第2話

 カーテンの隙間から細い陽光が貫通し、少年の顔を照らす。同時攻撃とばかりに鳴り響き始めたディジタル時計の音は安っぽい。音を消そうと手を伸ばす。めんどくさがって勢よく起き上った雨宮は、ストップと書かれた時計のボタンを押した。音を消えた。ベッドの周りには、無駄なものは何一つなく真白な床だけだが存在を主張する。

「頭痛い……」

 雨宮は、頭部を抑えながら一人呟いた。カーテンを開けると、洗濯物を朝早く干している熱心な人間が見える。集合住宅街ならではの光景と言えるだろう。少年は、何とか頑張って昨日のことを思い出そうとした。だが高等学校から出たところまでしか覚えていない。案の定、一人だった気がする。とはいえ、雨宮にとってそれは大して重要でも、深刻でも、不思議な事でもなかったのだろうか。寝ぼけているだけだろうと雨宮は自分を納得させた。洗面所に行くと冷たい水で顔を洗い、眼を覚ます。持ち上げた視界に映った鏡には、つまらなそうな顔をしたどこにでもいる高校生が居た。眼の下には、寝つきの悪さから薄くクマが付き、不健康そうだ。鏡を見て、背後のシャワールームが昨夜使われていたことに気づく。やはり、ただのど忘れらしい。同時に自分が眼鏡をかけていないことに気づく。雨宮の視力は壊滅的なほどは悪くない。普通に生活している分では何も問題はないのだ。ただ、多少遠距離を見るとぼやけてしまうのだ。少年は、寝室に戻っていつも、眼鏡を置いている場所をゆっくりと漁るが、引き出しの中には空白があるだけだ。

「いつか、見つかるだろ」

 雨宮は、大きくあくびをしながら探すことを諦めた。代わりにリビングの引き出しにある予備の眼鏡を取りだしかける。黒色の学生服に着替えると、台所に立ち、紅茶を淹れ、四、五枚に切られたパンの一切れを取りだし、バターを塗りトースターに突っ込む。焦げ目がつくと、口に加え、紅茶で空っぽの胃に流し込む。雨宮は料理ができないわけではないが、自分の朝食に毎日時間をかけるほどのもの好きではなかった。つけたテレビから、早速、殺人事件の報道が流れる。

 相変らず素晴らしいご時世だな。

 雨宮はそんな感想をパンを咥えながら思った。今回の事件は、今時の日本では珍しい快楽殺人鬼であると噂されている。死んだ人間は、女性、男性の区別はもちろん、年齢層も散らばっているので、別々の犯人である可能性が高い。ただ、連続殺人鬼でないとすると海来市の治安がそうとう悪いことになってしまう。どちらせよ同じなよう気もする。少なくとも、雨宮から見る、この市はそれなりに平和であると認識している。食事を終えると、つまらないテレビを切り、柄の無い黒いリュックを持って雨宮は部屋を出た。

 肌寒い秋の風は学生服を貫通する。雨宮は、いつも学生服の防寒性の低さと、重さに文句を垂れていたが改善された試しがない。彼の通う海来市立石塚高等学校は、保守的らしい。

 何度か足を踏みしめると川を渡るための赤く塗られた鉄橋がある。横を時速60kmよりよほど速い速度で、車が通り過ぎる。雨宮は、下にある川を見ながら橋を渡っていた。ふと、少年は鋭い視線を感じそちらを見る。荒野川に沿って生える花を散らした桜の木の一つに、小鳥のように静かに、だけれども獲物を見つけたハイエナのような獰猛な意思を見せる黒衣の少女が直立していた。足元は、とても人間が立てる場所ではない。そもそも今時の人間には木登りさえ難しいだろう。狩人のようなすらりとした細身の手足。白すぎる肌は、人形のようだ。肩口まで切りそろえれた暗雲立ち込める夜空の髪は、少女の白を強調するために存在する。雨宮が魅入るように見ていると、少女の黒い眼球が明らかにこちらに敵意を向けていることに気づく。雨宮は瞬きをすると、既に少女の姿は消えていた。わずかに感じた既視感を雨宮は、うまく頭の中で組み立てられなかった。

 雨宮は、気にせず橋を渡ると、人の少ない商店街につく。高校から近いこともあって、ちらほらと学生が歩いている姿が見られ始めた。学生が遊ぶところと言えば、ここと、岩光池というあまり綺麗ではない池だけだ。それも昔だけで高校生には遊び場としては認められない。両方が嫌なら、老人のように川の傍で枯れた桜を見るだけだろう。春になれば、外来の人が多くなり、この街は賑わいを取り戻す。それまでは、静かな地方都市として発展を続ける。それが海来市の日常だった。

 少年はポケットからスマートフォンを取りだし時間を確認する。眼鏡と記憶がなくて慌てていたこともあり、どうやら早く出すぎていたらしいと雨宮は気づいた。スマホをしまうと、雨宮は眠っている商店街を軽く回ることに決めた。道を歩けば、多種多様な店が当然のように視界に入るのだが、その中でも特に異彩を放つものがある。それは、真白な陶磁器の肌、球状の関節、光のない瞳孔を持った人に似せられたもの。人形である。海来市の特産品で、地元人からの人気が薄い。しかしとある金持ちや、外国人観光客には絶大な人気を誇っているらしい。地元生まれ、地元育ちで、一度たりとも市から出たことの無い雨宮にとっては見慣れた品だ。少年は店頭に飾られているドレスを着た幼い女の子を模した人形を持ち上げる。眼球はデフォルメされておらず、限りなく現実に寄せられている。髪の質感も、滑らかで流れるようだ。

 少女は、商店街にかかったアーチ状の細い棒の上に立っていた。下では、先ほどまで見ていた少年が熱心に人形を触っている。眼球は、少年の細やかな動きから彼の危険度を頭の中の過去の情報と照合することによって測ろとしている。獲物を狙う、肉食動物のように息を潜めて、雨宮を見ていた。

 雨宮は、スマホを見ると、焦って学校に向かった。

 海来市立石塚高等学校は、中高一貫の進学校である。進学校とは言っても、地方都市で首都からも遠いため言うほど某東にある大学にほとんど行く人はいない。大半が良くて、地方の国立大学程度だろう。そんな平凡な高校は、地元では比較的人気がある方だそうだ。雨宮は、入学を決める前は知らなかったのだが、どうやら女子学生の制服が可愛いと評判らしい。黒と灰の華美ではないブレザーに、青のストライプの他校と比べて短めなスカート。少年の中には、この世で最も美しいと形容すべき存在が頭の中に刻まれているので、何とも思わなかったのだが。今、改めて校舎に向かっている生徒たちを見れば、そうなのだろうかとも雨宮は思うのだった。

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