恋の話

柊 綾人

第1話

 熱い夏の日だ。泣く蝉の声もただ鬱陶しく思える、飲む水もぬるく茹だるような灼熱だった。


「今日も暑いね。熱中症になりそう」


 彼女はそう言った。教室の一部屋、窓際で扇風機もついているが足りない様子で、パタパタと下敷きで仰ぎながらタオルで汗を拭った。


「そう言うなら、涼しい図書室がオススメですよ」


「わかってないなぁ、図書室はとうに満員。今行っても涼しい場所なんかどこにもないよ?」


 してやったり、そんな顔でにやけずらを向けてきた。それもそうか、と納得できるから何も言い返せない。


「暑くないの?」


「暑いよ。汗が止まらない」


「じゃあ君こそなんで教室にいるの?」


 君に会えるから。そんな言葉が出ればよかったのにね。


「別に、なんの理由もないかなぁ」


「そうだよね、君って特にこだわりとかなさそう」


 くすくすと笑ってみせた彼女の顔は幼くもあり大人びてもいる、そんな不思議な印象だった。


「君もなんでわざわざ教室に?」


「それは、君に会えるからかな」


 ぴたりと動かしていた手が止まった。まあそりゃあ男子高校生だもの、戸惑いを隠せないわけであります。


「あ、動揺した?」


「しないってほうが無理あるよね」


「可愛いなぁ、そんな可愛げがあるとは知らなかったよ」


 無言、なんと返していいかもわからない。これはきっと暑さのせいだ。頭が回らない。


「君も、私に会えたらとか思ってくれてたの?」


「……いや、どうだろう」


「濁してないで教えてよ〜」


「ちょ、裾引っ張らないで。危ないから」


「血が出たら舐めとってあげようか?吸血鬼みたいにちゅーって」


「馬鹿だな、吸血鬼は日中外に出ないんだろ?あと糸きりバサミだからそんな大怪我しません」


「そもそも血液型が違うかもね、何型?」


「B型」


「私も。よかったね怪我しても大丈夫だよ」


「いや、だから怪我なんてしないって、痛っ」


「あーあー、針で刺しちゃった?見せてみて」


 フラグ回収とはこのことか。浅く刺さった程度だから血は出てないし、別に支障はきたさないけど、けども、


「あの、なんで舐めたの?」


「ん?舐めたげるって言ったから」


 血も出てない、なんの怪我もしてない、いや怪我はしたけどもなんのこともないその指をぺろりと舐める?


「君って変わってるよね」


「他の人にはしませーん」


「まあ、ね。してても咎めることもできないけど若干引く」


「引くんだ、そこは受け入れてよ」


 舐められた指をゴシゴシとタオルで拭く。さっきまで汗拭いてたタオルですよねそれ。


「というか、なんで今更裁縫?家庭科の出席足りない?」


「いや、課題の雑巾。早くやろうと思って」


「ふーん、夏休みなのによく学校に来てするよね。みんな家でするものだと思うんだけどな」


「家だと落ち着かないし、集中できないんだよ。学校が1番楽でいい。今の時期なら誰も教室にいないから」


「でも私はいるよ?」


「君は、まあいつでもいるよね」


「そんなことはないよ?」


 夏休みなのに学校に来たらいつもいるくせに?


「君が来る時だけ来てるの」


「え、ストーカー?」


「わ、失礼だなぁ。そんなことないよー。君が来るって確証があるからきてるだけ」


「それもそれで怖いよ」


 彼女は外を眺めた、そして長い黒髪を縛っていたゴムを解く。髪の毛をおろしてもなお変わらず綺麗だと思った。


「おろしてるのと結んでるの、どっちが好き?」


「好みはないよ。その人に似合うならどんな形でも」


「へぇー、じゃあ今の私にはどっちの方が似合ってる?」


「んー、夏だし結んでる方」


「解いた後に言う?それ」


 くすくすと彼女は笑った。そんな彼女を見つめていると自分が変態なんじゃないかと錯覚してしまう。それほど魅力的だと言うことで。


「後どのくらいで終わる?」


「もう終わるよ、と言うか終わったよ。」


「なら帰る?」


「帰ったらまずい?」


「まずいことはないけれど、もう少し一緒にいて?」


「え、なんで?」


「言わせる気?」


「言われないとわからないからね。男の子は鈍い生き物ですよ」


「……から」


「え、なんて言ったの?」


 小声で発せられたその言葉はうまく聞き取れなかった。


「だから、君が好きだから」


「……」


「……」


 赤面する。


「ねぇ、どうして無言なの?」


「恥ずかしい話、女性に好きって言われるのは初めてだから……」


「ふーん、そんなに顔赤くしてるのもそのせい?」


「まあ、そう言うわけです」


 恥ずかしさと照れと嬉しさと様々な感情が渦巻き顔から火が出そうだ。


「いつ頃からそう思ってたの?」


「乙女にそんなこと聞かないでください。恥ずかしいです」


「それは失礼しました」


 またしばらくの無言。もう縫うはずもない雑巾に針を刺しては抜いてを繰り返している。


「夏のせいだよ、これはきっと」


「どういうこと?」


「暑さに負けて告白したこと」


「それは、なんというかね」


「なんというか?」


「……夏に感謝」


 改めて言うとアホみたいなこと言っている。


「さて、そろそろ私は行きますね」


「どこに?」


「お家。帰るの。暑いから」


「送っていくよ。倒れそうなほど暑いし」


「ありがと」


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「群青ってこの空のことを言うのかな」


「群青ってより、快晴?」


「猛暑だもんね、ほんと倒れそう」


「同じ方角だったんだね、帰り道」


「気づかなかったの?」


「うん、先に帰ってたからね」


「ふーん」


「……」


「……」


「あ、家もうすぐだからここで。ありがとう送ってくれて」


「いえいえ、こちらこそ」


「……何か言うことは?」


「……今ですか?」


「今じゃないとききませーん」


「……じゃあ」


「うん」


「僕も好きでした。またいつか返事待ってます」


「うん。またいつかお返事返します」


「ありがとう」


「こちらこそありがとう」


 そうして我々は帰路に立った。


「あぁ、暑いな」


 照りつける日差しに足が止まる。


「これも全部」


 あれも全部


「夏のせいってことで」


 この高揚感と熱はきっと夏のせいなんだ。

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