第11話 契約者は獣と戯れる。

 鬱蒼と茂った森の中。


 この一帯は、日の届かない密度で天を覆い隠す樹林帯が広範囲に渡って続く。人々から忘れ去られて久しい緑の楽園だ。

 もっとも近い人里である西方の軍事国家ロマネスからですら数百km離れており、他都市と線を結んでも経路上に乗らず、輸送ルートとして付近を通ることもない。そうなるべくしてなった土地と言える。

 故に、ここでは原生生物が息づき、小川のせせらぎが聞こえる穏やかな森の空気が形成されていた。


 そんな場所に突如轟音が響き渡り、吹き荒れた破壊の乱流が木々を根ごと宙へ打ち上げた。


 千々に散ったそれらは、直後に駆け抜けていった鋭利な斬撃で10等分ほど輪切りにされ、挙句地上で展開した凄まじい熱量が大気を焼き、炭すら残らず消えてしまった。

 再びの爆轟が一体を震わせ、土壌が大きく抉れる。土埃が四方へ撒かれ、鳥獣たちは悲鳴を上げながら一歩でも多く死地から離れようと駆ける。


 多くの生命が修羅場と定めるだろう戦場に立つのは、一人の男と三匹の狼型の魔だ。


 否、だった、というべきだろう。

 三匹のうち二匹は、既に絶命しているからだ。

 一匹は胴を分断されて血溜まりに沈んでおり、もう一匹は頭だけの状態でだらしなく舌を垂らし、男の手に握られている。

 ただし、男の方も体のあちこちに決して軽くない傷を負っており、戦闘の激しさを物語っている。


 男は魔の頭を放り、最後の一匹と対峙する。

 狼型の魔は二足で立ち、長い鬣を微風で揺らす。その目は怒りで赤く染まり切っており、3mに届かんばかりの巨体も相まって、発せられる殺意は如何な精強な戦士であろうと萎縮してしまうことだろう。

 それを正面から受けているはずの男は、表情をピクリとも変えず、頬に付着していた返り血を乱暴に拭った。


 そして、両者は同時に地を蹴る。


 横薙ぎに振るう魔の鋭い爪の一撃を膝を折って躱した男―――オルト・ハイゼンは、両手のひらに『光劔ブレイド』を生み出し、靴底を滑らせながら決死の形相で斬りかかった。


「おおおおおおおおッ!」


『グアアアアッ!』


 人と獣の咆哮が交錯し、遅れて光の剣と銀の刃が衝突する。

 凄まじい膂力で押し込もうとする二足歩行の狼型の獣―――リュカオンの爪を刀身を傾かせることで流したオルトは、勢いそのまま斬り返した。

 風を裂く音を伴って放たれた閃光は、空いた片腕の爪で阻まれる。

 オルトは再び力勝負に持ち込まれる前に早々流して刃を引き、続けて同じ要領でもう五度ほど打ち合う。

 激しく火花が散り、金属の擦れる快音が連続して響いた。


『ガルルッ!』


 六度目にオルトが袈裟懸けに振った刃を見切り、片手で掴み取ったリュカオンは、低い唸り声とともにオルトの頭上へ巨大な氷の刃を展開した。

 それが五つまとめて落下し、壮絶な重量で地面ごと押しつぶす。

 が、恐るべき反応速度と機動力で『光劔』から手を離し、踏み込んだオルトは、カウンターの膝蹴りでリュカオンの鼻面を打ちつつ、氷塊を躱す。


『グッ、ガウアアアァ!』


「おっと!」


 怒り交じりに冷気を纏わせたリュカオンの爪の一閃が、下方よりオルトに迫る。

 それを目視したオルトは、拘束から解放された『光劔』をすぐさま掴みつつ、空中で身を捻り、持ち換えて背に回した刀身で受け、頭上へ流し切った。

 その衝撃を殺さない形で弧を描くように全身を運動させ、横薙ぎに振るう。


『!』


 リュカオンの胸部が裂かれ、血液が吹き出した。

 迸る激痛を覚えながらも、叫喚したい衝動を噛み殺したリュカオンは、その場でバック転を繰り出し、手足の爪で至近距離にいたオルトの腕と肩を裂く。


(ち、浅いか)


 追撃するかしないかで迷っていたため、回避が遅れたことを悔やみつつ、足裏を滑らせて距離を取るオルト。

 …この攻防を接近戦慣れしていない魔術師が見れば、爆風や火花ばかりで両者の動きなどまるで捉えられないだろう。

 仮にリュカオン相手に魔術戦をしかけるのなら、高位の防御魔術で攻撃の悉くを弾き、いなしながら隙を伺うしかない。

 このような戦い方ができるオルトは、例外中の例外だ。


「『光劔』」


 短く詠唱し、空いた左手にも光の剣を手繰るオルト。

 リュカオンの膂力や水の派生である氷魔術は、いずれも女神の祝福である身体強化のみでは受けきれない。防御の術は『光盾シールド』を置いて他にはないのだ。

 そんな状況で、両手を攻撃系の武具で埋めたということは。


『ゴルルルル…!』


 ―――防御を捨て、次で決めに来る。

 それが獣の直感で理解できたリュカオンは、望むところだと言外に語るように前傾姿勢をとり、冷気を全身へ纏わせた。

 あまりの低温が大気中の水分を凍てつかせ、リュカオンの周囲で小規模なダイヤモンドダストが発生する。

 オルトは直立姿勢のまま、両の手の剣を十字に交差させる。

 直後、地面を蹴ったオルトの姿が掻き消える。縮地だ。


『グルァッ!』


 獣由来の動体視力を全開で発揮し、こちらへ向けて一直線に駆けるオルトの姿を目視したリュカオンは、左右から挟み込むように両腕を振るう。

 爪が通過した空間は水のマナが走り、その直後に氷の魔術によって上書きされたため、氷塊の波濤となってリュカオンの前方、オルトの立っていた場所をまるごと凍てつかせた。


「遅いな」


 ―――地面に走るのは、両足が残した轍。

 オルトは爪と氷風が己を捉える寸前に身を低くし、敵の股下を抜けつつの一閃を放っていた。

 輝く刃は届き、外皮を切り裂く確かな手応えを得るオルト。剣閃は腹部をX字に裂いただろう。


「ッ!」


 余韻に浸る間もなく、オルトは直後に右方から高速で迫る鞭のような腕を横目で捉え、思考するより早く腰を前方へ曲げるが、僅かに遅れた左腕が二の腕の途中から持っていかれる。

 駆け上がってきた激痛をものともせず、振り返りざまに蹴りを一撃。つま先が肉を裂いて埋まる。

 それとほぼ同時に爪先へ集まっていた光が閃いた。

 直後にリュカオンの体表から肉を抉る不快な音が重なって響き、無数の黄金色の刃が血飛沫を上げながら顔を出した。

 殺った、オルトは確信とともに振り下ろした手に『光槍ジャベリン』を展開する。と、その矢先に鍛え上げた直感がレッドアラートをけたたましく鳴らした。


「がふっ?!」


 その勘が正しく機能していることは、背から腹を貫く三本の氷の槍が彼を串刺したことで理解していただけるだろう。

 流石は上位種。手負いだというのに、派生属性の魔術をノーモーションで発動してみせた。


「ッ、―――――ッ!!」


 人間の体が、脳がもたらす痛覚の限界値に達していると断言できるほどの奔流がオルトを一転して地獄に叩き落とす。

 痛い、死ぬの単語で埋め尽くされた思考野は、他の選択肢を生じさせない。常人であれば為す術なく死にゆく運命であろう。


「…舐め、んなぁッ!」


 激甚な痛みによる放心は一瞬。

 正気を取り戻したオルトは、血に塗れた顔を怒りに染め上げながら、未だ輝きを失わない『光槍』のマナを宿す腕を振り上げる。


 その腕は、鈍い音を響かせた後、血の尾を引きながら遙か後方へ飛んでいった。


 オルトの目が捉えたのは、光の剣に貫かれて臓腑を地にまき散らしながらも、風をも裂く速度で振られた、リュカオンの剛腕であった。

 左腕の『再生』には、まだ時間を要する。オルトの反撃の手は尽きた。


『――――』


 だが、そんなオルトを目の前にリュカオンは追撃の手を繰り出さない。声すら上げず、ただ立ち尽くしていた。

 それもその筈だ。リュカオンの首から上は、ごっそりと消失しているのだから。


 リュカオンの命を奪ったのは、不発に終わったはずの『光槍』だ。

 オルトの光魔術は光鏃に限らず、その全てが展開場所の制限がない。

 つまり、手のひらだけでなく直接中空へ召喚することができ、その場合でも発動、飛翔、停止、軌道変更は意のままなのだ。

 流れや性質などが変わってくる生物の体内にあるマナですら、開いた傷口などがある程度分かる部位に手を触れれば、瞬く間にオルトの支配下におかれ、光魔術の発動起点となってしまう。

 先刻は分かりやすく己の手中に魔術の展開をする予備動作をいれることで、リュカオンの意識をそちらに向けさせ、同時に背後へ展開した奇襲の一手を読ませなかった。

 結果、勝利を確信した大振りの一撃を引き出すことができ、それが絶好のカウンターの機会となったわけである。


「ふっ、…はは」


 オルトは自嘲気味な笑みをこぼした後、弾道確保のために傾けていた首を戻しつつ、リュカオンの死骸とともに力尽きるように倒れ伏した。

 風通しの良くなった腹部とさきほど失われた右腕からは多量に出血し、前後不覚になるほどの痛みが体中で暴れ回っている。すぐにでも激しいショック症状に見舞われて絶命するだろう。

 ところが、倒れ伏してからすぐに腹に空いた傷が塞がり始める。まるで魔法にでもかけられたように、光の粒子が集まって傷を修復していっているのだ。

 開けられた三つの穴は1分もしないうちに再生し、押し上げられた血液を一度吐き出すと、それで完全にふさがってしまった。

 失われた左腕の方も同様に光が集まって行き、すでに半分以上が元通りになりつつある。


「はぁ…これを、あと何回繰り返せばいいんだよ。クソッ」


 力は確かに手に入れた。それは万人を凌ぐほどの強大なものだ。

 しかし、これを使って手に入れた勝利は、いずれも己の周りにいる大切な人々を守るという、真の目的とは何ら関係のないものである気がしてならなかった。


 この戦いに何の意味があるのか。

 この勝利に何の価値があるのか。


 街や国一つを壊滅させられる怪物に単身立ち向かい、人の身に余る痛苦を受けながら、これを打ち砕く。

 確かに、それらはいずれ多くの人々の脅威になり得るのかもしれない。その中にオルトやエミリ、オストラントの民草も含まれることだって考えられるだろう。


 それでもオルトは、そんな大それたことをしたいがために力を求めたのではなかった。

 英雄になりたかった訳ではない。強い敵と殺し合うことを望んでいた訳ではない。ただ、身近にいる人たちや、己のいる居場所だけを守れれば、それでよかったのだ。


 ―――だが。あるいはその役割ですら、オルト・ハイゼンに負うことは許されていないのだろうか。


「じゃあ、なんだ。これは高望みした俺への、罰なのか?」


 罰とは罪人が負うもの。

 では、魔術を扱えるようになりたいという望みは罪か。オストラントという国、ひいてはそこに住む者たちを守りたいという望みは罪か。

 それを否というのであれば、やはり。

 オルト自身の願いとは関係なく、そもそもとの取引に応じたこと自体、間違いだったのか。


「この力は…本当に俺にとって有益なのか?」


 仰向けのまま首だけを動かし、右手を見やるオルト。その手のひらに集まった眩い光の粒子は、あらゆる脅威を打倒する絶大な威力を秘めている。

 その視線を左右と彷徨わせると、荒れ果てた無人の土壌が映る。三体のリュカオンの亡骸は、どこにもなかった。


 未だ、謎は多くある。それらを放置したままではならないことは、彼の直感が告げていた。


 オルトに力を授けた名のない女神が、悪ではないと断言できる確たる証拠はない。

 魔を討伐することで、世界の秩序を保とうとするのはいい。だが、なぜ時間稼ぎが必要なのか。なぜ真の救世主はすぐに動けないのか。なぜ、この役はオルト・ハイゼンにしか務まらないのか。

 もしも、オルトが縋り、救いの手を差し伸べた彼女が、正しき存在でなければ。

 この力も等しく、正しいものではないのかもしれない。


「…」


 傷は完治した。痛みも潮のように引いている。

 それでも、オルトは胸に大きな穴が開いたかのように、四肢へ力を入れられずにいた。


 オルトには、己の行き着く先が分からない。もしかしたら、文字通り死ぬまで現れるか定かでない真の救世主のために災害級の魔と殺し合わなければならないのかもしれない。

 それでも、彼は止まれない。地獄のような苦しみを味わうと理解しつつも、逃れることは許されない。

 なぜなら―――


 不定期に指示される魔との戦闘命令に従わなければ、オルト・ハイゼンの命の保証はないのだから。

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