ち上がる。ドレスは皺だらけで、頬には涙が垂れている。それでもアメリアは気丈に空を見る。大きく息を吸い込んで吐き出す。
「夕食でも食べに行きましょうか? 当然、貴方のおごりでね……」
「……仕送りは少ないんだがな。けど、分かったよ。それでアメリアの気が少しでも休まるなら」
雨宮が行ったことのないファミリーレストランに入店すると、アメリアは素早く目を通して膨大な注文を始める。パスタから定食から、ステーキまで、もはや腹を満たせれば何でもいいと言わんばかりのチョイスだ。雨宮は小さなパスタだけ注文した。財布が心配なったからだ。店員でさえ異常な注文数にこちらを真顔で見ていた。残念ながら雨宮には断る権利は与えられていなかった。
恐る恐る店員がテーブルに料理を並べると、アメリアは煌びやかな笑顔で感謝する。それを見て、頬を赤くしている女性スタッフもいた。雨宮はどうも慣れているので何も感じないのだが、アメリアは比較的、いや結構容姿端麗だ。すっと伸びた鼻と大きな瞳、細いモデルのような体、どれをとっても違和感がない。
だが今の光景は違和感だらけだ。アメリアは出された料理を片っ端から口に放り込み飲み込む。まったく咀嚼していないと言われても信じられるほどのスピードだ。それでもなお、彼女の頬にソースがついたり、床に落ちたりすることはない。あくまでも優雅に、すばやく食事を行っている。貴族の食事を倍速で見たらこういう光景になるのだろうか。アメリアはあらかた食べ終わると一息つく。
「………ふう、少し落ち着いたわ」
雨宮は最後のスパゲッティの一本を食べながら愕然とする。本当に全部食べてしまったのだ。例え、朝、昼抜いていたとしても雨宮には食べられる気がしなかった。
「外に出るわよ」
アメリアはそう一言言うと、金も払わず出ていった。いたたまれなくなって店員が苦笑いしていた。雨宮の財布は見事空になった。わずかに小銭が残った程度だ。店を出たアメリアを雨宮は急いで追いかける。人ごみをかき分けて追い続ける。幸いアメリアは見るものを引き付け、視線が集まるので追いやすかった。
辿り着いたのは雨宮の通学路にある川岸だった。日が当たるときは、老人が糸を垂らしている。岩満池よりはよっぽどは綺麗だ。流れる小川は今の雨宮の心象を表しているように穏やかだ。
「私の家……テューダ家は代々傀儡師に対して人形を売ってきたの……」
「だから家にあんなのに人形のパーツがあるのか?」
「あれは私の趣味よ。売り物ではないわ。元はただの人形師だったのだけどね。祖父の代で聖片を傀儡師たちから莫大な金で購入して家に聖片が渡ったそうよ。どんな思惑があったかは知らないけど、ろくなものではないわ。あの嫌な男のことだから異能力に憧れてしまったんでしょうね。あり得ないわ」
「けど、アメリアは誰かから聖片を受け継いだんだろ」
「そうよ。祖父から受け継いだわ。父は金融業で成功して、好き勝手やっているわ。まあそのおかげで生活に困ったことはないから感謝はしているけど。私が聖片を受け継いだ理由は……きっと誰かに認められたかったのでしょう。祖父に、友達に、世界に、自分が唯一の存在だと思い込んでいたかったのよ。馬鹿だと思うかしら」
「分からないよ。俺はそんなこと考えたことがなかったから」
「でしょうね。貴方が正義の亡者ならば、私は自己顕示欲の亡者だもの。根本的に違うのよ」
「正義の亡者ね……否定はしない。実際、俺も俺の異常性は認識してるから」
「私を助けることは………大衆にとっての正義とは似ても似つかないわ。そうね一般人の視点から見れば、私は己が力を試すために殺し合いのゲームに参加。実際に不意をついて殺そうとしたわ。今でも罪悪感は感じていない。何故、貴方は私を助ける必要があったの?」
アメリアは真剣な目つきで雨宮を見る。雨宮の中では答えは既に決まっていた。
「仲間だからだよ。それ以上でもそれ以下でもない。死んでほしくなかったから助けたんだ」
「それは……どういう視点?」
「俺の正義だよ。誰かのが作り上げた正義とは似ても似つかない俺の俺だけの正義だ。……アメリア、俺はこの茶番を終わらせるよ。人が死んでるからじゃない、周りの人間を守るためじゃない。お前とナターシャを守るために」
「あいつに守るとか言ったら笑われるわよ」
アメリアは想像して苦笑いを浮かべる。雨宮が殴り飛ばされる姿が見える。
「そうかもな。けど失うよりはよっぽどいい力なんてなくても何とかして見せるさ」
「力を失った私に対する皮肉かしら?」
アメリアはいたずらっぽくそう言う。雨宮は肩をすくめた。
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