第40話
日は沈み、時は満ちる。風が頬を撫で、目を覚まさせる。雨宮の足取りはどれだけ覚悟を決めたところで軽くはならなかった。腹には適当なパンを突っ込んで紅茶で流し込んできた。体の中に張られた自分の命を繋いでくれた糸を操作する。いつも通りだ。
「来たわね」
木陰になりそうな木製の屋根の柱に持たれていたアメリアがこちらを見ると近付いてくる。相変らず派手な真紅のドレスを着ている。両手には十指暗器がしっかりと付けられ、片手には重そうな茶色のケースを持っている。おそらく組み立て式の人形だろう。
「丸腰なの。随分と舐められているのね」
「日本刀を買える程、裕福でも伝手があるわけでもないのからな」
「それは残念ね」
雨宮が一歩踏み込むごとに、距離が縮まっていく。両者とも視線は逸らさない。雨宮は拳を握る、それに合わせてアメリアはケースのボタンに構える。
「常に美しく、完全たれ。それが我が家の家訓よ。どうも貴方には恥を晒してばかりだったような気がするけど、容赦はしないわ。怖気づいてしまうなら降伏しなさい。最後に殺してあげるわ」
「墓標に名を刻むのは俺ではなく、貴方です。貴方の道はここで途絶える」
「やってみなさい!」
アメリアはすばやくボタンを押してロックを外す。そのまま投げ捨てて、大地を蹴る。綺麗に整えられた芝生は人外を想定しておらずめくれ上がり土を晒す。距離を詰め、右脚の飛び蹴りがはなたれる。雨宮は冷静に右腕を傀儡術で固定、胸の前で防御する。骨が折れ曲がりそうなほどの衝撃。雨宮が横眼で確認すると一瞬のうちに二体の人形が組みあがっていた。一人は剣を持った騎士、もう一人はどう見ても大きすぎる大弓を持った弓兵。矢が一直線に頭を狙って射られる。雨宮はアメリアを蹴り返すことで位置を無理やりずらして危なげなく避ける。蹴りは空を切る。不安定な体勢を見逃さずアメリアは雨宮の顎に向かって掌底を叩きこむ。雨宮は避けずに筋力を強化して耐える。攻撃の勢いを利用して後ろに下がる。背後からは猛然とマネキンの騎士が迫ってきていた。真横から巨大な剣が振られる。雨宮は飛び上がって人形の頭を踏み潰し、高所に立つ。暴れるマネキンの頭を押さえ付け、土台にしてアメリアに飛びかかる。寸前、マネキンから力が抜ける感覚がした。雨宮は咄嗟に下に降りて何が迫ってくるかも確認せずに回避する。一歩遅れていれば、五本の指の長すぎる爪が雨宮の身体を切り刻んでいただろう。アメリアは気を抜くことはない。すぐさま雨宮に向き直り拳で相手の蹴りを防ぐ。雨宮の蹴りは尋常ならざる力でアメリアの腕の皮膚に食い込む。アメリアは蹴りはらって雨宮を追い払う。蹴りを防いだ右腕からは血が垂れていた。
「まるで化け物みたいな筋力ね」
アメリアは痛みを押し殺して右腕を振り回し、拳を握る。人形たちは雨宮を警戒しながら見守っている。雨宮は四方を塞がれていることに気づく。それでも一気に踏み込んで、アメリアに飛びかかる。振るおうとした拳を遮るように弓矢がはなたれる。雨宮はすぐさま、行動を中断し地面に立つ。すでに背後には剣が振るわれている。避けようと身を捩る。腹に鋭い蹴りが叩き込まれた。アメリアの固い靴が食い込む。雨宮は堪えきれず、口から血を吐き出す。脱力した体はそのまま地面を転がり倒れ込む。
痛みが全身に回る。特訓したとは言っても油断していれば傀儡術は容易く崩れる。雨宮自身が戦いたくないなどと思っているならばもはや避けることはできないだろう。処刑人のようにマネキンが首元に向かって剣を振り下ろす。避けなければ首が飛んで帰らぬ屍となるだろう。雨宮は気合を振り絞って傀儡術で肉体を操作して、飛び上がり、剣を回避する。
「………私は躊躇ないわよ、雨宮。慈悲は期待しないことね」
雨宮は恐怖であがる息を落ち着かせようと必死になる。そんなことをアメリアは待つ気などない。弱った雨宮を好機ととらえて弓がはなたれる。雨宮は目を見開く。弓を視界に捉える。豪速にも思えたそれが、徐々にゆっくりと感じられる。重力の落下によるわずかな軌道のずれ、空気の抵抗によるズレ。雨宮は少し右肩をずらして弓矢を躱す。それさえも誘導でしかない。アメリアの瞳が瞬時に目の前に現れる。右腕は既に振りかぶっている。雨宮は腕を蹴り飛ばそうとしたが、アメリアは明らかに攻撃を外す。違和感を抱いて背後を振り返る。鼻の先につきそうなほどの距離で騎士が剣を振り下ろしてた。雨宮は回避を選択することを放棄した。代わりに右手を刃を掴むために伸ばす。アメリアはその行動に目を見開く。
肉が切れる音は聞こえない。雨宮は痛みに耐えながらも刃を握る。刃は手のひらに食い込んだだけで、致命傷にはならない。恐ろしいほどの硬さをもって肉体は剣を防いでいる。雨宮はさらに手のひらを握る。血が滝のように零れだす。意識が飛びそうな痛みの中、それでも傀儡術で傷を無理やり塞ぎ、肉を強化する。動いてはいけない手のひらを無理やり動かして、騎士の剣を握った。万力のような力を込めて粉砕した。剣の先端が砕け散り、マネキンは不格好な剣を持っていた。アメリアの拳が背後から雷鳴のように叩きつけられる。雨宮は傷ついた手を使わずに防ぐ。
「素手で、刀を割る人間は今まで見たことがないわ!」
打ちつけられる衝撃に雨宮は呻き声を押し殺す。雨宮の視界はそれでも明瞭だった。右手が潰れてしまったのは大問題。だがまだチャンスは失っていない。アメリアは雨宮を蹴って後ろに跳ぶ。
「我が身は、宿命によって構成される。野を駆ける獣のように獰猛に、花を愛でる少女のように穏やかに、踊る。勝利の道は既に定まった。私が歩むのは、業火の道、花一つ咲かぬ地獄。知ってなお私は進もう……聖片解放!」
アメリアが叫ぶ。右腕が赤く発光する。雨宮は目を見開かんばかりに開いて、聖片の位置を脳に焼き付ける。これからやることには一点のズレも許されない。アメリアの右腕が花開き、巨大な触手に分裂しようとする。雨宮は攻撃など恐れない。一直線でアメリアに接近する。左手には古くさい銀の刃がつき、木製の柄の短刀。人転。
「ああああああああ!」
雨宮は振るわれる触手で身を削られ血が噴き出る。それでも前に進んで、刃を突き刺した。
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