第2話
「君はねぇ、仕事遅すぎ」
「いえ、その、はい」
「はぁー、男なんだからはっきりしなさい。そんなだからみんなに笑われるんだよ」
黒と赤の境目に紫色の光が差す空。
夕飯時、帰宅ラッシュ、そんな時間帯に今はなるのだろうか。
「はぁ〜、はっきりしないなぁ」
大きなため息とタバコの煙。同時に吐き出されたそれは煙同様は割と消えてくれればどう良かったか。
「まあ、君が仕事に真剣なのも知ってる。断れない性分でしょうし」
「……はい」
「でもね?自分の仕事を疎かにしてまでみんなの手伝いをしないといけないの?」
「それは、すみません」
「優しさと犠牲は紙一重なんだよ。誰かが犠牲になる優しさは優しさとは言ってはいけない。と少なくとも私は思う」
「でも、俺がみんなの手伝いして、俺1人が残業すれば」
「だから怒られてるんだよね?」
「はい、すみません」
茜色が喫煙所に差し込む。そう、今は残業中。みんなは帰ってしまったようだ、俺としてはそれでも良いのだが。
「さて、ぐちぐち言ってても君は同じことしちゃうんだからさっさと片付けて帰るよ」
「え、俺1人でできますが」
「私が手伝うって言ってるんだから、この後奢りなさいね」
彼女はそう言うとデスクまで歩いて行った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
しばしの無言。キーボードを叩く音、紙を捲る音、機械音が響く。
「ねぇ、このデータって君がとったの?」
「それは俺じゃなく」
「だと思った。ミスしてるもん。そりゃ終わらないわけだ」
「終わらない?」
「だって今までこのデータを計算し直して、表にまとめて、資料に閉じてってしてたんでしょ?」
「まあ、そうなんですよね」
「ちゃんと本人に言ってる?」
「言ってはいるんですけど、訂正してくれるだろーって、取り合ってもらえないと言うか」
「優しさが裏目に出た、そんな感じだね」
「まあ、すみません」
「さ、ラストスパートかな」
彼女は伸びをするとまたパソコンに向き合った。同期で上司、その彼女の仕事の速さはさすが、としか言えない。
「よし、終わり。君は?」
「今終わりました。助かりました。」
「よし!じゃあ行こうか」
「え?どこに?」
彼女は上着を羽織ると鞄を持った。そしてそのままドアまで。
「飲みに!奢ってって約束!」
先程までの綺麗、と言う印象より可愛い、と言う印象の笑顔に少し顔が熱くなる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「だからわかってないのよ、上の人間は」
「はいはい、3回目ですよ。そろそろ水にしては?」
「い!や!ビール!」
どうやらお酒が入ると愚痴が止まらないらしい。定番の唐揚げに枝豆でビールを三杯。これは、果たして弱いのか?
「聞いてます!?」
「え!なんでしょう!」
「だから敬語!私は同期だから敬語は嫌なの」
「いや、でも上司ですし。流石にね」
「……上司になっても良いことないんだよ」
「それは俺にはわからない贅沢な悩み、ですね。きっとそれがわかる頃にはあなたはもっといろんなことに悩んでるんでしょうかね」
「早く追いついてください〜」
「追いつけるよう全力で走ってますけど、足が速いんですよ」
「んー、私はそう思わないけどな」
そう言うとビールを一口。
「きっと自分で全力って思ってるってことは余力があるんだよね」
「余力ですか」
「そそ、人間の体は80%の力しか出せないよう制御されてるらしいよ?」
「物知りですね」
「つまり君はまだ余力を残してる!私に追いつけるの!」
「そう、ですね」
説教を受けてるわけじゃないのに自分の無力さを噛み締める。納得できるから何も言い返せないし言い返そうとも思わない。
「さてー、こんな時間だし帰りますか〜」
時計の針はもうすぐ9時を指そうとしてた。
お勘定を済ませ、店を後にする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うぅー、気持ち悪い……」
「吐きそうですか?とりあえずお水」
「うぅ〜、ごめん〜、うっ」
どうやら無理して飲んでたみたいだ。フラフラ歩く姿から心配して家まで送ろうとしてた矢先にこけそうになり、今に至る。
「家まで遠いですか?タクシーでも呼びます?」
「すぐそこの、ピンクの外壁、アパート、無理、動けない」
指を刺した先のアパートは本当に目の前だった。
「とりあえず肩貸しましょうか?」
「……おんぶ……」
「へ?」
「お!ん!ぶ!」
「実は酔ってないですよね!?」
「いいから!おんっ、うっ」
吐きそうになりながらおんぶをせがまれると人は「吐かれるのではないか?」と不安になるものでしょう。現に私がそうなのだから。
「はぁー、どうぞ」
「ん、ありがとう……」
華奢で軽い体、やはり彼女は職場ではどれだけ強そうに見えても女性なんだと思ってしまう。
「……胸あたってるけど」
「おんぶしてって言ったのはあなたですよね!?」
本当に酔ってるの?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「うぇぇ〜」
「吐きそうなら洗面台でお願いしますね」
玄関先で鍵を開け、フラフラする足取りで部屋の中へ。今にもぶっ倒れそうな足取りだ。
「ごめん、こんな時間に、うちまで」
「まあ、俺は全然気にしませんけど。それより大丈夫ですか?」
「大丈夫ではない……」
「何か買ってきましょうか?」
「とりあえず布団まで運んで……」
とうとう玄関に突っ伏してしまった。
先程同様おんぶで布団まで運んでいく。
「うぅ、ありがとう……」
「とりあえず何か飲み物、え?」
腕をぐんと引かれ、そのままベッドに倒れ込む。
大きく、酔いのせいか眠たそうに見えるその瞳に吸い込まれそうに感じる。
「ごめ、立てなくて……」
「……い、いえ……」
硬直してしまって動けない。
「……ねぇ、このままキスして良い?」
「え!?何を言ってるんですか!?」
「冗談だよ、ふふ」
あどけない笑顔。普段の姿と相待ってさらに顔の熱が上がる。
「からかわないでください……」
「じゃあ冗談じゃなかったら?」
「……やめときますよ」
スッと立ち上がる。
「今ここでするのは俺のキャラじゃないんで」
「カッコつけちゃって」
「じゃあ帰ります。今日はありがとうございました」
「ごめんね、こんな時間に。大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ」
玄関で靴を履く。彼女はフラフラしながら見送りにきてくれる。
「……いつかあなたに追いつけたら、今日の続きでもしませんか?」
「……キャラじゃないなぁ、そのセリフも」
「確かに」
互いにクスリと笑う。
「期待して待ってるよ」
「はい。100、いや120%でがんばります」
「うん。また明日」
「はい」
ドアを開け帰宅する。電車の時間に間に合うのだろうか。
あの時のあの動きは、動けるほどに回復したのか、それとも最初から演技だったのか。
ただ今はそれさえも気にならないほどこの高なる鼓動が心地いい。
明日の仕事が楽しみだ。
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