第15話

 店に戻った僕は、まだ呆けたままで、まるで仕事にならない。

 それでも北島のサポートもあり、時間だけは過ぎていき、カクテルレシピを間違えては作り直し、作り直したかと思えばまた新しい注文を受け、そんなことを繰り返しながらも、何とか午前0時を越えるところまでやって来た。

 午前0時30分、ラストオーダー。

 店内には既に酔い潰れてカウンターに突っ伏した岸本さん以外の客は居らず、僕は北島に告げる。

「北島チーフ、もう今日は店、閉めよう」

「そうっスね。岸本さんも今日は完全に寝ちゃったみたいだし、マスターも、もう限界でしょ」

 そう言って作り笑いの北島も、その笑顔には疲労が滲み出ていた。

「今日は悪かったな。俺、ミスばっかでさ。でも、助かったよ。チーフが休みだったらと思うとゾッとするよ」

「いえいえ、たまにはお役に立てて良かったです。それに、あんな風になっちゃうマスター見るのも、ちょっと面白かったし」

 北島は今しがたまでの疲れも忘れたように、今度はクスクス笑う。

 美香が帰った後、仕事に全く身が入らず、くだらないミスを連発しまくったことを認識している僕は、北島の言葉に苦笑するしかない。


 あれ?僕も笑っている?


 何なのだろうか?

 どう考えても、おかしい。何かが、おかしい。

 北島は、僕を揶揄っている、若しくはイジッている。のに、だ。

 腹も立たなければ、何なら嬉しい(?)くらいなのだ。


 揶揄われる、イジられることを、僕は心地好いと感じているのだろうか?


 え?ホントに?


 いつからだ?


 ずっと昔から?

 いや、そんな筈はない。そんなことはこれまでの人生を、少し思い返しただけでも分かる。

 僕は他人の風下に立つことを善しとしないし、昔からそうだし、今も・・・その筈、なのだが・・・、違うのか、な?。

 他人に揶揄われたり、嫌味を言われると、即座にやり返すのだ、いつだって・・・、今はそれが出来ていない、が。

 というより、抑々そんな状況になったことも無ければ、そんなことが起こるなんて、考えたことすら無かったと思う、よ。

 なのに、何故?


 一体どうしちまったんだ、僕は・・・。

 いや、どうもしていないのか?

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 午前一時前、閉店作業の全てが終わろうという頃、今までカウンターに突っ伏していた岸本さんが徐にむくりと上半身を起こし、辺りを見回すようにしてから、いきなり「おれは、もうかえる。Tomyちゃん、おかんじょう」、そう宣言して席を立つ。

 席を立ち、フラ付く岸本さんに北島が「大丈夫ですか?」と声を掛けるが、岸本さんはそれに右の掌を向けて『だいじょうぶ』と制止のポーズで応えると、左手で僕を手招きした。

「どうしました?」

「Tomyちゃん、おつかれぇ」

 ニヤッと笑う岸本さんは、かなり酔っ払っている。岸本さんがここまでヘベレケになるのも珍しい。

 無理もない、六時間以上飲みっぱなしだったら誰でもこうなる。

「Tomyちゃん、がんばれ。ミカちゃん、ホントに、いい子だ・・・。うん、がんばれ、Tomyちゃん・・・、うん・・・うん・・・」

 ダメだ、完全にイってしまっている。

 本当は岸本さんに、今日美香と何の話をしていたのか、確かめたかったのだが、どうやらそれは無理だ。

「はいはい、岸本さん、大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ、じゃないかも、しれない。・・・けど、だいじょうぶ。

 じゃ、おれは、かえる・・・」

 フラ付く岸本さんに肩を貸そうとする僕に、それを制した岸本さんは

「それより、Tomy、ほんとにがんばれ・・・

 ・・・・・・・・・・・

 でもな・・・」

 そう言い残して、それきり岸本さんは何も言わず、店を出て行った。

「珍しいっスね、岸本さんがあんなになるのも。今日はマスターといい、岸本さんといい、どうしちゃったんスか?ま、俺としては面白かったスけど」

 北島の声を聞き流しながら、岸本さんが最後に何か言いかけた『でもな・・・』が気になって、僕はその言葉を頭の中で反芻するのだった。



 北島の『マスター、明日、早いんでしょ』という言葉に促されて、僕らも早々に店を後にして帰途に就く。

 北島と別れて直ぐに僕は、そろそろ美香からのLINEメールが入るんじゃないかと、携帯電話を取り出した。

 おや、既に着信サインが表示されている。

 LINE画面を開けると、今日は既に美香からのメールが届いていた。

 着信時間は22:48。


 22:48。

『お仕事、お疲れ様です。

 今日は、ごちそうさまでした。(って、岸本さんか(∀`*ゞ)テヘッ)

 岸本さん、とっても可笑しかったんだよ。

 その話はまた今度、しますね。

 私は今日はちょっと酔っぱらっちゃったので、まだ早いけど、もう寝ます。

 カズヒロさんも、早くやすんでね。

 明日、早いから。

 明日、カズヒロさんのバイクで水族館、楽しみだね。

 でも、ホントに大丈夫?

 LINE入れておいてもらえば、待ち合わせ、遅くしても良いよ。

 それじゃ、おやすみなさい」


 22:49

 猫の『おやすみなさい』スタンプ。



 僕は返信の為にキーボードをタップしながら、美香のメールの『私』『カズヒロさん』、それから岸本さんが最後に言い残した『でもね・・・』が気になって仕方がない。

 考え過ぎだろうか。

 返信を書き終えて、送信ボタンをタップする。


『おつかさま。

 今日は来てくれてありがとう。

 明日の待ち合わせだけど、予定通りで大丈夫だよ。

 俺も帰ってすぐ寝るから。zzz。

 それじゃ、明日。(いや、もう『今日』、『後で』か?ww)

 それでは、おやすみなさい』


 何で『俺も楽しみです』って、素直に書けないのだろう?


 美香に会える楽しみと、その一方で何故だか不安な気持ち、ハッキリしない何かが、胸の内でザワついている。

 考えても仕方ないか・・・。

 帰って、寝よう・・・。

 



 昨夜(今朝)は、アルコールを一滴も摂取してい無いにも拘らず、床に就いた途端に爆睡してしまい、そして今、けたたましく鳴る目覚ましが7時半を知らせるベルに叩き起こされた。

 今日は二度寝などしない。

 目を開けた瞬間からアドレナリン全開なのが、自分でもよく分かる。

 ベッドから跳ね起きてカーテンを開けると、これでもかというくらいの眩しい陽射しが部屋いっぱいに差し込んでくる。

 眩しさに目を細めながら視線を空に向けると、小さな白い雲ひとつきり、あとは何もない澄み渡る青空が広がっていた。

 バイク日和だな。


 熱いシャワーで更に目を覚ました僕は、白いTシャツにジーンズを履き、デニムのジャケットを羽織って駐輪場へ向かう。

 最後にエンジンを掛けたのが約二か月前。

 その時はFZR250を走らせることも無く、トルクの調整とチェーンのたわみの修正を行い、それからバイク購入後初めて、バッテリーを新品に積み替えた。

 そして丁寧に洗車をしてから、元のようにシートを被せたのだった。

 メンテナンス後初のツーリングが、こんな形でやって来るとは、想像だにしていなかった。

 まるで今日の日の為に・・・。

 いやいや、そんなオカルト染みた予定調和なんて僕は信じない。

 ・・・それでも、やっぱり、これって・・・。


 運命?


 完全に破顔している頬の感覚・・・。バカなのか、僕は?

 僕はバカ丁寧にシートを畳み、座席下のボックスに仕舞うと、部屋から持ってきた二つのヘルメットのうち一つを左腕に引っ掛け、自らはもう一つを被る。

 バイクに跨り、ゆっくりとバックで駐輪スペースから抜け出して、何の気なしに空を見上げた。

 蒼い。


 右ハンドルのレバーを引き、セルスターターボタンに親指を押し当てると、『キュルッ』と一瞬鳴いた途端に、ビュッとエンジンが起動した。

 流石、新品バッテリー。

 エンジンの調子、そしてFZR250のご機嫌伺い宜しく、僕はアクセルを開けて空蒸かしをしてみる。

「ビュォンっ」

 すこぶる好調、良い感じだ。


 初夏。

 朝の透き通った空気の中、僕とFZRは、美香の待つ『病院前バス停』に向かって風を切って走る。

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