第22話

 陰々たる街道を雨宮は歩いていた。予定調和の如く、雨が降り始める。その色は泥を大量に含んだようにどす黒く、飲む気など脱水状態でも湧きそうにない。

「もう確定させて良さそうだ」

 この雨は明らかに異常で、自然現象などではない。そして劇の説明にこんなものは含まれていない。最悪の場合、傀儡師と一切関係ないということもあり得るだろう。雨宮はそう思った。もし自分が家に居たら、家に突っ込んでくるのだろうかと不安がちらつく。そんな不安は目の前に現れた新たな不安の種にかき消される。

 木偶だ。両腕は巨大な一本の触手になり、女性の左目の眼球は飛び出し別個の命としてこちらを見ている。雨宮は一気に、体内に意識を集中させる。体中に張り廻っている仮想の糸を思考で掴む。右腕を糸によって内側から動かす。

「前と同じ、前と同じ、前と同じだ。冷静に対処しろ」

 雨宮はそう言い聞かせる。何の前触れもなく、目の前の怪物は静寂を打ち砕く。鞭のようにしなりながら右側から触手が飛んでくる。脚を内側から操作する。通常の跳躍ではあり得ない身長ほどの高さに飛び上がる。やろうと思えば、もっと上に跳べるだろう。触手の攻撃は的を外れ、そのまま通り過ぎる。軌道を修正して左側からもう一方の触手が飛んでくる。雨宮はそれに合わせて、振り被り、重力にのせて拳を振り下ろす。衝撃波と共に触手は凹み、大きく後ろに下がる。ただ本体には対した影響がないようで、さっきよりも強力なスイングが飛んでくる。雨宮は地面に一気に降りて、地面を壊さんばかりに踏み込み相手の懐に飛び込む。急な動きに反応しようと木偶は触手を手元に戻そうとする。その前に、拳を飛び出した眼球に叩きこむ。金属の板を引っ掻いたような声を出す。木偶は戻した触手を拳の形に変化させ、殴りつける。雨宮は内側から体を高速で動かして攻撃を避ける。急に動く自分の動きに引っ張られながらも、足で止まり、腹に拳を打ち込む。傀儡術によって強化された攻撃は、木偶の口から真っ赤な血液を噴出させる。吹っ飛ばされそうになり木偶は足をつけようとする。雨宮は素早く足を払い、倒れる瞬間に拳で追い打ちを食らわせる。木偶はそのまま転倒した。

「終わったか……」

 動かないか、一分ほど確認したあと恐る恐る近づく。

「これって死体の判定じゃないんだな……」

 雨宮は濡れた服を触りながら言った。「死体に触れてはならない」なぜこんなルールがあるのか知らないが木偶は死んではいないらしい。それとも雨宮がイレギュラーだからなのか、判断がつかない。倒れた木偶を調べながら今までの記憶を辿ると、どうやら雨が原因なのは間違いなさそうだ。雨に当たることで木偶になってしまうのだろうか。しかしだとしたら、街中木偶だらけでも可笑しくないはずだが。雨宮はその光景を遭遇して寒気を覚える。

「何やってるんだい僕?」

 触手に触ろうとする寸前、雨宮は話しかけられる。さっきまで誰もいなかったことを確かに確認していた。それに黒い雨が降っているときにはいつも決まってほとんど人がいない。警戒しつつ下ろしていた腰をあげた。

 雨宮は男の容姿を見て、怪訝そうな顔つきをする。ウェーブのかかった染めたわけではないブロンド、真新しいブラックスーツは雨で濡れてしまっている。口元には火もつけていないのに煙草をくわえていた。

「……突然人が襲ってきたので、がむしゃらに殴り飛ばしてしまいました」

「おーおー、最近の若者は血気盛んだね。で、倒れている奴が可笑しかったから見てたのかい?」

「そうです。……これ、どう考えても人間じゃないですよね」

 雨宮は同意を求めるように男に目を向ける。無感情な青い宝石のような瞳は少年から倒れている木偶に移る。興味深そうにしているところを見ると、本当に見たことがないだろうと雨宮は感じた。

「蛸や烏賊と人間って結婚できたっけ」

「できませんよ」

「冗談だよ」

 へらへらと笑いながら男は順調にこちらに距離を詰めてくる。雨宮は自分の中の警戒心をさらりにあげる。雨宮は木偶から後ずさる。

「見て見ますか?」

「………度胸試しかい? いいよ、見てみよう。これでも頭はまだまだ柔軟なつもりなんだ」

 男性は注意深く倒れた木偶を観察する。服を引っ張り、恐る恐る触手を触る。

「ぷにっとしたぞ。気持ち悪いなー」

 少し黙ったのち男は口を開く。

「僕の名前はマイケル・ロビンソン。実は僕、刑事なんだよ。最近来たばかりだけどね」

 そう言うとマイケルは懐から警官バッジを取りだす。

「こんなところで何してるんですか…?」

 雨宮は飽きれたように質問する。

「こいつを探してたのさ。最近の連続殺人鬼の事件知ってる?」

「テレビでやってましたね」

「そうそう、だから僕は見回りしてたんだ。とはいえ、これが犯人なのかな。だとしたら知らせるべきか? 上司は頭が固いからさ、見ても信じないと思うんだよ。こういう事件はFBIとかの方が、適切なんじゃないかな。…君はどう思う?」

「どう……と言われましても。私は見なかったことにして帰るつもりです。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんなので」

「確かにそれもそうだね。」

 うんうんと頷くとマイケルは脚で木偶を小突く。

「幸い死んでしまったようだし、海にでも捨てておくか。失礼だけど、君の電話番号を教えてほしいんだ。何か情報を伝えられるかもしれないから」

 マイケルは雨に濡れることも構わずスマートフォンをひらひらと震わせる。

「構いませんよ」

 雨宮はゆっくりとマイケルに近づく。徐々に距離が縮まり。手の届く距離まで近づいた。

 瞬間、金属の鈍い光が怪しく輝く。綺麗な曲線を描いてマイケルは雨宮の頭にナイフを突き刺そうとする。雨宮はすぐさま自分自身に行動を命令する。細かな関節の動きは無視して、動くべき道を示す。高速で突き出されたナイフは頬を削り取った。避けられたことに気づいてもマイケルは一切慌てていない。雨宮はカウンターとして右足で蹴る。彼は両腕をクロスさせて防御する。雨宮は反動を利用して、後ろに下がる。

「反射神経良いね。それとも、そんなに僕は怪しかったかな」

「あんたみたいな金髪の警官がいる時点で、日本だと違和感がある」

「おっと、そりゃ下調べ不足だ。まあ調べてすらいないんだがね」

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