10日目 水中花
私より二つ年上の彼女が神隠しにあったのは、まだ小さな頃だったと言う。
「雨の日に歩いていたらいつのまにか知らない道に迷い込んでいて」
どの角を曲がっても人はいない。雨はどんどん強くなる。小さな彼女は傘の柄をぎゅっと強く握りしめた。お母さんに買ってもらった傘だった。透明な柄の中に花が咲いていて、おねえさんが使うような大人びた見た目がお気に入りだったそうだ。
どれだけ歩いたか分からない。身体は濡れて冷え、疲れ果て、半べそかいて立ち止まろうとしたとき、手の中がじんわり暖かくなって優しい声がした。
『止まらないで。まっすぐ行くの』
おどろいた彼女は傘を落として立ち止まりそうになったけど、柄の中からにょきにょき伸びてきた蔓がしっかり手首に絡んでいた。
『ぜったいに曲がらないで、とにかくまっすぐ進むのよ。だいじょうぶ、私がついてるから』
母の声に似ていたと思うけど、私が母を求めていただけなんだろうね、と彼女は微笑った。気付けば傘の柄は満開の花で覆われていて、それが妙に暖かい。勇気を振り絞って、彼女はまっすぐ歩き出した。曲がり角では、見たことあるような景色や誰かの呼び声が聞こえたけれど、決して曲がらずまっすぐ進んだ。くじけそうになるたび、傘から声がした。
またもやどれだけ歩いたか分からなくなってきた頃、後ろから名前を呼ぶ声がした。振り返ると、自宅の前の細道で、涙をぽろぽろこぼすお母さんが飛んできて抱きしめられたという。彼女が歩いている間に、一昼夜経っていた。
「それからも、私がすごくピンチの時、ときどき傘から声がするのよ。だいじょうぶ、まっすぐ行けって」
だからこの傘、手放せないのと子供用の傘を示して彼女はにっこり微笑んだ。
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