第12話
「間違ったことをしても、間違った道を歩んでいたとしても、俺は、俺の腐った正義を捨てない」
振り押された鉄槌は、振り下ろされる前に制止した。
「……捨てられない!」
吠えるように少年が声をあげる。間に挟まった筋肉質な拳が、明らかに人間を超越した右腕を吹き飛ばし上にあげた。呆然と立ち尽くす赤いドレスを着た少女の頬を繰り出された拳が殴り飛ばした。吹っ飛んだ少女はすぐさま地面との摩擦で止まる。
「驚いたわ、雨宮。いえ、期待通りと言うべきかしら、貴方は勇気のある人間だと思っていたか。けど、無謀な行為はしない方がいいわよ」
アメリアは、凍り付くような視線を脚を震わせながら立っている少年に向ける。雨宮は、ひるまず震える脚を殴りつけ、鋭い瞳で睨み返す。
「殺させない……俺の命の恩人を殺させるわけにはいかない」
「馬鹿なのかしら」
倒れたままナターシャは、勇気を持って死地に立つ男を見る。
「先に死にたいというなら、先に消し飛ばすわ。雨宮、私は認めた人間だからって容赦するような性格じゃないのよ。立ち去りなさい、その女を殺すから」
「俺は貴方に勝ちますよ」
「……残念だわ」
沈むような声が壊れた部屋に響き終わる。雨宮は殺気を感じて、拳を構える。同時に、体の中を想像する。編みこまれた糸が肉体を補助する。何故だか、雨宮に自分に糸を行使するという感覚、自らを支配するという感覚があっさりと理解できた。指の一本一本が、無意識ではなく強力にプログラムされ、本来ありえない膂力を実現する。視界に触手が映った瞬間、拳を叩きこむ。既に迷いは振り払った。雨宮の思考に、自分を助けた少女の善悪など消えている。触手の雨を掻い潜り本体に接近する。
「口先だけじゃないのね。驚いたわ。さっきまで何の力もなかったのに、才能?」
「知らない! 使えるものを使うだけだ!」
衝撃波と共に、拳が触手の壁に打ち込まれる。アメリアはすぐさま振り払う。雨宮は蹴った反動で飛びのいて、再び接近する。
最初の雨宮の選択は安易で、単純だった。こんな危険な場所から逃げよう、彼は当然のようにそう考えた。雨宮は階下から聞こえる戦闘から目を逸らして、二階から地面を見る。綺麗に着地すれば足は傷つくかもしれないが助かるだろう。雨宮は胸の前で覚悟を決めるように右手のひらを握ると、一歩踏み出して、「また……逃げるの?」
止まった。脚はまだついたままで、何も起こっていない。驚いて周りを見渡すが、当然のように誰もいない。「逃げるの?」その言葉が、雨宮のうちで反射し続け止まる。
逃げるんじゃない。俺は正しいこと……
汗が頬を伝い、覚悟を揺らす。逃げようとしていた覚悟を正しいのかと問い詰める。無意識に右ポケットに入っていた十指暗器の一つに手を伸ばす。たった1つ、右手の中指にはめる。急いで周りを見渡して、階段の近くに落ちている糸を繋ぐ。
「できるわけない……か」
雨宮はか方法も分からず手を使わずに糸を動かそうと試みるが上手くいかない。たとえそれが上手くいったとしてもアメリアに勝てないことは明らかだ。がむしゃらに命令しているうちに、小さな歯車の一つが合ったような気分になる。その瞬間、刻まれた記憶を辿るように、体中を走っているネットワークのような糸を見る。体の中の存在しない糸は、容易に雨宮の命令に従って動く。
「逃げないよ……俺は自分の正義を貫くって約束…したんだから」
淡い記憶の中で約束した自分が浮かぶ。その隣には一人の少女が優し気に微笑んでいた。雨宮は歯を食いしばると階段をゆっくりと降りて、死地に向かった。
振るわれる打撃の一つ一つが即死するほどの勢いで繰り出される。その一本、一本の触手に同じほどの勢いで正面から、側面から殴りつけてダメージを与える。頭では常に体の中に奔る糸を操り拳を補助する。補助された拳は、異形の触手を凹ませ飛ばす。潜り抜けた先にいるアメリアに、拳を正面から叩き込む。鈍い音ともに、両手で防いだアメリアが後ずさる。
「Great! 本当に素晴らしい成長ね。憎たらしいくらい!」
アメリアは右腕を元の姿に戻す。雨宮が安心した瞬間、風切り音が聞こえる。咄嗟に跳ぶようにその場から離れる。光線が地面を撃ち、破片を散らす。アメリアを守るように倒れていた騎士が動き出す。
「貴方は随分と近接戦闘が得意みたいだから、私は戦い方を変えさせてもらうわ」
アメリアは両手を前に構え、鋭い糸を雨宮の視界に見せる。一息の空白ののち、かぎ爪が振るわれる。軌道を予測して雨宮は自身に命令。回避しようとする。糸は軌道を変えてそれぞれが回避しようとした雨宮に突き刺さろうとする。同時に弓がしなる音が聞こえる。
「あれだけ戦えば、動きの粗さにも気づけるわ」
咄嗟に細かい命令を出そうとするが雨宮の身体は、壊れた人形のように止まってしまう。残虐性を持った糸と矢は、肉体を傷つけることはなかった。双方とも空中で絡め取られ、停止している。まっ黒な少女は、血だらけの身体を無理やり立たせて、右手を挙げていた。
「………」
「死にぞこないでも、それだけできるのね。完敗だわ、ナターシャ」
ナターシャは朦朧とする意識の中で、自身の行動の合理的な理由を探し続けていたがついぞ見つからなかった。小さく溜息をつくと、右手を振るって矢を床に転がし、絡まっていた糸がほどける。
「けど、私の勝ちよ。動きの粗い素人と、血だらけの傀儡師ではさすがに私に勝てないわ」
雨宮は何とか、隙を見つけようとアメリアを見るが、剣を持った人形はじっとこちらを空っぽの瞳で見ている。
「聖……片、解放!」
ナターシャは目を見開くと、そう途切れ途切れ紡ぐ。血だらけの右肩が更に神々しく赤い光を放ち始める。
「できる……わけがないでしょう?」
アメリアは震える声で訴えながら、ナターシャの光り輝く右肩を見る。
「試してみれば分かるわ。貴方は、出来ないみたいだけど。残念ながら私は天才だから、できるのよ。聖片解放、私のは、コスパがいいから」
ニヤリとナターシャは、アメリアの焦った顔を見る。爪を噛んでいたアメリアは、ひと際強く輝いた瞬間、人形の制御を捨て、アパートから飛び出した。アメリアが立ち去ったのを確認すると、聖片は光は徐々に失い少女の脆く細い右肩を晒した。
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