第32話
雨宮はここ数日間続いている平和な朝を迎える。眼鏡をかけ直すと制服を着て学校に向かう。いつもの毎日。雨宮の予想に反して、ナターシャとアメリアは契約が終わった後は殺し合わなかった。彼女たちは合意点を見つけたのだろうか。雨宮にとってはそれは嬉しいことだった。
「誰も……いや一人だけいたか」
雨宮に特定の友人はいない。白水恋とは仲がよい自信があるが、彼女たちはそれともまた違った。雨宮自身が執着してしまっている他の誰でもないナターシャ・オルロワであり、アメリア・テューダだと認識している。過去には一人、月坂真理愛がそんな存在だったが。今はいない。己が拒絶した。
「坊主、朝はこんなに早いのか? 勤勉なことだな」
考え込んでいて話しかけられていることに気づかなかった。驚いて顔をあげると白髪の年老いた快活な男がこちらに向かって手を向けている。雨宮はその佇まいがどこかナターシャに似ているような気がした。外見は似ているわけがない。呼吸の細かなリズムやこちらを見る目、明らかにどこにでもいる人間ではない。雨宮は無意識に体の中の糸に力を入れた。それに気づいたのか老人は一瞬ぎょっとするほど冷徹な目を向け。そのあと豪快に笑った。
「あー、坊主誰かに騙されたのか? ………いやこっちの話だ。坊主! この世に化け物の居場所があると思うか? 人を殺す怪物を生きていていいと思うか?」
その言葉で想像されたのは泣きそうな顔した一人の少女の姿だった。だから何も考えることなく答えた。
「ありますよ。それがその存在に必要ならば」
「………そうかい。いや何でもない聞き逃してくれ」
源川は空を見上げる。何か考え込むように瞳を閉じる。
「坊主、学生か」
「高校生ですけど」
「そりゃいい。放課後ここで待ち合わせしないか」
雨宮はその言葉に眉をひそめる。今日会ったばかりの人間と何故、自分は話してるのだろうかと疑問に思う。
「すいません。やるべきことがあるので」
だから断ることにした。何もやるべきこともないのに。
「このゲームの目的を知りたくないのか……」
雨宮はその言葉で背を向けようとしていた体を止める。
「午後7時ぐらいでいいか。おじさんとちょっとお話ししようじゃないか。それだけだ。坊主が決めるといい」
老人はそのまま立ち去っていた。雨宮は心に靄を抱えながらも日常に向かって歩いた。
忘れていた非日常が戻ってくる感覚がした。雨宮は人にごった返している見慣れた商店街を老人と歩いていた。
源川六三郎、老人はそう名乗った。雨宮は老人に連れられて店に入る。
「……なんで居酒屋、何ですか?」
「話し合いの席は酒の席だ」
当然だろと言うように首をすくめる。未成年を酒場に連れて行くのはどう考えても当たりまえではないのだが、雨宮は言葉を飲み込んだ。
「ゲームの……正体って何ですか?」
「早速本題に入るのか坊主。随分とせっかちだな。モテないぞ」
「そのために来たんです」
源川はごくりと酒を飲むとこちらを見る。
「わしは傀儡師と名乗る化け物どもとその親玉を殺しに来た」
老人は平然とそう言い放つ。幸い周りの人間にはうるさくて聞こえていないようだ。もし聞こえたとしても与太話だと思うだろうが。
「………何者ですか?」
「疑わんのか?」
「疑わせたいならもう少し、まともに演じてください」
「はははは! そりゃそうじゃな。そうじゃな、わしが自分を形容するなら狩人じゃ。この世に蔓延る異常者を狩るためのな。今回のターゲットがたまたまお主ら傀儡師だっただけじゃ。こだわりはない」
雨宮は真剣な面持ちで目の前の老人を見る。何とかなるだろうか。
「まあそう警戒するな。お前さんを殺す気はないとりあえずな。そうじゃなー、理由は単純で坊主は匂いが薄いからじゃ。………坊主、この町から去らんか? わしは今からこの街を清掃せにゃならん。この宇宙に属さぬ異常者どもをな」
「本当に殺す気なんですか?」
「んああ。何か可笑しいことを言ったか? いなかったものを滅ぼすだけじゃ何も問題はないじゃろ。聖片はこの世界に存在してはならん。あれは邪悪じゃ。人間の異常性を覚醒させる。見たことがあるか知らんが、今回の化け物の聖片は特にグロテスクじゃな。まさか死体から抜けだして動くとはさすがのわしも思わんかった」
くつくつと楽しそうに喉を鳴らす。雨宮にはそんな自然な行動が恐ろしい。人を殺すと公然と発言し、気にした様子もなく酒をあおる。
「この劇は馬鹿か欲張りしか参加しておらんよ。永遠の命なんてものを望む馬鹿か、もしくは関わらなくてよい存在に関わろうとする欲張りじゃ。お主はこの劇の真の目的を知っておるか。再生じゃろう。予想だがな。あれの復活はまずい。まずい。まずいなんてもんじゃないくらいじゃ。早々に弱っているうちに始末するのが先決じゃろう。遅すぎるとわしでも手を付けられなくなるかもしれん」
雨宮は老人の話を聞きながら思ったことは、彼は間違ったことは言っていないということだ。もし仮に老人の言葉が紛れもない真実ならば、老人は正しい。大量に死ぬべき現象を事前に防ぐべく、少数を切り捨てようとする。その犠牲も欲張りか愚か者ときている。何も間違ったことを言っていない。正しくて、間違っていない。その言葉が雨宮の頭の中で響き渡る。お前は彼の提案を聞きいれて逃げるべきだ。さらに言えば望むなら協力すべきだ。
「どうする坊主、わしに協力してくれるか」
「しません」
それでも雨宮の口から出たのは正反対な答えだった。正しくないことは分かり切っている。アメリア・テューダは自ら望んで参加しているし。ナターシャ・オルロワは紛れもない殺人鬼だ。雨宮が敵対すれば間違いなく殺されるだろう。それが恐ろしかったのではない。これは真逆の感情だ。
「できませんよ。そんなことは」
間違っているのに口から出るのは未だにその言葉だ。
「何故じゃ。金の問題か? それならわしが」
「違います。そんな危険な状況なら守ってあげたい人がいるんです。俺に何ができるかは知りませんが。やるべきことをやりたいんです。たぶん、そいつに言ったら笑われますけどね」
雨宮は軽く自嘲気味に笑うと、席から立ち上がって外に出た。
「交渉決裂かの……残念。残念。じゃあ殺すしかないのー」
心底楽しそうに老人は雨宮を見ていた。
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