第14話 契約者は慄く。
「…」
コツ、コツ、と二人分の足音が白を基調とした本所通路内に響く。
現在、オルトは執務室の扉前に待機していた男性隊員に先導され、本所の入り口まで無言で歩いていた。
その最中に浮かぶのは、人身売買の事実を打ち明けるソニアの姿だ。
今でもオルトはまさか、と思っているが、あの言い回しからして事情は既にほとんど捕んでいると見ていい。改めて、ソニアの高い情報収集能力には舌を巻く思いだった。
しかし、これを知ったということは、今後己や
(はぁ、やめやめ)
気が滅入る一方のため、オルトはため息を一つ吐いて思考を切り上げる。
そして、意識を逸らす名目で、往路では緊張のあまり観察できなかった本所の内装を視界に入れることにした。
…全体的に白い。そして広大だ。あと綺麗。
小学生並みの感想を脳内で垂れ流しながら、男性隊員のあとを追っている内に目的地へと到着する。
ここへやってきた時と同じく、そうなるだろうとオルトは思っていたが、
「ごめんなさい。彼に用がある。外して」
どうも、そうは行かないらしい。
庭園のような風景を流し見ながら歩いていたオルトらの足を止めたのは、ソニア・ブレスに劣らず見惚れるほど美しい金髪と整った顔立ちをした女性、アリア・バドルドスだった。
彼女の目は厳しく、討つべき敵を前にしているかの如く鋭い。態度にもどこか余裕の無さすら含み、行動を急いでいるように見える。
「え、えっと、ですが私はプルミエール様よりこの任を仰せつかっている―――」
「ソニア様には私から説明する。問題ない。通常の業務へ戻れ」
「…っ」
有無を言わせぬ雰囲気を纏い始めたアリアに、一度は引き下がった男性隊員も流石に気圧されたか、半歩下がった後に背後のオルトへ目くばせした。
曰く、どうしたらいいでしょうか、とのこと。時として目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。
事情を把握した、と言うより半ば同情心から、オルトはアリアの言う通りにしていいという意を込め、うなずいて見せた。
すると、我が意を得たりと言わんばかりに男性隊員は浅く頭を下げると、足早に歩いてきた道を引き返して行った。
裏切りとまでは言わないものの、あまりの変わり身の早さに、オルトは少々複雑な心持ちになった。
「それで…アリア様、俺に一体何の用ですか?」
正直、あの男性隊員と一緒にこの場を逃げ去ってしまいたかったが、その後は死よりも恐ろしい報復を受けそうで、本能的に足が止まってしまうオルト。
アリアに対し、ここ最近で特に不敬を働いた記憶はないのだが、対峙しているオルトには感じ取れる。
明らかに、彼女は己に不満を募らせている、と。
「貴方、ソニア様の提案を断ったでしょう」
「…シュヴァリエになれ、という話ですか?」
「そう」
もしや盗み聞きか?と思うオルトだったが、ソニアの性格上、アリアの盗聴行為を見過ごし、放置するということは考えにくい。
とすると、ソニア本人から直接聞いたか、ただの勘か。
「確かに断りましたが…。聞いていたんですか?」
「否。だけど、どういう会話をするかはあらかじめソニア様から聞いていた」
執務室内でされた両者の談話の大筋は、すでにアリアの知るところだ。
そんな彼女がわざわざオルトの元を訪ねたのは、彼のした決断の真意を明らかにするためである。
「断ったという憶測の出どころは、今の貴方の様子とここにいる時刻で判断した。もし話を受けていれば手ぶらではないはずだし、もう少し執務室から出るのも遅れるはず。…それで、何故断ったの?」
アリアの声のトーンは一定。ドスが効いているわけでも、凄んでいるわけでもない。多少早口ではあるが。
それでも、オルトはピリリと外気に触れる肌がチリつく感覚を覚えていた。
これは、殺気だ。
耐性のない人は、気迫に押されて訳もわからないまま地に額を擦り付けて謝罪を口にしてしまうことだろう。
「私にシュヴァリエの任は重い、そう判断してのことです」
「確かに重い。魔術を碌に扱えないのであれば尚更。けれど、だからこそ誇りに思えること。ソニア様はきっと、貴方がこれを背負う重責に耐えられる器だと見抜いているはず。なのに何故?」
「…」
アリアが苛立ちを露にする原因、それはソニアの選択を誤りとしてしまったオルトの考え方だ。
実のところ、アリアはオルトをシュヴァリエにするのは反対としている。三日前の奮戦を評価していないわけではないが、それだけではあまりに不足。彼の背景を鑑みても、この昇格は異常と言わざるを得ない。
と、アリア個人が見れば不可解な点だらけだが、ソニアの決定とあれば話は別である。彼女にとってプルミエールの選択は絶対であり、正確なのだから。
彼女から見れば、オルトは王に意見する愚者なのだろう。構図的には、事実とそう変わりないのが面白いところだが。
前方から襲いくる、決して少なくない殺気を努めて受け流しつつ、オルトは言葉を選ぶ。
「今の私では期待に応えられません。誇りだけでは実力は補えないし、器が大きければ大衆の見る目が変わるわけではないんです」
シュヴァリエはオストラントに属する全ての人間の憧れ。見上げるべき星。
それは容易になれるものではないし、なっていいものではない。この前提が覆されれば、それそのものの価値が失われる。
仮に覆すのであれば、誰もが納得する理由がなければならない。例えば、ルールという縛りすら煩わしいと思わせるほどの、誰もが天に在るべきと望む圧倒的な輝き。
そのような価値などオルトにはない。故に、彼の双肩に特別という言葉は荷が勝ちすぎる。
「…何故…は、…の」
「え?」
反論を聞くや否や、アリアは表情が見て取れないほど顔を俯かせた。
かと思えば、その状態のまま何かを呟いているらしく、オルトは風に乗って断片的に届いてきた言葉に耳を澄ませる。
そして、おもむろに上げた彼女の表情は―――憤怒、であった。
「何故、ソニア様はこのような男をシュヴァリエになど…!」
アリアの立場上、先のオルトの発言や態度により怒りを抱くのはおかしなことではない。それは彼とてわかってはいた。
しかし、それでもオルトには一点、アリアの言い分に納得ならないものがあった。
正直なところ口にしてしまいたかったが、火に油を注ぐ行為であることは明白。彼女との関係がここで破綻してしまうと、今後の仕事に大きな悪影響をもたらすだろう。
以上の理由から、オルトは『ならせてくれなんて一言も言った覚えはねぇ!』という暴言を飲み下した。
それと時を同じくして、アリアの口はとある言葉を紡ぐ。
「舞い飛べ、『岩弾』」
「!?」
たったワンフレーズの詠唱で、アリアの周囲に金色の粒子が生成され、それが寄り集まって直径20cm程度の土塊が8つほど出現する。かと思えば、ググッと伸縮し鋭利な棘のような形を作ったではないか。
魔術の完了までにかかった時間、およそ2秒。しかもその切っ先は、全てが既にオルトを捉えていた。精度も完璧だ。
高位の土魔術ではないため、発動から展開までのタイムラグが少なく、高速魔術に分類はされる。だが、それを加味してもこの速度と量は異常の一言に尽きる。
さて、この行動の意味はいかに。冷や汗をかくオルトは、しかし零下の温度を湛えたアリアの視線に真っ向から挑む。
「ついてきて。逃げたら許さない」
「待ってください。俺に何をするつもりですか?」
踵を返して歩き始めたアリアに静止を求めつつ、その背へ問いかけるオルト。
その疑問に対して彼女は足を止めつつも、振り返らないまま答えた。
「私には、貴方の特別さが全く分からない。確かに三日前のあれには驚かされたけれど、それだけでは納得できるものではない」
「…ええと、つまり?」
「つまり、これから貴方には私に納得のいく説明をしてもらう。もちろん口ではなく魔術戦で」
「魔術戦で、ですか」
「貴方が魔術を不得手としていることは理解している。でも、アストラルに属するのであれば、魔術戦は当然、起こりうるもの。それと、別に納得させられなくても構わない。それならそれで、私は心置き無くソニア様へ貴方の無価値さを進言できる」
毒づく程度ではない。切り刻むくらいの勢いで暴言を吐くアリア。
それでいて言葉に抑揚はなく、感情の起伏を感じさせない。この乖離具合が、空気全体を重くする圧力となってオルトを襲う。
彼女の特異な性質に気後れしながらも、オルトは仕方ないと諦めたように肩を落とす。ここで抵抗して無闇に騒ぎにはしたくないのが本心だった。
「俺と戦えば、満足してくれるんですよね?」
「全力を見せることが条件」
「…全力、ですか」
オルトは思わず顔を伏せると、苦笑いを溢す。
全力を出す。出したところで結果など変わるはずもない。
素人魔術師ならまだしも、相手はシュヴァリエのNo.2である巌姫。オルトではどう足掻いても、地面にボロ雑巾の如く転がるのがオチだ。
オルトはそれを理解しているからこそ、未知数の相手としてアリアから警戒されることが、妙にこそばゆかった。
「わかりました。それで貴女の気が済むのなら」
要求を飲むと、そんな意を込めた視線を言葉とともに投げるオルト。
ここまでこじれるとは思ってなかったオルトだが、形はどうあれ、これで彼女の己に対する評価は固まるだろうと、多少の安堵を覗かせる。
彼としては、変な期待を抱かれるより、早々に失望して距離を置かれる方が気持ち的に楽なのだ。
そうして了承が得られたアリアはチラリと背後へ目を向け、見えたオルトの態度から逃走の意思なしと判断したか、片腕を振って『岩弾』の展開を解除する。
魔術という継ぎ目を失った岩は、ただの
「ん、演習場に行く」
「は、はい」
オルトは、金色の髪を靡かせながら歩き出したアリアのあとを早足で追う。
『岩弾』という制限のなくなった今なら、逃げ出すチャンスもあっただろう。
この場でソニアに露見するような派手な真似をしたくない考えはオルトと同じ。これにつけ込めば、脱出の算段もついたはず。
(ま、なるべく後腐れなく。な)
オルトがそれをしなかったのは、彼女から向けられた僅かな信頼に応えたいと思ったからだ。
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