第12話 契約者は緊張する。

 プルミエール襲撃事件のあった凱旋式から三日後の朝。

 武警隊の仕事や、リュカオン三体との同時戦闘という諸々のイベントはありつつも、オルトはついにこの日を迎えてしまった。


 そう。今日はソニア・ブレスことプルミエールより、直々のお呼び出しを受けている日だ。

 デバガメに留めておけば良いものを、うっかり国のトップを救ってしまったばっかりに、要らぬ噂の立つこと間違いなしのイベントを発生させてしまった。

 とはいえ、あの時にとった行動をオルトは何も後悔していない。今の彼の頭を悩ませているのは、ソニア・ブレスから直接礼を賜るという、この状況だ。


 さて、そんな彼は現在、自宅にてお馴染みの仏頂面を晒していた。

 否、それに合わせて瞳から光すら失われている。血色も蝋人形みたく悪い。誰から見ても正常な精神状態ではないことは明らかだ。


「ちょっとおにぃ、なんでそんなに覇気も生気もない顔してるの。このまま外出たら死人が歩いてると勘違いされちゃうよ?」


「そうか。よしエミリ、お兄ちゃんちょっと体調すぐれないからキャンセルの連絡を」


「ホテルの予約みたいな気軽さでキャンセル電話しようとしない!ばかなこと言ってないで、ボタンしっかりしめる!」


 無論、同居人の義妹はそんな兄を放っておけるわけもなく、テキパキと身支度を整えさせていく。この光景を見れば、誰もが朝に弱い旦那を甲斐甲斐しく世話する妻と思うことだろう。

 エミリに指摘された隊服の着崩れを直しつつ、オルトはチラリと据え置きのマナ時計を見る。エミリの奮起もあってか、アストラルの本所へ向かうには十分な時間的余裕があった。

 オルトは観念したようなため息を吐く。自身やエミリにとって良いことは間違いなくないが、己が蒔いた種だ。なら、自分の手で収拾をつけるのが筋というもの。彼は、嫌々ながらそう結論した。


「はぁ、わかった。いっちょケリ付けてくるよ」


「…」


「な、なんだよ。どうかしたか?」


 明らかに何か言いたそうな雰囲気を無言のうちに滲ませるエミリ。それに若干気圧される形で問い返すオルト。兄の威厳はいずこ。

 その目は口より雄弁にものを語っていた。いわく、『おにぃ、それはちょっと変じゃない?(オルト意訳)』


「改めて聞くけど、おにぃはこれからソニア様からお礼を頂きに行くんだよね?」


「そうだな」


「じゃあ何でそんなに嫌そうなの」


「…嫌そうな顔してたか?」


「私じゃなくても分かるよ。というかもう言い方がおかしいよね。ケリつけてくるって」


 発言に関しては完全に無意識だったらしく、オルトは内心で己の脛を蹴った。イメージでも痛かった。

 エミリの疑念は尤もだろう。国のトップから直々にお礼を貰いに参上するというのに、当人が斬首台に上がる罪人のような顔では、もしや全く別の意のお礼ではと勘繰るというもの。

 勘違いさせてしまったことに自省しつつも、しかしオルトはやはり、諸手をあげて家を出る気にはなれなかった。


「嫌がってる、というより…緊張してるんだよ」


「緊張、ねぇ?まぁ、レイモンさんから聞く限り、おにいがソニア様の危機を救ったのは確かだろうし、別にいいけど」


「ホント抜け目ねぇな。いつの間に確認とってたんだよ」


 まさかの情報提供者の名に渋い表情のオルト。あとでレイモンへキツめのクレームメッセージを飛ばしてやろうと、密かに心に決めた。

 しかし、オルトの被った不利益は別として、規則の面から見てもレイモンの行いは決して褒められたものではない。

 この案件は無闇に口外していいことではないし、露見すれば十二分に罰則を受ける違法性だ。

 と、まあ違法性うんぬんはともかくとして、知られてしまったものは事実として受け止めるほかない。その上で、兄として義妹にかけられる最適な言葉とはいかに。


「レイモンから何を聞いたか詳しくは知らんが、凱旋式で起きたことのあらましはお前が言った通りだ。だから心配することはない。これだけは確かだよ」


「…じゃあ、これからお礼もらいに行くだけなんだよね?いつも通り帰ってくるんだよね?」


「ああ、約束する」


 不安そうに見上げるエミリの姿が、昔日のものとオーバーラップする。同時にオルトのうちで呼び起こされるのは失意と懺悔、無力な己を呪う暗鬱な記憶だ。

 決していい思い出とは言えないそれが、視覚を通して背負っている十字架から目を背けるなと囁いてくる。それを振り払うかのように、オルトは彼女の頭を撫でた。

 その相好が崩れ、笑みに変わるにつれて過去のそれとは乖離していったか、次第にオルトを責める亡霊は輪郭を失っていった。

 オルトは知る由もないが、ここのところ兄とのスキンシップに飢えているエミリは、実は割とこの一手で絆されつつあるのだった。決してちょろいなどと言ってはならない。


「ふふ。じゃあ、気をつけてね。おにぃ」


「?ああ。色々ありがとな」


 どこかホクホクした顔の義妹に訝しみつつも、何とか外出許可をもぎ取ったオルトは礼を言いつつ、上着を手に玄関へと足を向ける。

 さて、あとはどれほど穏便にプルミエール様との会話を済ませられるかだが…

 靴を突っ掛けながら、そう思考を切り替えつつあったオルトだが、背後からかけられた声で現実に引き戻される。


「おにぃ、ちゃんとハンカチとティッシュ持った?直前に掃除するからって置き場所変えちゃってたけど」


「当たり前だろ?それくらいで粗相をする兄ちゃんじゃないぜ」


 この話は昨日のうちに知らされていたため、しっかりと対応ずみのオルト。かといってドヤ顔をするほどのことかと言われればそうでもないのだが。

 自信に溢れた兄の様子を見たエミリは、安心したように言葉を続けた。


「よかった。じゃあ身分証と携帯マナ時計も持ったね?」


「それはもちろ…」


 返答が途絶えたのはなぜか。それは肯定できなくなったからである。

 いつもそれらを忍ばせている隊服の胸ポケットを漁ったものの、手応えはなし。改めてよく思い返してみると、そのふたつだけが変更先の置き場所になかった気がしてきたオルト。

 もちろん、見栄を張って首を縦に振り、これらを持たずに外出すれば、身分証不携帯でアストラルの本所で門前払いを喰らう。つまり選択の余地などない。


「すんません、そいつら全部忘れました」


「全く、おにいはしょうがないんだから」


 オルトに言い訳の余地があるとすれば、これら二つは前の二つと別の場所に置かれており、その事実が予め知らされていなかった、という点か。

 パタパタと足を鳴らし、手間をかけさせていると思えない笑顔で玄関まで戻ってくるエミリ。

 そんな彼女を見たオルトは、世話を焼きたいがためにわざと物品を分散させたり、調理スキルを向上させないために台所に立たせなかったりするのではと、少し恐ろしい想像をするのであった。





◆◆◆◆◆





 アストラルの本所は南方区画に位置する。

 なぜ五つある区画の中で南方区画に置いたかと言われれば、国内唯一の外との通用口、正門があるからだ。

 有事の際はすぐに外へアクセスでき、対応に当たることができる。また国外からやってきた商人たちに対する窓口の役割も持っており、初オストラントの人間でも簡単に辿り着けるという寸法だ。

 無論、民間の窓口も多数用意されている。住民登録や税金の相談、証明書の発行など、大体の登録手続きや申請はここで行う。現代でいう市役所のようなものだ。

 本所でなければできない手続きもあるが、簡易的なものは各区画の支所で処理できる。基本的な流れとしては、まず支所に相談し、不可となれば本所へ、となる。


 このように、市民にとっては本所と言われれば、お役所のイメージが強く出てしまいがちだが、アストラルトップの仕事場、つまりはこれまた現代で言う首相官邸や国会議事堂の建つ場所でもある。

 同じ敷地内にあるとはいえ、これらは明確に分けられて存在しており、プルミエールやシュヴァリエのおわす本所左方ひだりかたにはあまり人は寄り付かない。

 やって来た方向によっては、役所側…本所右方みぎかたと誤ってたどり着いてしまう者も若干名いるが、大抵はそのほとんどが建物内に入らずとも、ここは違う、と判断できる。

 漂ってくる重圧が、普通のそれではないからだ。


「今日は私のためにお時間を割いていただき、ありがとうございます。ソニア様」


「なに、君とは一度じっくり話をしたいと常々思っていてね。さて、楽にしてくれていいよ、オルト君。いっそ敬語もやめてくれたって構わない」


「冗談はよしてください」


「冗談のつもりはないんだけどなぁ」


 そんな本所左方への来訪を無事に成功させたオルトは、エントランスに控えていたアストラルの隊員に連れられ、ソニアの執務室へ案内されていた。

 両者以外のアストラルの人間がここにいたら耳を疑うだろう挨拶を終えた後、オルトは促される形で室内に備え付けられたソファに座る。途端に彼を襲ったのは、ふかふかでどこまでも沈み込んでいってしまいそうな柔らかさだ。

 オルトがふかふか具合を堪能しているうちに、執務机から立ったソニアが彼の対面のソファに腰掛けた。

 それを認めたオルトは、兼ねてより聞こうと決めていた質問を口にする。


「最初に確認しておきたいんですが、昨日掲示されたアレって本当ですか?」


「…聞いてくるだろうとは思っていたけど、まさか挨拶の次にされるとは思ってなかったよ」


 オルトが指しているのは、昨日オストラント中に周知されたとある事実と、それに対するソニアの対応だ。

 その内容を簡潔に言えば、こうだ。


『アストラルにツァルロス・クリークと通じる者が複数名確認された。大変遺憾なり。該当者は全てアストラルの在籍権をはく奪、並びに国外追放とする。また、これにより第5師団は解散措置を取ることとする」


 ツァルロス・クリークについては、公開された掲示ではクーデターを企む組織と置き換えられている。アストラル上層部では共通語だが、民間には秘匿している単語だからだ。

 オルトとしては、三日前の襲撃事件の概要は既に把握しているため、内通者の検挙自体に驚きはない。問題は、文末にある第5師団の解散だ。

 第5師団とは、5等星のシュヴァリエが率いる直属の魔術師戦闘部隊。それが解散された、ということは。


「君の想像通りだ。私としても断腸の思いだが、関わりがあった以上、為政者として放置はできかねる」


「つまり、5等星の『爆轟』・ケヴィン・マクエルンは、オストラントより永久追放とした、と?」


「ああ。当人はわずかな情報提供にとどめた、以降は二度としないなどとほざいていたが、一度目を赦せば二度目をしでかす動機の垣根は低い。間接的とはいえ、国の要人二人を消す計画に加担したのだから、これが妥当だろう」


 ソニア・ブレスの判断は、その全てが正しいと言われている。

 確かに、ソニアの国を守る才は本物なのだろう。厳格であるが故に隙がない。ボーダーラインを超えたものに対しては、容赦無く裁きを下す。


「…襲撃の実行犯を一人、捕えましたよね。情報源は彼ですか?」


「いいや、残念ながらアレも蜥蜴の尻尾だった。出てくるのはつまらない自己紹介だけで、聞いていても時間の無駄だったから早々に始末したよ」


 始末した。

 実にインパクトのある言葉だが、触れたところで何一つ有益な情報など無いだろう。

 耳ざわりの悪い話を敢えて聞く理由も、同様に無い。

 結論したオルトは、努めて平静を保ちながら先を促した。


「では、自力で辿り着いた、と?」


「大したことじゃないさ。顧みれば、彼の動向の諸所に違和感はあった。例えば、普段は流し読みの作戦資料を三日に渡り借り受けたりね」


 ソニアは僅かな隙も粗も見逃さない。何かを隠そうという意図を孕んだ行動は、必ず効率や損得とは無縁の不可解な足跡が残ると本人は語る。

 そうして、誰もが疑いなど持たないはずのシュヴァリエの不義は暴かれた。

 これに対する罰は、勿論受けるべきだろう。

 しかし、それは状況によって機動的に判断すべきではないか。オルトは今回の件を通し、そう思ったのだ。


「シュヴァリエは代え難いものです。罪は重いですが、監視付きで暫く素行を見て、それから判断しても」


「否だ。彼個人の価値…シュヴァリエの価値については理解しているとも。だが、それは秤に乗せていいものではない。同じ罪でも立場で受ける罰の重みが変わるのでは、法とは言えない」


「それは…」


 正しい。正しいが、結果的には自身の、国の首を絞めている。

 法は不特定多数の人間が暮らす場において、秩序の維持のために必要不可欠なもの。ならば、過ちを犯した者に相応の報いを与えるのは当然だろう。

だが、それも過ぎれば毒になる。

 人間は正しいことだけをして生きることなど不可能だ。皆不満を持ちながら、それを解消する手段を日常の中で探している。

 それすら糺し裁こうというのなら、自由を求める人の本質を束縛することと同義だ。

 ソニアの論じる正しさは、これに類するものとなりかけている。オルトはなんとなく、その危うさに気づき始めていた。


「厳しい、か?まぁ、そう映るのも無理はないが、少なくともこの件については改める気など微塵もない。それが何故だか分かるか?」


「…ツァルロス・クリークが関わっているから、ですよね」


「察しがいいな、オルト君。君が言わんとしているように、魔を除いた場合、この国唯一にして最大の敵は、ツァルロス・クリークにおいて他はない」


 ソニアは厳しい判断を下した、ということを自覚している。していながら、改める気はないという。

 しかし、オルトとて理解はできるのだ。あの組織が絡んでいる以上、ソニアの中で情状酌量の余地が消える、というのは。


「逆説的に、あの組織と関連のある要素を排除し尽くせば、オストラントの安定性はさらに増す。厳しくなるのも道理というものだろう?」


「そう、ですね。増して、先の一件は予想外の一言だった。内にも楔を打っておくことは、必要だと思います」


 国のトップたるソニア・ブレス、シュヴァリエのNo.2であるアリア・バドルドスが危険にさらされたのは異常事態と言えるだろう。故に、今求められているのは国内の軍事力と規律両面の強化だ。

 初めに打った一手は、国を脅かすものと繋がりを持てば、たとえシュヴァリエであろうと容赦はしない、とアストラル内に示すことだ。これは規律面の強化と言えるだろう。


 次手としては、二重魔術を含む、有用無用問わず明らかとなっている魔術体系の再精査、というところか。用法によっては、非常に危険な魔術に化けるものが出てくるかもしれない。

 こうした考え方をすれば、ソニアの下した判断は正しいように思える。オストラントのより良い未来のために必要な犠牲であったと。


 それでも、シュヴァリエは多数の魔から市民を守る要。兵器の一つ二つを失くした程度の損失では済まない。

 あえて具体的な数値を示すなら、それぞれ場さえ整えば一人で百人に匹敵する規模の戦力となる。といえば、その価値が多少なりとも理解いただけるだろうか。

 まして、第5師団と5等星ケヴィン・マクエルンは『爆轟』という二つ名の通り、同じシュヴァリエの中でも飛び抜けて火力に秀でていた。彼を失えば、明確に戦場での決め手に欠けることとなろう。


「…思うに、君は私を寛恕という概念がない人間だと決めつけていないかい?」


「っ!いえ、滅相もありません!」


 どうやら不満が顔に出ていたらしい。オルトは咄嗟に思考を打ち切り、頬杖をついた不満顔のソニアに向かって頭を下げる。

 オルトを前にすると忘れられがちだが、ソニアはプルミエールで、オルトは一介のアストラルの隊員だ。上下関係で言えば、まさに山頂と谷底レベルの差がある。

 本来なら御目通りだけでも幸甚の極みと思わねばならぬところ、その施策に物申すなどあってはならないこと。

 しかし、ソニアは一つ浅いため息を吐くと、ソファから立ち上がって壁際に備え付けられた簡易キッチンに足を向ける。


「なに、いいさ。君の不満も尤もだからね。具体性のない脅威を理由に、今あるものを手放す。それが価値のあるものであれば、なおさら愚行に映るだろう」


 振り返りつつ、ソニアは煎茶でいいかをオルトに聞く。彼はそれに驚きつつも肯定を返した。

 答えをもらったソニアは手際良くティーポッドと二人分のソーサーを用意していく。オルトにはそれが、妙に違和感なく映った。

 そうして、暫し揺れる銀色の髪の後ろ姿に見惚れていたオルトだったが、ソーサーが奏でた高い金属音に我を取り戻す。


「…貴方のことです。ただ穴を空けるだけではなく、その後の対応策も幾つか持っているんでしょう?」


「丸っと塞げるわけじゃないけどね。けど、案はしっかり持っているとも」


 オルトの目の前に差し出される、白煙をたなびかせるソーサー。その表面には、一眼で高価と分かる装飾がいくつも施されていた。

 卓上に置かれたそれを、オルトはそっと持ち上げて口に含む。すると、煎茶とは思えぬ美味さが彼の喉を潤した。

 そんな一部始終を満足げに眺めてから、ソニアも追うように茶を含んだ。


「聞きたいかい?その案」


「…聞いてもいいんですか?」


「本当はダメだけど、君の友人に関わることだからね」


「友人って、まさかカル…レイモンのことですか?!」


 思わず身を乗り出すオルト。対するソニアは静かに首肯してみせた。

 オルトは腰を再びソファに落ち着けつつも、心の中は全く落ち着ける有様ではなかった。

 国家機密だ、流石にそれを聞き出しちゃダメだろう。と思い直す形で断ろうとしたオルトだったが、期せずしてレイモンの名が挙がったことで大きな迷いが生じた。

 それは単純な興味や好奇心からではない。シュヴァリエ一人が弾かれるという多大な損失を埋める役割を担うことになる彼が、一体どのような重責を負うことになるのか、それを知りたかったからだ。

 もし、ここで埒外な責を押し付けるような言葉が飛び出すようであれば、何がなんでも撤回させなければ―――オルトは、そう覚悟を決めた。

 それを知ってか知らずか、ソニアはわずかに相好を崩しつつ、その『案』を語り出した。


「ケヴィン・マクエルンは、君も知っての通り火属性の優秀な魔術師だった。であれば、彼の率いる師団には火属性を得意とする付与魔術使いエンチャンターが配属されるのが道理だろう」


「はい。それは考えるまでもないことですが…違うんですか?」


「無論、違うことはない。しかし、これはあまり知られていないことだが、第5師団には紛うことなき最強の付与魔術使いがいる。そして、彼女の最も得意とする付与魔術は雷属性なんだ」


「雷…!じゃあ火属性は」


「二番目に得意、とのことだよ」


 付与魔術は、練度が効果の高さに直結する。覚えさえすれば全属性の付与魔術を扱うことも可能だが、それでは間違いなく全てが低級止まりとなるだろう。

 高位の域にまで高めるには、どれほど簡単な付与魔術でも、それだけで数年単位の時間が必要となる。なので、ほとんどの付与魔術師は一個の属性に絞って技を磨くのが通例である。


 その前提を崩したのが、第5師団所属の付与魔術師。

 彼女は齢20にして全属性の基礎的な付与魔術を『高位』にまで磨き上げた。そして、なんとなく性に合ってるという理由で雷属性の魔術を集中的に高めた結果、既存の尺度で測れない域にまで到達した稀代の天才。

 そして、長らく雷属性を扱うシュヴァリエの不在により、真価を発揮できなかった不遇の魔術師でもある。


 新たに7等星の席についたレイモン・デカルトは雷属性の魔術師。しかも高出力の近接戦闘型ときた。

 上手く噛み合えば、恐ろしい相乗効果をもたらすだろう。


「では、彼女を第7師団に?」


「それは流石に彼女に悪いからね。一度レイモン君との相性を確かめて、結果次第で彼を5等星へ昇格させる計画だよ」


「は―――」


 思わずオルトの口から音程の外れた笑い声が漏れる。

 就任から一月もしないうちに一つ飛びの昇格。功績を認められてのものではないが、運も実力のうち、ということだ。

 まだ決定しているわけではないが、オルトの中では決まっているも同然だった。

 レイモンの扱う雷魔術は、間違いなく付与魔術とのシナジーが高い。訓練生時代からの付き合いであるオルトには、それがわかっていた。


 暫定的な対応ではあろうが、これで落ち着くのならオルトにとっては願ってもないことだ。

 己は友人の出世を祝えるし、友人は目指す高みへ大きな一歩を踏み出せる。

 だというのに、なぜか彼の胸にちくりと刺す痛みがあった。


「そういうことなら、ぜひお願いします。アイツを存分に使ってやってください」


「ふふ。時折、君たちの気安さが羨ましく映るよ。…無論、言われずともシュヴァリエとして任を負っている以上、役目は果たしてもらうとも」


 それを押し込め、オルトは祝位とともにレイモンの昇進を後押しする。

 これで再び、7等星の座が空くことになるのだろう。

 果たして、次にソニア・ブレスの眼鏡に適う者は、一体どのような人間なのだろうか。

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