第3話

 昼、無機質なチャイムが木造の教室に鳴り響く。雨宮は席を立つと、食堂に行こうとする。料理ができないわけではないが雨宮は、出来る限り朝はだらけていたい。そのため弁当を作るという面倒ごとを最初やったきり、やっていない。

「あっ! 待って、雨宮君」

元気のよい少女の声が聞え、雨宮は振り返る。茶髪のパーマのかかった髪と、自然な微笑みを絶やさない天真爛漫さ、白水恋だ。

「何かあったのか。俺が話しかけられるなんて珍しい……」

 雨宮の渾身の自虐ネタに、白水は苦笑いを浮かべる。

「私、これでも結構話しかけてるつもりなんだけど……もしかして憶えてない?」

 頬を膨らませて不満を表現してくる。大半の人物がやっても鬱陶しいだけの仕草でさえ、彼女がやると様になるようだ。

「白水恋。クラスの天使」

「本当にそう思ってるー?」

 むむむと、彼女は雨宮の真っ黒な瞳を見つめる。すると、雨宮は目を逸らした。

「あっ、逃げた」

「コミュ障なんだよ。察しくれ」

「嘘つきだねー。まあそんなことは置いてといて、お願いあるんだけど聞いてくれない?」

 白水は、目の前で両手の指を合わせて、聞いてくる。

「悪の組織の討伐なら引き受ける」

「どこにいるのかなそんな組織。全然違くて、えーと家庭科部の部活を手伝ってくれないかなー、なんて」

 雨宮は、露骨に顔をしかめる。

「そんなに嫌そうな顔をすると、泣いちゃうぞ」

 白水は、舌を出す。

「泣け」

「えーお願い手伝ってよー。雨宮君、料理上手かったでしょー」

「めんどくさい。俺は今日、ささっと帰って紅茶でも楽しみたいんだ」

「じゃあ、茶菓子でもいいから、一緒に作ろう」

「……まあいいか、手伝うよ」

「何故、引き伸ばしたし」

「やんわり断れないかなと期待してたんだよ。相変らず頑固だな、白水は」

「雨宮君には、これくらいしないと逃げられちゃうからね。あと、それはお互い様だね」

凹凸で、裏表のような少女と少年の会話を、クラスは日常のように聞いていたため彼等のやり取りをにやにやと見ているだけだった。

「いつやるんだ」

「うーん、放課後、すぐに家庭科室でお願い。今日、実は先生休みなんだよね」

「さらに、めんどくさい要素が増えたぞ」

「お願いしまーす。期待しているよ熟練講師」

「させられてんだけどな」

 雨宮は苦笑いをしながら、元気に走り去っていく白水を見送る。

 チャイムが鳴り、人の流れが外へと向かい始める。友達と帰るもの、男女で手を繋いで帰るもの。一人で早々と帰るもの。部活動へと向かうもの。様々なタイプがいるが、雨宮は今日に限っては部活動に向かうものだった。

 雨宮が、スライド式の扉を開けると、七人ほどの人間が見てくる。

「あっ、来た来た。今日は、よろしくお願いします。雨宮君」

 エプロン姿の、白水は礼儀正しくお辞儀する。雨宮は慣れた手つきで黒板にこの時間にやるべきことをリストアップしていく。最後に、円形の凸凹としたものを書く。

「シュークリーム?」

 白水が、眼を細めながら、壊滅的な雨宮の絵を見る。

「明らかにシュークリームだろ」

「いや、全然。ただの石に見えるんだけど」

「よし多数決だ。これがシュークリームだと思う人ー」

 当然だろとばかり、雨宮はチョークで絵を指し示したあと、雨宮が後ろを向くと誰も手を挙げていなかった。

「………シュークリームだな」

「おい!」


 全体が着々と調理をしている間、雨宮は各テーブルに行って細かい訂正を加えていた。雨宮は基本的にはさぼる気満々である。聞かれたら答える方針だった。暇な時間には、優雅に日本文学でも嗜んでいたのだが、じーと見られている気配で振り向く。すると、白水の後ろから短く切った黒髪の細身の少女がこちらを見ていた。

「幽霊……」

「ちょっと、どうしたの綾乃?」

「おそらく、俺の気配遮断能力に尊敬の念を抱いたんだろう」

「……雨宮君、大丈夫?」

 適当に誤魔化した雨宮の思考の片隅に、昨日の記憶がないという事実がちらつく。が関係ないだろうと無視した。全員が完成したあと、思い思いに自分で作った洋菓子にかじりつく。うんうんが頷いている物が多い中、柴田は、自分の物を食べた後水道水を飲んでいた。

「何故!?、超不味い」

 柴田は、顔を青ざめながら自分の作った味の不味さに驚いていた。白水が興味深そうに、ひょいっと一見美味しそうなシュークリームをつまんで、口に放り込んだ。

「おい…がぁ………は」

 白水が一瞬、眼を輝かせ後、急に咳を吐き。水を飲み始める。

「何このクリーム、気持ち悪いぐらい甘い。綾乃、一体どれぐらい砂糖入れたの?」

「……いっぱい」

「?」

「いっぱいだよ……けど、私甘いの好きだから、たぶん美味しいだろうと思って……けど、やっぱ、まずい。甘ったるい」

「食べるか?」

 雨宮は、トレイにサンプル用に作ったと思わしき形の良い生地に包まれた甘味が載せられている。

「幽霊……優しいね」

 口元をほころばせながら、柴田は早速、綺麗に整列したシュークリームを掴み、口に放り込んだ。もごもごと、咀嚼した後、太陽のように眼を輝かせる。

「美味しい! やっぱ、甘さはこれぐらいがいい」

「ごめんね、雨宮君。作って貰っちゃって」

 白水が、軽く雨宮に謝罪する。

「いいよ。どうせ、サンプルぐらい作るつもりだった。正直、教えてるだけじゃ暇なんだ。それにしても、よく柴田が失敗するって分かったな」

 雨宮は、最初、白水の話を聞いたとき、まだ作ってもいないのに分かるわけがないと思っていた。だがその通りになってしまったのだ。

「綾乃は、自分の好きなものをアレンジしようとする傾向があるから、ね」

 口元にカスタードクリームをつけながら食べている綾乃を、微笑ましそうに白水は見ていた。雨水は、そんな彼女たちを見て穴が開いたような気分を何故か感じた。


 空が茜色に染まったころ、雨宮はようやく仕事から解放された。結局、乗り気ではなかったにも関わらずちょっとしたアレンジレシピまで公開しているあたり、相変らずの頼まれ体質と言えるだろう。携帯電話をスリープにすると、自分と思しき幽霊の足跡を追った。

 瓦礫のようなアパートが、雨宮を静かに見つめる。何かしら出てもおかしくなさそうな雰囲気に、雨宮はしり込みするが、覚悟を決めて前に進むことにした。

 1階、2階と、上がりながら何か落ちている物がないか探していると床が崩れている場所に、小さな銀色の指輪が落ちていた。雨宮は、屈んでそれを拾うと、慎重に観察する。宝石はついておらず、代わりに小さな糸を通す穴のようなものが開いていた。穴を覗いてみると、見るからに複雑な歯が並んでおりデザインで開けたものとは思えない。雨宮は、周りを見渡し後、その指輪をポケットに突っ込んだ。

「十指暗器を知らない……傀儡師ではないの。それとも」

 誰もいなくなった部屋から女の声が聞えた。

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