第37話
「契約はそろそろ終わりにしましょう」
「そうね。いつやりましょうか?」
「三日後、前回集まった橋の下を提案するわ」
「却下。高低差がある時点で、貴方が有利じゃない」
「平原でやったところで結果は変わらないからいいでしょう」
「変わるわよ。大いに」
アメリアは、ポーンを前進させる。ナターシャはビッショプをさらりと取る。アメリアは不満そうに目の前の女を見る。ナターシャは気にした様子もなく難しそうな分厚い書物を読んでいる。表紙には何の飾り気もなく超弦理論とだけ書かれている。高校生である雨宮は聞いたことしかなかった。詳細はもちろん知らない。
「ナターシャは何を読んでるんだ?」
「超弦理論よ。物理学だと結構ホットな分野だと思うのだけど。高校生のくせに知らないのかしら。怠惰ね」
「明らかに高校生のレベルを超過しているからな」
雨宮は呆れたように言う。アメリアがナターシャの差された手に対して頭から湯気を出しながら考えている。
「これよ! ……いや違うわね。これも違う、そしたら、けど」
ナターシャは再び本の虫になる。相変らずの棒弱無人さを見て、雨宮は安心感を覚えた。
「いいわ。貴方が決めなさい。一週間以内なら、どこでも、何時でも構わないわ。どうせ私が勝つもの」
「大して自信ね。じゃあ、三日後、深夜12時に公園でやり合いましょう」
「人払いはどうするの?」
「私は心配する必要がないわね。貴方の本気ほど派手じゃないもの」
「ふむ。それもそうね。いいわ、それぐらいのハンデは与えましょう」
「何の話をしてるんだ……」
雨宮は嫌な予感がして恐る恐るナターシャに話しかける。ナターシャは何を言ってるんだと馬鹿にするように目で訴えたあと、ため息をつく。
「決戦の日を決めてるのよ。どうせ私の所有物が不意打ちをやると文句を言うと思ったから、ちゃんと約束して契約して時刻に通りに、ルールに従って決闘することにしたのよ。素晴らしい慈悲の精神だと思わない。チェックメイト」
ナターシャはいつの間にか盤面を支配しており、アメリアは防戦一方だ。何度か、キングを動かすが、動かせば動かすほど罠にはまっていく。
「私の負けよ。……どういう思考方法しているのよ。それともチェスのプロだったりするの?」
「いや、ルールはさっき知ったばかりのずぶの素人よ」
「………私子供のころからやってるのだけど」
「ご愁傷様」
アメリアは床に寝転がって天井を見る。
「帰るわ……」
「そう」
「では予定通りの時間でお願い」
「私は約束を間違えたことはないわ。意図的じゃなかったら」
「信用できない発言ね」
アメリアが扉を閉める音が聞こえた。雨宮は何度か言葉を飲み込んだあと、口を開いていた。
「……、…何の話を……してたんだ……」
「殺し合いよ。三日後の深夜12時。私たちが戦うのよ。文句を言わないでよ。最初から決めていたじゃない」
「永遠の命は必要ないんじゃなかったのかよ」
ナターシャは泣きそうな声を出した雨宮をだるそうに見る。
「…必要ないわ。ただ化け物を狩るならば接近しなくてはいけない。私はまだ、この劇の主催者とやらを見ていないもの。劇を順調に進めてあげる必要があるわ。私と貴方を含めて、あの時、4人しか集まらなかった。半分をきったわ」
「お前は…それでいいのかよ」
雨宮の言葉にナターシャが眉をひそめる。
「ダメな理由がどこにあるのかしら?有象無象が何人死んだとしても私には実害がないのよ。それに別に私は快楽のため殺しているわけではないわ」
「仕事だからか?」
「そうねそれもあるわね」
「やめる気はないのか……」
「やめると言ったら貴方が協力してくれるのかしら。それは嬉しいわね。けど大した力のない貴方じゃ、何もできやしないわ。私は無謀な奴は信じない。……話は終わりよ。もう帰るわ。邪魔したわね」
ナターシャは雨宮の玄関の扉を開けて、こちらを振り返った。氷のように冷めた冷徹無慈悲な瞳、黒い衣装はまぎれもなく死神だろう。関わった者さえ、友人であれ恋人であれ、その手を血に染めて放り棄てる。最初、彼女と出会ったときの雨宮にはそう思えた。だが雨宮は慣れてしまったのだろうか、彼女の瞳には何故か微かな希望があった。雨宮は両手を硬く握った。
「………なぜ、来るの?」
扉を開けたアメリアが不満そうに扉の間から覗いている。寝ていたのだろうか綺麗な金髪はところどころ跳ねている。雨宮の真剣そうな瞳を見て、大きく溜息をつく。
「入りなさい……」
雨宮は言われた通りアメリアの部屋に入った。以前と比べて、明らかにものが増えている。同人ショップで購入した18禁ゲームは山のように積み重なり、一部が崩れている。精巧な何十万円もしそうなマネキンは部屋の隅に追いやられている。
「汚いですね」
「いいじゃない生活できるんだから」
アメリアは腰に手を当ててそう言う。雨宮は無言で崩れていた本を集め始めた。アメリアは露骨にめんどくさそうな顔をしたが、環境が良くなることに文句はないらしく何も言わなかった。
次第に人が住めそうな家が出来上がると、雨宮とアメリアは席に着いた。
「………」
「私はあの女と戦うわよ。本当なら実力差的に不意打ちでもして殺してやるのが正しいのだけど、貴方がいるんならそういうわけにはいきそうにないわね」
アメリアは苦笑いを浮かべながら雨宮を見る。
「どうして、俺がいると問題なんだ」
雨宮は純粋な疑問を口にした。アメリアはその言葉にくすりと笑った。
「貴方って意外と周りが見えていないのね。……十分強かったわよ」
「えっ!」
「強かったのよ。源川との戦闘の際、私たちは好んで何もしなかったわけじゃない。途中で入れなかっただけよ。あれだけの速度で破壊をまき散らしながら動き回られると。……もしかしたら間違って切り殺される可能性もあったから」
「源川さんが手加減してくれたんじゃないですか?」
「人間は約束とはいえ、自分の命を捧げられるほど高潔ではないわ。あの外敵が手を抜いていたとしても、最後は全力だったはずよ。おそろくナターシャが乱入したときから。だから貴方は貴方の力でその場にいた誰もが一人で倒せないような存在を協力があったとはいえ、倒した。……だから貴方は強いわよ。これと私がナターシャと戦うってのは関係のない話だけどね。勝利を狙うなら勝った方と戦ってみるといいわ」
「しませんよ……」
雨宮はアメリアの言葉に意気消沈しながら外に出て行った。
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