第10話

雨宮が目を覚ますとそこは、銀色の指輪を見つけた寂れたアパートだった。遠くからゆっくりと雨の音が聞こえて来る。目の前では、純白の人形のような少女がじっと外の景色を見ていた。細くきめ細やかな皮膚が、細い指を構成している。瞳は漆黒のガラス球、感情などとうに捨ててしまったらしい。雨宮には、少しだけその瞳に悲しさを感じた気がした。指輪を丹念に確認している様は、どこかの国の令嬢のようなだ。

「目を覚ましたのね……ようこそ私たちの世界へ」

「……よく分からないんですが」

「そう、頭の出来が悪いのね」

 不自然さを感じ差ないようにさらりと返答する。

「いや、そう意味じゃないですが」

 あまりに酷い返しに、雨宮は反論する。

「女性に声を荒げるものではないわね。兎のように臆病な私の心が傷ついてしまうわ」

「嘘つけよ。あんたみたいな人間が傷つくとは思えないね」

「あら、初対面なのに結構しっかり人を見てるのね、撫でてあげようかしら」

「遠慮しておく」

「貴方は、人生のすべてを捨てたも同然ね」

「人生って……何でですか。あと貴方は、何者なんですか?」

 雨宮の真剣な眼差しを見て、ナターシャはめんどくさそうにため息をつく。

「質問が多い男は嫌われるわよ。……面倒だから後者の質問には、答えてあげる。傀儡師と呼ばれる、ちょっとした超能力者よ」

 ナターシャは、そう言いながら右手をあげる。指輪の先端にはよく見ると小さな糸がついている。

「傀儡師の力は、支配能力。けど、あんまり使い勝手が良くないわ。具体的には、小さな糸一本を自由自在に動かすのすら成りたての傀儡師には、非常に難しいわ」

「……信じられません」

 雨宮は渇いた口から声を出す。突然、頬の皮を一本の細い斬撃が切り取った。見ると、細い糸が背後の壁に突き刺さっていた。

「ひっ!」

「信じられないなら死ぬだけよ。猿の頭では、私が譲歩しているのが分からないのかしら。能力それ自体はなんの問題もないのよ。今……最悪なことに劇が行われてるのよ。簡単に言えば、8人の傀儡師によるデスゲームね。趣味が悪いと思わない?」

「何の…ために?」

「永遠の命が得られることを何者が命にかけて保証した。口約束ではないわ。異界律と呼ばれる契約書のようなものを提示するために、私、私たち傀儡師の思考の海に接触してきた。……他人の思考に接触する存在を私は当たり前の存在だとは思わない。契約は絶対順守される。それが人であろうと神であろうと。契約を破った神様は、少なくとも死に至るでしょうね。だから……これは冗談などではなく本当に永遠の命が得られるのだと考える愚か者がいたのよ。……信じていなさそうね。私の予想では異界律が頭の中で見れるはずよ。見て見なさい」

 自分がそんな異常な存在ではないと否定するために、雨宮は異界律という漠然としたものを頭の中で考える。すると淡い願いを吹き飛ばすように、頭の中に文字が刻まれている。

『1.助け合ってはならない。2.みだりに儀式を広めてはならない。3.死体に触れてはならない。4.海来市から出てはならない。5.外敵が現れた場合は、速やかにこれを処分しなければならない。6.8人の参加者のうち、最後の一人は、永遠の命を手に入れる。7.契約は、契約者の心的状態に応じて順守される。破った者には、即座に程度に応じた罰が下されることをこの契約において了承するものとする』

 雨宮は目を見開き、奇妙な文章を頭の中から振り払う。

「何だ、これ?」

「はぁー……見えなければ良かったのだけど。これで貴方は、間違いなく劇に参加していることが確定したわ。貴方、2日前に人肉でも食べたのかしら?」

「……食べてるわけないだろ!!」

 雨宮は、ナターシャの想像を超えた質問に立ち上がりながら声を荒げる。拳は強く握られている。

「助けてくれたことは感謝してます。けど。付き合ってられません。俺は帰ります。俺はそんな気が狂ったようなゲームに参加していないし、変なものも食べていない」

 ナターシャはその言葉を聞くと、冷ややかな視線を向ける。

「……助け合ってはならない。みだりに儀式を広めてはならない。貴方と接触した際、このどちらかがが起動するはず……貴方が民間人なら後者、傀儡師なら前者。けど貴方の時は、両方が程度を下げて現れた」

「知りませんよ」

 雨宮は後ろを振り返らずアパートの崩れた階段へと向かう。

「私の推測では、貴方は一種のイレギュラー。劇の参加者であるけれど、自ら契約してはいない。だから複雑な状況になっている。貴方……誰かの能力を継承したわね」

 雨宮は、無視して階段の一段目に足をかける前に、空間にキラリと光る。

「うわぁああああ」

 雨宮は反射的に後ろに下がろとしてしりもちをつく。光を反射する一つ一つが、人間を切断できそうなほど鋭い鋼鉄の糸であることに雨宮は気づく。

「ここまでベラベラと喋っておいて何事もなく帰られると思っているなら随分と頭がお花畑なのね。誰かに似たのかしら。参加者は8人、貴方はその参加者。これから起こることぐらい分かるでしょう……ふーん、結構酷い奴なのね」

 雨宮は崩れた瓦礫の破片を右手に持って、ナターシャに構える。息があがる。あまりの信じられない情報に頭が混乱する。それでも生存本能が雨宮を突き動かした。それを見ている少女の顔は、言葉とは裏腹に楽しそうだ。

「ここから立ち去れ」

「……本当に原始人みたいね、貴方。危険を感じたら暴力で自分の身を守ろうとする。愚かで低能な人類。けど……」

 ナターシャは、口が裂けるほど三日月のように口を曲げると鮮烈な笑みを咲かせる。

「分かりやすくて、良いわ!!」

 ナターシャは、雨宮が気づいたときには既に背後に立っている。手には細く長い糸のかぎ爪、右手が横なぎに振るわれる。雨宮は間一髪で、地面をするようにして回避する。雨宮が拳を叩きこもうと、足に力を入れた瞬間、浮遊感に包まれる。脚に銀色の線が巻き付いており、その糸はナターシャの左手の指輪に繋がっている。持ち上がった左手は強力な力で雨宮の脚を上にあげて、転倒させる。

「無様ね。つい昨日まで一般人だった奴が勝てるわけがないでしょう」

 雨宮は蛇に睨まれた蛙のように動悸を早めるだけで、体が一切動かせなかった。

「予想通り。いえやっぱり、期待外れ。さようなら」

 時が止まったような張り付いた瞳で憐れな獲物を見ると、ナターシャはかぎ爪を一気に振り下ろした。

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