第28話

 雨宮はなぜか自分の家で正座させられていた。目の前では先日、殺し合いに発展しそうなほどに険悪な雰囲気になった少女が立っている。そして数日間の空白を語らせられていた。全てを喋り終えると雨宮はナターシャを見る。

「何、そんなにジロジロと見て。見惚れたかしら?」

「………よく平然と会話できるな」

「昨日、殺し合った相手と協力することも、仲間だった奴を殺すことも私にとっては当たり前の事よ」

「すごいな」

「慣れない方が幸せよ。……なるほど随分と楽しそうだということは分かったわ」

「殺されそうになってたと思うんだが」

「そんなもの危機的状況に入らないわね。それにしてもあの女、女狐ね。私は色仕掛けするのが苦手だったから行わなかったのだけど。どれくらい効果があるのかしら?」

「本人に聞くか。それに色仕掛けはされてない」

「貴方にとっては、ね」

 ぼそり聞こえた。雨宮はナターシャの言葉に安心感を覚える。どうやらすぐさま殺されることはなさそうだ。

「………そうね。デートしましょう」

 何か妙案を思いついたようにナターシャはそう言った。雨宮はその言葉に喜びよりも疑いが強まる。ナターシャはその顔を見てくすりと笑う。

「疑うのね、賢いわ」

「うるさい!」

「断ってもいいけど、私のことを知っていた方が後々貴方にとって得だと思うわよ」

「………分かった。別に予定もないし。いつにするんだ」

「何言ってるの? 今からに決まってるじゃない!」

 考える時間を与えられなかった雨宮は、アメリアに案内された場所をそのまま辿ることを決行した。出された珈琲を見た瞬間、雨宮の目を見る。

「貴方って……珈琲好きだったかしら?」

「………意外と見てるだな」

「相手の趣味嗜好と性癖を把握するのは基本よ。私の予想だと貴方は子供っぽい女性が好きね。性格的な意味だけど」

「何を見てるんだか。珈琲が苦手なのは事実だよ」

「ということはあの女と言ったところね」

「お前、最初から全部分かってんじゃないのか?」

「失礼ね。今、彼女が消えてない時点で予想外よ。もっと言えば貴方こそが最大のイレギュラー」

 雨宮は苦い珈琲を飲みながら、彼女の表情から真理を読み取ろうとしたが相変らずの鉄面皮だった。しかしいつの間にか頼んでいた羊羹が来た瞬間、彼女の頬が少しだけ緩んだ気がした。見られたことが不快なのかこちらを睨みつけてくるが。すぐに羊羹に視線を戻すと、口を隠して食べた。雨宮は内心で少し驚いていた。彼女の行動に明確なメリットが見いだせない。小さな情報なのかもしれないが、彼女の隙を初めて見た気がした。

 同人ショップに女性を誘うのはどうかとも考えたが咄嗟にプランを練る力がなかった。なので雨宮は諦めた。しかし結果としては成功だと言えるだろう。目の前でライトノベルを真剣に読み込んでいるナターシャを見て、そう思った。

「話しかけないで」

 それが雨宮が話しかける前に言われた言葉だった。まだ話しかけてすらいない。まさか彼女がここまでライトノベルファンだと思っていなかった。もっと言えば、すぐに帰ると言い出すのかと思っていた。雨宮も黙々と本を読むことにした。結局日が暮れそうになるまでナターシャは本を読み耽る。挙句の果てにはカードで山のような本を購入した。後で運ばせるらしい。

「これで全部だよ。帰っていいだろう」

「あら貴方は、自分の主人とそこら辺にいる犬、同じ扱いをするのかしら?」

「お前は俺の主人じゃないだろ」

「愚かな犬よ。………少し話をしましょうか。今後のために」

「話をしよう。という言葉は喧嘩が始まるような気がするな」

「したいならしましょうか。貴方の鼻は確実に吹き飛ぶけど」

「折れるじゃなくて、吹き飛ぶのか……」

「で、どうなの? ここで怖気づくの? 女の子の夜のお誘いから逃げる惨めな男なのかしら?」

「お前は女の子というより、狼だな」

「嫌いではないわね。どうするの、答えをじらされるのは嫌いなのよ」

「ここまで来たんだ。最後まで付き合うよ」

「良い返事ね」

 雨宮は突然手を握られたかと思うと、体を宙に浮かされていた。そのまま落ちるようにナターシャの手で支えらえれる。

「あら、練習の成果がないわね」

 雨宮はお姫様抱っこされていることに気づいてもがこうとするが落ちたら死亡するので諦めた。ナターシャが飛んだからだ。家の壁を蹴り、壁に糸を突き刺しながら登り始めた。ナターシャは手を開けるためにたまに片手で雨宮を持つため、心穏やかではいられない。突き抜けるような風が恐怖心をあおる。下を見れば確実に死んでしまうような高さになっていた。

「おい! 何するんだ」

 ナターシャは雨宮の言葉など無視して次々と糸を突き刺して壁を駆け上がる。ひと際強く蹴ると、体は宙を浮いていた。一定まで上がると重力に従って急速に降り始める。雨宮は強烈な浮遊感を伴った恐怖に目をつぶった。着地は鮮やかだった。衝撃の一切を吸収するかのような無音。ナターシャはしっかりと雨宮を抱えて高い住宅の屋上に立っていた。

 ゆっくりと不安げに降りた雨宮は恐る恐るナターシャの隣に立った。

 窓の外に零れる文明の光、眠らない商店街のいくつもの看板がイルミネーションのように街を彩っていた。雨宮は普段から見なれて退屈すら感じるような街でさえ、視点を変えれば違って見えることに気づく。空を見上げると煌々と満月が光り、少年を見下ろしてた。雨宮は広がる景色に息を飲んだ。

「………お気に召したようで、幸いだわ」

 ナターシャはぶっきらぼうにそう言ったが、少しだけ言葉には暖かさがこもっていた。

「木偶は」

「ん?」

「木偶がそんなに興味深いかしら」

「そりゃ、俺を襲ってくる化け物を何とかしたいと思うのは当然だろう」

「そうね失念していたわ。木偶はね………人間を変質させる力をもつ黒い雨によって生まれるものよ。凶暴化して触手が生えるのが特徴的ね。そして明かにこの劇を管理するある存在から命令を受けている。知能が低くてうまく果たせていないようだけど」

「………何で、知ってるんだ?」

 雨宮はナターシャから後ずさりながらそう言う。

「私の目的が管理者を殺すことだからよ。……可笑しいと思わなかったのこんなデスゲーム擬きが世界に放置されていること。このゲームは超人と呼ばれる超自然的存在が開催しているのよ。一般人では到底勝てないそれを殺すことが私のこの国での任務よ。だから、もしかしたら貴方は助かるかも知れないわ。必要であれば殺すけど」

「なんで、俺を守るんだ?」

 驚きを隠せず雨宮はそう言う。

「お気に入りの玩具は……それなりに大切なのよ。だから安心しなさい、貴方が無駄な反抗をしない限り。……貴方は私が守るわ」

 雨宮がその言葉に驚いている。ナターシャは先ほどまでの穏やかな表情を消した。

「あの女に連絡を取りなさい」

「……どうしたんだ」

「殺人鬼のお出ましよ」

ナターシャは夜の闇を見つめながらそう言った。

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