第13話

「貴方、馬鹿だとは思っていたけど、本当に馬鹿なのね」

「予想通りだからいいだろ」

 雨宮は、文句を言うナターシャの傷口を近くのスーパで買ってきた天然水で洗うと、包帯を巻きつけて傷口を止血する。痛みでナターシャがくぐもった声をあげる。

「俺と……協力しないか」

「面白ことを言うのね。……けど残念、罰が下るから…無理」

「俺に罰は下っていないよ。ナターシャを助けたときも何も感じなかった」

 ナターシャは、ジト目で雨宮を見る。

「流石に気づいているわ。弱った人間でしかも素人が傀儡師に勝てるわけがないわ。不可能を可能にしてしまったのだけど、どういうトリックなのかしら?」

「教えない」

「正しい判断ね。少しは知能が上がったのかしら」

「俺はこれでもそこそこ頭はいい方だ。……俺も、俺は何故、自分が傀儡師になっているか解明したい。だから劇に参加するよ」

「もう大丈夫よ、………ありがとう」

 ぼそりとナターシャはゆっくりと立ち上がりながら雨宮に伝えた。

「永遠の命が欲しいから、なんて言わないのが唯一の救いね」

「……ナターシャは、欲しいと思わないのか?」

「当然、欲しいわよ。天才たる私に相応しいものだもの。ただ、嘘でしょうね」

「嘘?」

 雨宮は、予想外の言葉を聞き返す。

「私、……そうね名前を聞いて分かる通りロシアから来ているのよ。私の組織は、こういった化け物をそれなりに対処しているのだけど、人間に永遠の命なんて空想的なものを渡そうとした存在もそれに似たものも見つかっていないわ。そもそもこういった異能を持った存在は人とはかけ離れていて、契約など結ばない。異常事態なのよ、劇というものは」

「傀儡師という存在が未だに理解できていない俺には、難しい話だな」

「馬鹿には、分からない話よ」

「うるさい……」

 雨宮は自分の身体に出来上がっている糸のネットワークを意識する。右手を振るい、感覚を調整する。次第に自分の腕ではないような違和感が消えて、元の状態に戻る。

「体に違和感がある?」

「ん? まあ、少しは。そもそもあれだけの戦いができただけで違和感しかないけど」

「てっきり格闘術でも嗜んでるのかと思ったわ」

「似たようなのは学んでるけど、だからってあんなことは出来ない」

「聖片が馴染んでいないのかしら、あれだけ出力が出せているとそれも怪しいけど」

「聖片てなんだよ?」

 ナターシャは、右肩をめくって白い肌を晒す。

「おい!」

「私のは、ここに埋まっているわ。といっても実際は全身に渡ってるのだけど。核はここにあるわ。……聖片は異形の存在の肉片という認識が簡単で分かりやすいわね」

「異形の存在って?」

「さあ、私も本体は見たことがないわ。もしかしたら、傀儡師が集められているからこの劇の主催者かも知れないわね。ところで私は貴方に人間の肉を食べたか聞いたのわよね。傀儡師を食べたら、その能力を継承するから」

「えっ!俺 が、人間を、喰った?」

 雨宮の頭に中に黒い絵の具が落とされたように、恐怖が広がる。

「別にそれだけではないわ。異形の存在に直接、肉片を与えられたのかも知れないし」

「……はは、そうだよな」

「けど、異界律が頭に存在する以上、その可能性は低いわね。それは契約したものしか持っていないから」

 薄ら寒さが、雨宮の身体を奔る。

「まあ、死んでしまった人間は仕方がないのよ。泣いたところで、気味悪がったところでもとに戻るわけではないのだから」

「随分と、あっさりしてるんだな」

「慣れてるわ。家族が死ぬことも、仲間が死ぬことも、誰かを殺すことも」

 ナターシャは憂いを込めた瞳で、崩れた瓦礫を観察している。その奥は、怨みを晴らした人間のように、家族を失った母のように穏やかだった。

「………俺と協力してくれるのか?」

「あら、用心深いのね。……いいわ、特に問題はないし。ただし、最後には貴方にも死んでもらうから、覚悟しておくことね」

「……俺は死なないよ」

 言葉が終わると、暗がりに静寂が訪れる。空気が流れる音が聞こえ、遠くから虫の鳴き声が聞こえる。先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように平穏な世界が広がっていた。

「………もしかしてだけど、私の姉と知り合いなのかしら?」

 雨宮は、唐突で脈絡のない発言にナターシャをいぶかしげに見る。

「マリア・オルロワ」

 ナターシャは重々し気にその名を口にする。

「知らない。……けど、マリアって名前の珍しい知り合いならいる」

「どういう人間かしら?」

「結構、抜けてるやつだ。『仕事したくなーい。早く退職したいー』とか言ってる変な人間」

「………そう、どんな髪の色をしていたかしら」

「驚くべきことに、銀髪だった。妖精か人形みたいな存在で、最初見たとき失礼だけど人間だとは思えなかった。ナターシャの姉なのか?」

「………別人ね。女が足りなくて、幻想でも見たんじゃないかしら」

 ナターシャは長い沈黙の後、そう答えた。

「ぶれない毒舌だな」

「あら、『さん』をつけないことを許してるだけ寛容だと思いなさい」

「なんというか最初の印象と違って、そういうキャラじゃないと思った」

「失礼ね、私には敬意を払った方が後々、得するわよ」

「命乞いするときだけさせてもらうよ」

「良い心掛けね」

「……劇はあと何人残ってるんだ」

「私の知る限りでは、……8人全員まだいるわ。すぐに7人になるわよ、私を襲ったあの女は勝手に始末しておくから」

 雨宮は何も言わず、空を見ている。

「意外だわ、こういう発言をすれば不快感を感じるかと思ったのだけど」

「俺に不快感を感じさせようとしてたのか。……別に何も感じないよ。俺も殺されそうになったし、それにアメリアさんは、自分から命を懸けて参加してるんだ。ちゃんと納得するさ」

「面倒な衝突が起こるかもしれないから確認しておくのは大切だわ。これから仮とはいえ、この私の協力者なのだから。せいぜい働きなさい」

「協力者への言葉とは思えないな」

 雨宮は、手に宿る僅かな震えるを力を込めて振り払おうとする。それでも微かな震えは止まらない。雨宮は未来に潜む怪物を気丈ににらみつける。

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