第39話

 扉をせわしくなく叩く音が聞えてアメリアは警戒しながら立ち上がる。外を確認すると呆れた表情になる。扉を開けると汗だくの雨宮が立っていた。さっき来てから、数時間しか経っていないのに、瞳は先までの怯えたものではなく、決意を決めた獣の目だった。

「俺と戦いましょう」

「………本気で言ってるの」

「本気ですよ。俺が貴方に勝って殺します」

 アメリアは雨宮の思考が読めず、眉をひそめる。

「貴方がわざわざ、私と戦うとする理由が見当たらないわね。勝ちたいという思いがあったとしても、漁夫の利でも狙うべきだと思うけど……まあ入りなさい」

 アメリアは雨宮のために紅茶を淹れる。ティーカップに雨宮の顔が映る。いざ宣言をしたため、少しだけ瞳は不安に揺れていた。自分の意志力の低さに、憂鬱になる。それでも悟られないように気丈に強がることを選択した。

「もう一度聞くわよ。本気で戦うの?」

「……はい」

「いいわ。どんな思惑があるのか知らないけど、決闘を申し込まれた以上はアメリア・テューダの名にかけて貴方の勝負を受けましょう」

 雨宮はそのあと、無言で立ち去った。アメリアは雨宮がいなくなったのを確認すると机に倒れ込み。頬を冷たい机にのせて、誰もいなくなって空っぽになった部屋を見つめる。アメリアは正直、ナターシャ・オルロワに勝てるとは思えなかった。窓を突き破ったときとは違い、今度は彼女は全力で殺しに来るだろう。相手の能力が分かってるとはいえ、実力差は歴然だ。それでもアメリアが取れる道は戦うことだけだ。外に逃げようとすれば、罰によってほぼ間違いなく殺害されるだろう。一瞬だけ、雨宮、もしくはあの深見とかいう女と協力することを考えたが、どうもそれでも勝てる気がしない。何より雨宮はこの誘いに乗らないだろう。深見のことはほとんど知らず、信用できない。八方ふさがりだ。四面楚歌でないだけましなことは間違いないが、良い状況ではない。だから、だろうか雨宮の不自然な行動に柄にもなくアメリアは期待してしまった。

 雨宮はナターシャの家の呼び鈴を鳴らす。数分間待つが、誰も出てこない。無視されているのか、それとも不在なのか。雨宮にはナターシャが普通に街を歩いている姿が想像できなかった。屋根の家でも飛び回っていそうだ。

「無視されていることに気づかないのかしら。ナターシャはいないわよ」

 雨宮は後ろをジト目で振り返る。相変らず黒い衣服を来たナターシャが堂々と立っていた。手にはビニール袋を持っている。中にはカップうどんが入っていた。ナターシャは雨宮の視線を追って、相手の顔をもう一度見ると僅かに頬を染めた。

「似合わないとか考えてそうね。生憎、効率化したいからわざわざ作ったりしないのよ」

 ナターシャは無言で扉を開け放ったまま放置した。雨宮は入っていいのだと解釈して入る。すると随分と楽しそうにナターシャがニヤリと笑う。

「不法侵入ね……警察に通報しようかしら」

「お前が楽しそうなら何よりだよ」

「面白くない反応ね。そこはうぶに慌てたほうが可愛らしいわよ」

「お前みたいな奴に可愛らしいシーンを見せると喰い殺されそうで怖い」

「あらよく分かってるじゃない。私は欲しいものは何でも手に入れる、貪欲な獣よ」

「カップうどんが欲しかったんだな」

「………カッコ悪いところを突かないでくれるかしら」

 ナターシャは素早く火をつけ、湯を沸かす。慣れた手際から何度も繰り返してきたことが容易に伺える。

「今まで、ずっとカップ麺だったのか」

「たまにパンを買ったりもしていたわ。最初の頃は新しい物への挑戦心に満ちていたのだけど、どうも忙しくなってきて考える時間が惜しくなったから最近はもっぱらカップ麺ね」

「……何を考えているんだ?」

「色々よ……」

 お湯を注ぐ音が部屋に響く。水の一滴が狙いを外れて落ちる。単純なことですら思い通りにはいかない。ナターシャはカップ麺の蓋をしっかりとしめると時計を確認する。

「ナターシャ」

「何かしら?」

「俺がアメリアと先に戦う」

「………また、勝手なことをやるのね」

 ナターシャはいつものように不満そうにため息をつくが、その瞳には確かに慈愛が宿っていた。聞き分けの無い子供を叱りつける母のような瞳。ナターシャは雨宮がこちらを見ていることに気づくが、表情を変えなかった。

「少し、外に出ましょうか?」

 柔らかな笑みをナターシャは浮かべた。


 既に夕日が落ちており、暗がりができ始めている。雨宮はナターシャと隣り合って歩いた。夜風が撫でると少し体が震える。ナターシャは雨宮に向かって手を差し出した。細く細かい糸で縫われたような握れば割れてしまいそうな細い腕。たとえ血だらけだと分かっていたとしても雨宮はその手を握った。無言で二人で歩くと、アメリアと特訓した公園につく。人気は徐々に減っており、最後には二人だけが残される。

「不安なのよ、どうしようもないほど。全てが上手くいくことを願ってしまっている。雨宮仁、貴方は私に何を見せてくれるのかしら?」

「アメリア・テューダから聖片を引き抜く」

 雨宮はヒナから渡された短刀を取りだす。ナターシャはその刃が抜かれた瞬間に、僅かに後ずさる。

「どこで手に入れたのかしら?」

「よく分からない子供から貰った」

「それは平凡な子供が持っていられるものじゃないわ。もっと歪んでいるものよ。貴方があったのはもっと歪でこの世界に居てはいけない存在」

「そうだとしても、アメリアを助けるのに協力してくれるならそれで構わない。どっちにしろ、このままだとお前かアメリアが死ぬ。これがそれを回避する唯一の方法だ」

「………好きにしなさい。もし騙されていたなら貴方は、今度こそ自分の手で手を汚すことになるわ。その覚悟ができてるの?」

「できてない。……けどやるしかないんだ」

「………いいの? その判断は正しくなどないわ。自分を殺そうとした殺人鬼を救うなんて正義はどこにもありはしないわ。貴方はなぜか信用しているようだけど、聖片を回収できたところで殺されるかもしれないわ」

「知ってるよ。……けど、これが俺の正義だから」

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