第29話
「貴方の大切な餌はどこに行ったのかしら?」
「あれはダメだね。警察に泣きついてたよ。こんな殺し方をしてる僕の痕跡なんて無能に見つけられるはずがないというのに。まだまだ慣れていないらしい」
「良かったわ。クズ野郎に脅されたとはいえ加担した人間を許しがたかったとこだから」
「あー、そりゃ判断をミスったな。盾として保持しておくべきだったか」
夜に紛れるスーツを着た男が道のど真ん中に立っていた。どう見ても仕事帰りとは思えないヘラヘラとした笑みを浮かべている。予定されたかのように雨が降り始める。狩りの時間だ。雨は人を払い、戦場を創り出す。マイケルはポケットからナイフを取りだすと試しに何度か振り下ろす。アメリアはじっと左手に巻きつけられたピアノ線に注目している。
「ああこれかい。君たちが随分楽しそうに裁縫を行っていたものだからさ。僕も趣味として始めてみようと思って」
「その結果が、さっきの口を縫い付けられた女かしら?」
「本当? 知らないなー。人違いじゃないか。疑わずは罰せずが日本の常識だそうだ。それに従って君も僕を疑っているなら警察を通してきてもらおうか」
子どもに諭すようなその口調にアメリアは青筋を浮かべた。
「指名手配されてるやつが言う言葉じゃないわ」
「顔は割れてない」
「玩具が自首したってことは、時間の問題よ。……だったらいいのだけど。どうも貴方は無駄に知恵が回りそうだからここで処理しておくわ」
「怖いね、お嬢さん。慈悲はないの?」
「ないわ!」
踏み抱くほどの力を地面に叩きつける。アメリアの拳が空を蹴る。マイケルは身を捩ってかろうじて避ける。反撃でナイフの斬撃が振るわれる。アメリアは指に付けた糸を張り、刃物を受け止める。危うい音を立てながら予想外の怪力で糸がたゆむ。アメリアは断ち切られる前に、右足で相手の脚を粉砕しようとする。マイケルはあっさりと攻撃を中断、引き下がる。
アメリアの隣に人形が飛び降りてくる。両手で長刀を持つ中世の騎士のような不気味なマネキン。マイケルは自分の左手についたピアノ線に視線を当てる。猛然と人形の騎士が殺人鬼に迫る。左腕のピアノ線を槍のように突き刺す。剣は弧を描き、糸を切断する。切断した糸にすぐさま新たな糸が巻き付き。急激に軌道を変えて人形の身体に突き刺さった。人形は刺さった糸を根元から握って千切った。
「……ありゃりゃ。人形操作も刺すもんだと思ってたんだけど。当てが外れたか?」
「貴方……本当に傀儡師?」
「傀儡師……そう呼ばれてるんだっけ。そうだと思うよ。たぶんね」
「傀儡師はそんな何となくで慣れるものじゃないのだけど」
「………うん、いいや。話すべきだね。信用できないのはどっちもだ。実はね……ADAMとかいう悪徳宗教団体みたいな奴らから変な肉を譲ってもらったんだ」
「いいわ。大体事情は察してたから。………参加するべきではなかったわね。殺人鬼さん」
「同感だ。けどここでは終わらないから、大丈夫!」
右手に持っていたナイフを放り投げる。アメリアは素手で真上から叩き落とす。真横から糸が飛んでくる。人形がすかさず間に入って防ぐ。剣を回転しながら振るう。マイケルは上体を逸らして避ける。その体勢のまま剣の平を真下から蹴り上げる。巨大な剣は宙を舞う。マネキンは剣が飛んだなら仕方ないと言わんばかりに拳を放ってくる。マイケルは咄嗟の判断で横に跳ぶ。飛んだ先ではアメリアが蹴りを放っている。マイケルは抵抗として左手の糸を相手の眼球に向かって飛ばす。アメリアの頬の皮膚を鋭くえぐる。同時にマイケルの腹に鋭い蹴りが食い込んでいた。必死に宙でもがきながらなんとか地面に降り立つ。マイケルは好戦的だった顔を急速に無くすと、咄嗟に路地裏に飛び込もうとする。そこに黒い影が降り立つ。緑色の禍々しい羽根には意識を持っているかのように動く眼球が付いている。ナターシャ・オルロワはマイケルの道を塞ぐように立っていた。
「これが噂の殺人鬼。意外とつまらないのね」
ゾッとするような冷徹な声をナターシャが放つ。マイケルは流石にこの状況には冷や汗がでる。後ろにも前にも敵がいる。それに目の前の怪物の速度。逃げられるだろうかとマイケルは考える。今にも飛びかかってきそうな獣に戦慄しながらもマイケルは逃げる手段を考え続ける。咄嗟の判断だった。視界の端に人を捉えた。中肉中背のどこにもいそうな人間。男か女などどうでもいい。盾に成ればいい。マイケルは必至の形相で走って、人間の首を捉えた。予想外の行動だったのか周りを囲んでいた傀儡師は対応できていない。これは賭けだ。少なくともあの紅いドレスの女は正義感が持っているとマイケルは判断した。
「近寄って見ろよ。お前のせいで人がしッ!」
安っぽい悪役の言葉を呟ていた口を拳が殴り飛ばす。いつの間に近づかれたのかとマイケルは混乱したが、拳は捕まえていた男から飛んでいた。マイケルは気を取り直してすぐさまナイフを叩きつける。刃に向かって高速で二撃。攻撃が叩き込まれる。ナイフは粉々の破片になる。そして追加で一撃が、顔面に直撃した。
「この、偽善者風情がァァァァ!!」
血を垂らしながら必死の形相でマイケルは左腕の糸を飛ばした。その糸は制御を失って重力に従って、威力を失った。
「傀儡術は意志に左右される」
雨宮は右こぶしを強く握り、狙いを定める。体中に張られた仮想の糸を引き絞り腕は引っ張られるようにマイケルを殴りつける。よろけたマイケルは突然、ポケットから折り畳み式ナイフを取りだす。刹那のうちに肉を抉る。
「やったぞ、これで貴様も使えない!」
確かな手ごたえを感じたマイケルは眼球を突き刺す様にナイフを構えた。一気に突き出す。あっさり砕け散る。マイケルは愕然として地面に垂れ込む。
「ねえ、人殺しは良くないことだぜ」
へらへらとマイケルは言葉を紡ぎ始める。
「悪人だったら殺していいのかい? 人殺しはみんな死ぬべきなのかい。僕は……そうするしかなかったんだ。お金がなくて……仕事を失ったんだ。だから………」
マイケルは次第に不安げになり涙を流し始める。その顔は次の瞬間には首を離れ、切り落とされていた。そこには一本の糸が張られていた。
起こるべきことが起こり全てが立ち去った後、喪服にも見えるシスター服を来た女性が凄惨な場に立っていた。目の前には首が切り落とされたマイケルの姿があった。時間はそこまで経過していない。もぞもぞとマイケルの身体から脚を生やした小さな肉片が立ち上がり。どこかに向かおうとする。深見綾子は、それを鷲掴みにすると分割された死体を袋に詰めた。
無数の死体のように人形が積み上げられた洞穴で深見は跪いていた。目の前は暗くてよく見えないが、鼻が曲がるような異臭が蔓延しており、小さな虫一匹さえ周囲には存在しない。
「我らが偉大なる神。繽來神よ。主の肉片を回収してきました」
深見はそう言うと肉片を地面に置くと、すると導かれるように肉片は元あるべき場所へと戻っていた。巨大な影は次の瞬間にはその場から消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます