第21話

 ナターシャを学校に残して雨宮は帰路についた。部屋に入ると機能性の低い学生服を脱いで動きやすい灰色のジョージに着替える。そして右手の人差し指に一つだけ銀の指輪をはめ込む。

「まあ、どうせ使い物にならないんだが」

 雨宮は一人でそう言うと、体の中に張りめぐされた糸に意識を入れて確かに傀儡術が起動することを確認する。準備ができると鍵を閉めて、外に出る。

 雨宮が不安に思っていることは、結局ナターシャと会ったところで解明されなかった。自らがイレギュラーの存在だからとナターシャは考察していた。そうだとしても雨宮が不純物だったしても消そうとする意味が分からない。何より、誰が木偶を生み出しているのだろうか。何度も木偶に出会った商店街に辿り着く。いつものように活気に満ちている姿に安心する。気になってナターシャと木偶が戦って壊れてた店を探すと、黄色のテープが引かれ事故現場のようになっていた。多少の申し訳なさを感じる。だが自首したところで信じてもらえなさそうだ。というか仮に自首するならば木偶が自首すべきなのだ。彼等にはどこからどう見ても、そんな知能はなさそうなので期待するだけ無駄である。

 時間を潰すために商店街の中に入ると、良い感じの匂いが鼻孔を掠める。誘われるままに、唐揚げを購入して食べ歩く。何も考えずに歩いているせいだろか、人の罵声が風に乗って聞こえて来る。雨宮は当然のようにそちらに吸い寄せられ始めた。日本人とは異なる赤毛が目を引く。緑色の目を見るに、どうやら染めているわけではないらしい。胸は大きく膨らみ、引っ込むべきところは引っ込んでいる。グラマラスで女性的な魅力に満ちている。その女性が目の前で、大学生ぐらいの年齢の男に腕を掴まれている。雨宮は女性のめんどくさそうな困惑した顔を確認すると、一気に近寄って伸ばされていた腕を引きはがした。

「おい、てめぇ何すんだよ!」

 金髪に染めた男が顔を歪ませ、怒りをあらわにする。

「いえそちらの方が困っているようなので」

 雨宮は冷静に動かそうとする右腕を力を込めて抑える。男性が左腕をあげて殴ろうとする。雨宮はじっと振り下ろされる拳を待っている。男はその恐れのない瞳を見て、たじろいでしまう。男性は何度か周りをきょろきょろと見回す。大声で叫んだせいで、周りには何人かの野次馬が集まっていた。

「クッソ、憶えとけよ」

 幼稚な捨て台詞を吐きながら、男性は去っていた。雨宮としては、どうしてこういいう経緯に至ったのか、どういう思考で行動しているのか懇切丁寧に説明してほしかったが、逃げたところを見るとまともな理由などないだろう判断した。それは雨宮も同じなのだが。雨宮は女性をちらりと見る。赤毛の腰まで伸びた長髪、背中の開いたセクシーなトップス、ロングスカートを履いている。

「ああいうタイプの人間には、あまり関わらない方がいいですよ」

「ご忠告ありがとう。それにしても素晴らしい手際だったわね、慣れてるのかしら?」

「慣れていませんよ。ナンパ現場を探す趣味は持ち合わせていませんから」

「日本人は意外と行動力あるのね。驚いた」

 雨宮は適当に会話すると、立ち去ろうとした。雨宮の右腕に柔らかいものが密着する。雨宮は少しだけ驚いて、顔をしかめる。

「体で払いましょうか? 貴方、結構私の好みなのよ」

 女性は耳元でそう囁く。

「私は嫌いなタイプですね。行動したこと現状を後悔しますよ」

 雨宮は自分の頭を押さえたくなった。

「弁解しておくとさっきの男は別に誘ってはいないわよ。勝手に寄って来ただけよ」

「そうだと、少しは心が安らぎますけどね」

「疑り深いのね。お礼を言いたいのは本当だから」

「いえ、遠慮しておきます」

 雨宮は腕を振り落とそうと結構力を入れるが、何故か振りほどけない。

「シーラ・エリオット、最近日本に来たばかりなのよ。助けたついでに、お店の一つでも教えてくれないかしら」

「武術でも習ってますか?」

「さあ、どうでしょう。座って話してみたら分かるんじゃないかしら」

 雨宮はため息をつきながらも、提案を受け入れることにした。


 シーラが雨宮のおすすめの店に入った。そのあと開いたメニュー表の至る所には「激辛」と不吉な文字がちらついている。店舗の名前は「下兵那」と書かれている。シーラは犯罪組織かと思ったが、どうやら健全なお店らしく時間帯の影響を考慮してもそこそこの人数が来店していた。

「下兵那カレーの激辛をお願いします」

 雨宮はさらりとそう言ってのける。シーラがその商品を見るが、どう考えても辛そうだ。だが、食べていないのに引き下がることを小さなプライドは許さなかった。

「私も同じものでお願いします」

 雨宮はそれを見てにやりと笑う。ここは雨宮の行きつけの店なのだ。そして彼の趣向を大きく反映している。そのために学食のカレーとは、比べ物にならない程度には辛い。待っていると少しスパイスの供給過多で黒くなったカレーが運ばれてくる。

「…………」

「シーラさん、どうぞ。美味しいですよ」

 呆然としているシーラに雨宮が素敵な笑顔を浮かべてくる。匂いを嗅いで、やめようかなと思ったがシーラは食べることにした。


 結論から言うと、シーラは食べきることができなかった。机の上にある水を飲み干す。

「正気の沙汰じゃないわね」

「そうですかね。まあ、結構辛いのは認めますが」

 雨宮は言葉とは裏腹に、シーラの残した分をどんどんと食べていく。水には手を付ける様子もない。

「『貴方の好きなところで良いわよ』とか言っていたのでここにしました」

「相手のことを考えない圧倒的なチョイスに感服だわ」

「私と同じものを頼まなかったら食べれたと思いますよ。まあ、騙された腹いせなので受け入れてください」

「はいはい。……辛い」

「あっ、すいません。そろそろ時間なので先に帰らせてもらいますね」

 雨宮はついにシーラの分も食べ終わると席を立つ。

「約束通り、お金は私が払っておくわ」

「ありがとうございます。意外と誠実なんですね」

「私は最初から誠実よ。もしかして、夜歩く予定でもあるの、学生でしょ?」

「ええ、少しだけ」

「そう………スーツを着て煙草を吸っている金髪の男に気をつけなさい」

「何でですか?」

「知らないわ。感謝の一つだと思っておきなさい」

 雨宮は黙って店から出て行った。

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