第16話

 数日後、唐突に緩やかな日々は終わりを迎える。星が散りばめられた空の下、月坂真理愛はこの国を訪れた要因であり自らを攻撃した存在を見つけた。

「電話が鳴っている、すぐに出なくては。ホーホー」

 意味不明な言葉を呟きながら、目の前の怪物はゆっくりと少女を恐れるように距離をとる。人面、鳩の翼、蝙蝠の鼻、コンクリートで塗り固められたような両腕、下半身は虫の脚のようだ。しかし、そんなおぞましき姿さえ、その存在の本当の姿ではなく偶然の産物に過ぎない。そもそも生まれたときから、そいつに意志などないのだから何も問題など生じない。意志は皮膚のように剥がれ落ち、顔は明日には変わっている。

「……メッセージを残しますか?」

「結構、面白いギャグね。けど残念ながらここで貴方には死んでもらう。残すメッセージは『Что посеешь, то и пожнешь』よ。貴方にはこれが最適ね」

 真理愛は冷笑すると持っていたスーツケースを地面に放り投げる。すると箱がガタガタと震えながら、独りでに開く。箱の中からは、真白な人間の四肢が出現し、勝手に人の形を構築する。一切、装飾されていないマネキンはまるで当然のように立ち上がる。

「仲間の無念、晴らしてあげるわ!」

 真理愛は右腕を横に振るった。

 深夜、眠っていた雨宮はドアを起こす小さな音に起こされる。寝ぼけながらも、雨宮は立ち上がると恐る恐るドアを開けた。目の前には、色とりどりの血で服を汚した真理愛が立っていた。

「ただいま」

 真理愛は、少しだけ悲しそうに言った。雨宮は何も言わず部屋に入れると、電気をつけて椅子に座る。適当に湯を沸かして、インスタントコーヒーを作って、机の上に二つだけ置いた。

「こんな時でも、インスタントが出てくるのね?」

「残念だけど、珈琲の知識はそこまでない。紅茶もないけどな」

 雨宮は静かにそう言う。誰も珈琲を飲まず、時間だけが過ぎる。真理愛はカップで手のひらを温めていたが、大きく息を吸い込む。

「終わったわ……」

 全てを吐き出すように真理愛はそう言った。

「良かったな?」

「そうね、障害はあったけど理想的な結末だった……」

「協力した俺としては、無難に終わって良かったと思ってるよ。お前が死んだら、更にややこしい事態になっていただろうから」

「その時は、貴方が行動してくれるかしら?」

 クスリと笑いながら真理愛は言う。

「警察に泣きついて、キチガイ扱いされて終わりだろ」

「それもそうね」

「未だに展開が超常現象過ぎてついていけていないか。今だってお前が冗談言ってるじゃないかと疑わずには居られないほどだ」

「それでも、正義が好きな貴方は困っている人を助けるんでしょ」

「好きなんじゃなくて、囚われるてるだけだ」

「……貴方は倒れてるのが、美少女じゃなくても助けるのだから呪いよね」

「人外は保証しないが、人間だったら助けようとするな、間違いなく」

「………ロシアに、本国に帰るわ。やらなきゃいけないことが残ってるから」

「そうか」

 雨宮は努めて無感情にそう言った。驚きがなかったわけでも、悲しみがなかったわけでもなかった。ただ、引き止めるべきではないとこびりついた価値観がそう言っただけだ。静かに珈琲で口を湿らすと、真理愛は口を開く。

「………好きよ、雨宮仁。私のヒーロ」

 噛みしめるように真理愛は言葉を紡ぐ。雨宮の心の底からの動揺など、お構いなしに。

「誘っても素っ気ないところも、誰かが困っているところを見たらさらりと助けて、何事もなかったかのように進むところも。子どものように美味しそうにカレーを食べる姿も、……そして倒れている人間を絶対に助ける意志も全部好きだから、私と一緒についてきて。貴方がいれば、このくだらない仕事も少しはましになる気がする……」

 雨宮は言葉の一つ、一つに驚きながら呆然と聞いていた。胸の底から膨れ上がってくる淡い期待感を、自分で、雨宮仁は打ち消した。そんなことはあり得ないではなく、そんなことは実現しない。そんな幸せは自分には存在しないと自らの正義でいつものように押し殺した。

「……無理だよ、俺はお前と共には勧めない。分からないから」

 懇願するように哀願するように、泣きそうになりながら雨宮は喋る。

「その行動が正しいのか、その行動がお前を救えるか分からないから。……そして」

「お前が苦しでいないから……。そうね。私はもう貴方に救われるてる。それが私が貴方の唯一嫌いなところ。私が叫びをあげるときは、優しい言葉をかけるのに、私が愛を囁くと興味がなさそうにする。けど、悪くないわ」

 真理愛は最後に明るく言葉を喋ると、珈琲を残したまま立ちあがる。

「言いたいことはそれだけよ。ありがとう雨宮仁。貴方を誰かが救ってるくれることを願っているわ。それとも貴方は強いから自分で立ち上がるのかしら。どちらにせよ、嫉妬しちゃうわね」

 雨宮は黙って、扉の立てる無機質な終わりの音を聞いた。

 無感情な搭乗ゲートの案内を知らせるアナウンスが空港に流れる。真理愛は暇つぶしに触れていたスマートフンをしまうと、重い腰をあげた。ロック画面に表示された写真は、一人の少年の姿だった。少女は周りからの興味の視線には慣れているのか反応することはない。検査を受けながら何事もなく搭乗する。

 割り振られた窓際の席から、懸命に動き続ける機械たちを見下ろす。私の魅力不足だろうか。……暗くなっていた思考にどうしようない現実に対する波紋が広がる。周りの乗客の反応を見ていると容姿に対する評価が国が違うから大きく変わったわけではないということを確信する。雨宮仁はどう考えても変わった人で、変な人だ。そんな人物に惹かれている自分も自分なのだが、とうの昔に当たり前など捨てた真理愛にはどうでもよかった。

「私は諦めないけどね」

 窓枠に広がった真っ白な凹みに細い指を乗せる。あの時、想いを吐露して断られた時、一瞬だけ魔が差した。今まで殺してきた人、傀儡師にもそういう趣味の人間もいたからだ。胸糞悪くなって何等分にしたか分からないが、気味が悪かったことだけは確かだ。ただ、今ならそんな男の気持ちを僅かながらでも理解できるかもしれないと真理愛は自嘲した。傀儡師の能力は糸のような細いものを支配する程度だが、……人間を支配できないわけではないからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る