第449話 フィンセント・ファン・ゴッホ
“日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい”
彼は神学を学び、聖職者になろうと努力はしたが、上手くいかず
伝道師の道を絶たれたゴッホは画家を目指すようになった。
彼は死後に評価し直された人物の代表的な人間だ。
生前に売れた絵は、一枚だけだった。
ゴッホは日本趣味に一時期、魅了され、多くの浮世絵を買い求めた。金銭的には困窮していたが、弟テオの仕送りを画材とモデル代につぎ込み、口にするのはパンとコーヒーとタバコだけだった。
ゴッホと言えばと聞かれれば、2つのうちのどちらかであろう。
「ひまわり」か「耳切り事件」のどちらかであろう。
一応初耳の人もいると思われるので、「耳切り事件」について触れておこう。
ゴッホがなぜ左耳を切断したかについては諸説諸々ある。「ゴーギャンがゴッホの描いた自画像の耳についてからかったため」とする説が有力とされているが、実際の所本当の事はもう分からないのが現実だ。
彼はこの「耳切り事件」以後、ゴッホは発作に苦しみながら病院への入退院を繰り返す事になる。1889年に精神病院に入院。発作の合間にも多くの風景画、人物画を描き続けた。
その後、精神病院を退院してパリ近郊に移り画作を続けたが、1890年7月29日、フィンセント・ファン・ゴッホは自ら銃を撃った傷により37年の生涯の幕を閉じた。
まだ若く、自殺した事に関しては何とも言えない。それは若すぎるからだ。
当然、苦悩な人生であった。自殺した要因のひとつになるだろう。
しかし、現在では知っての通り、評価されている。
その時代事に、評価は変化する。評論家次第というのは何とも言い難い。
ゴッホの事を考えると、まるで昔の十字軍を思い出す。
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