幕間

「~♪」


 荷馬車をガタゴトを揺らしながら、手綱を握る男は上機嫌に鼻歌を漏らす。

 それもそのはず。商売人にとっては一攫千金も夢ではない、オストラントへの出店がついに許されたのだから。

 今までは小さい露店を短い時間だけしか出せず、またその度に商品の搬入・搬出と経費が嵩むばかりだったが、今日からはそんな憂鬱な日々ともおさらばだ。


 ただ、今の彼に不満があるとすれば、数日前にあった凱旋式にギリギリ間に合わなかったことか。

 シュヴァリエNo2や、プルミエールが参加したこともあり、当日露店を出した商人たちはぼろ儲けだったのだ。

 それを友人からの伝手で聞いたときは確かに悔しく思った男だが、日当契約と正規契約では安定した継続収入の面では圧倒的な差がある。


「日当の契約者は最大でも三日間だけの出店で、しかもどれだけ運が良かろうが次に出せるのは半年後ときたもんだ。とんでもねぇ話だが、一回、いや一時間でも店構えりゃ、あの国で自分の店を持つのがどれほど魅力的かわかる」


 オストラントの国民は、その大半が裕福だ。そのくせ出し惜しみする者はごくわずかで、市場への金銭の流入も大きく、どこよりも景気がいい。

 よほど妙なものや、流行遅れのものを売り出さない限りは、食品であれ雑貨品であれ飛ぶように売れる。多少言い値が含まれていても『構わない』と深く考えもせず買ってしまう者すらいるくらいだ。

 出せば売れる。これほど商売にとって魅力的な言葉はないだろう。

 三度ほどオストラントでの日当契約で出店をしたこの男も、すっかりその魅力に取り憑かれ、今日まであらゆる手を尽くし、ここまで漕ぎ着けたのだ。


「それなりに汚い手は使ったが、金のためだ。そして生活のためだ!賢く生きるってことは、つまりどれだけ上手く人をだし抜けるか、だからな!」


 今日明日の生活を憂いながら、日銭を稼ぐ毎日はもう懲り懲りだった。

 若い頃は魔術を練度を高め、魔を倒すことで生計を立てることを考えもしたが、上級種に死ぬ寸前まで嬲られたことで諦めた。

 は、個人の人間がどうこうできる脅威ではないと。

 それを機に、商売人への転向を決めた。旅商人や荷馬車の護衛を務めていたこともあり、西や北、東の立地にも詳しく、ローコストで抑えられる輸送ルートも独自に考えることができた。


「俺には、こっちの方が性にあってる。魔術でドンパチやって稼ぐより、よほど安全で現実的だ」


 いつ死ぬか分からない仕事で大金を稼ぐより、死とは縁遠い仕事を選び、それなりの金を稼ぎ、それなりの生活をしていく方が大多数の人間にとって幸福だろうと、男は思う。

 一歩間違えば、あの時のような耐え難い苦しみと痛みを味わう事になる。それは男にとって幾ら金を積まれようとも、二度と体験したくない地獄だった。

 魔とは恐ろしいもの。魔とは人を容易に殺せるもの。

 全ての魔がそう、というわけではないが、これを為せる怪物は確かに存在する。


「西も東も北もすげぇよなぁ。あんな化け物を相手にできるんだからさ」


 軍事国家である三つの都市。西の大国・ロマネス、北の大国・ヴァイエルン、東の大国・オストラントは、魔の溢れるこの世界で有数の安全地帯だ。

 とはいえ、真っ向からぶつかって守っているのはオストラントくらいで、ヴァイエルンは厳しい天候から滅多に魔は寄り付かず、ロマネスに至っては国防の手段が謎に包まれている。

 ロマネスは確かに軍事国家であり、旅商人など外部からやってきた人間たちも『バルチック』という軍に相当する組織を確認している。

 問題は、その来訪者たちや、ロマネスに住む市民たちでさえ、軍の人間が魔と戦っている現場をほとんど見たことがないというのだ。


 こうなるに至った要因の一つが、過去にあった徹底的な討滅作戦であるとしている。

 この作戦により、ロマネスの近郊に生息していた魔は一度絶滅した。以降もを用いることにより、ここ数十年に渡り魔の出現は見られていない…というのが、表向きに公表されている事実だ。


「嘘くさいが、行ってもマジで安全だったしなぁ」


 実際、ロマネスで魔に遭遇したという報告は全くされていない。バルチックの護衛があろうとなろうと、だ。

 ひっかかるとことがあるとはいえ、オストラントほど魔術が発展していない国柄であるため、市井の魔術への関心が薄く、守ってくれているならそれで良いだろう、で片付けられてしまう。

 ロマネス側もあえて詳細な体制を明かす必要もないというように、長く国外の情報屋の問い合わせを拒み続けている。

 結果だけを見れば最も安全なのはロマネスかもしれないが、得体の知れない点が多いためか、他国の疑問視する声は後を絶たない。


「でも結局、どこの国でも同じだ。できる連中に任せればいい。生きてりゃ自然と適材適所って感じに収まるようになってんだ」


 こんな性格だ。男はロマネス市民と同じように、それでもいいと宣うのだろう。

 己さえ今日明日を豊かに生きることができれば、何を知らされようと知らされまいとどうでもいい。極論、ここではないどこかで何人死に絶えようが関心はないのだ。

 対外的な意見としては非難を受けること必至だろうが、大半の人間の本質などそんなもの。怒りや憎しみは禍を受けた当事者が抱く感情だ。


「おっと!さすがに一度の遭遇もなしに到着、とはいかねぇか!」


 路肩の丈の長い草原地帯から進行方向へ飛び出してきた影。それを認めた男は、すぐさま手綱を振り上げて馬の歩行を停止させる。

 現れたのは、体長1m程の三匹のワーウルフ。低位の魔だが、二匹以上の集団で出くわすと危険度が跳ね上がる厄介な手合いだ。

 普通の商人なら、ここで悲鳴を上げつつ荷馬車の奥に引っ込み、あらかじめ雇っていた傭兵へ後はヨロシクするのだが、男の馬車にはそれらしい人影などない。

 それは、つまり―――


「かかってきな。雑魚ども」


 この男一人で、荷物の運搬から護衛を担っているということだ。


『ガアァッ!』


 鋭い牙を蓄えた狼が、四肢を使って素早く肉薄する。一匹は馬へ、もう一匹は男を狙いを絞っている。

 どちらか一方しか撃退できない場合、まず間違いなく己を優先するだろう。しかし、それをしてしまえば足を失う大惨事だ。

 道なかばで立ち往生となった場合、ところによっては救援が到着するまで数日を要す。その間は自力で命を繋がなければならない。

 迫られた選択を前に、男は右手を前方へ突き出しながら詠唱を開始した。


「其は悠久なる地の恵み、『岩層』!」


 馬車の前面へ展開した小規模な土属性の結界が、ワーウルフを二匹まとめて弾き返す。

 集団でかかった場合のコンビネーションが厄介というだけで、個としての力自体は低いため、突き立てられた牙は岩層に傷一つ付けられない。

 その結果に満足しつつ、男は重ねて詠唱を続ける。


「時を経て万物は変生する、『土礫』!」


 男が結界を発動する際に広げていた手のひらを閉じた瞬間、結界の表面へ蜘蛛の巣状に罅が入り、砕けた。

 それらは風に吹かれ、青空に溶けて消える。…とはならず、黄金色の破片は礫のように前方へ射出され、鋭利な刃の嵐となって、先ほど弾かれたワーウルフ二匹を切り裂いた。

 至近距離の炸裂により、致命傷を受けた二匹は絶命したのだろう。転がったまま起き上がる気配はなかった。

 文句なしの完勝。低位の魔とはいえ、多対一での対応は軍の人間でも苦慮する。ここまでスマートに片付けられるものはそういないだろう。


 戦いを終えたはずの男は、勝利の余韻に浸ることなく握った手を開くと、そのまま不自然なほど強く後方へ引いた。


「須臾の間宿れ、王の指先!『流転』!」


 『流転』の魔術は、補助系魔術の中でもかなり難度が高い。かくいう男も、これの習得に三年の月日を要した。

 ただし、その効果は難度に見あったものだ。何せ使という能力なのだから。

 それも、『土礫』のような派生魔術すらワンアクションで発動できる。


『ッ?!』


 男の腕の動きに合わせるようにして、マナとして解けつつあった黄金色の雨が再形成され、前方から戻ってくる。それは、今まさに右脇から奇襲せんと飛びかかったワーウルフへ迫った。

 降り注いだ『土礫』が、男のすぐ右横を通過する。これを真面に浴びた三匹目のワーウルフは、血飛沫を上げながら後方へ吹き飛び、赤い絨毯を引きながら転がった。

 男は三体目の死体を一瞥しつつ、短い息を吐いて脱力する。


「やっぱり、何度やっても実戦は冷や汗かくぜ…」


 先の奇襲に対応できる者は少ない。低位の魔だから、という先入観も相まって油断する者が多いからだ。

 これが軍の演習だったら拍手と最高評価をもらえるレベルだろう。

 ではなぜ、軍に属してもいない男がこれを為し得たのか?それは、偏に手を抜かなかったからだと言える。


「命かかってるんだから全力に決まってる。ま、訓練された軍の人間なら軽く捻れるんだろうけどさ、っと」


 男は荷馬車から降りつつ、皮肉げな口調で宣う。低位の魔に全力で当たるのは己くらいのものだろうと。

 さて、の一言で気持ちを切り替えた男は、何の脈絡なく手袋を両手に嵌めたかと思うと、ワーウルフの死体を全て草むらの中へせっせと移動させる。三体目は損傷が激しかったので、大体の部位を拾い上げて草原の広がる方角へ放った。


 死体処理これをやらないと、同じルートを通る荷馬車が死骸を踏んでスリップしてしまう可能性がある。

 もしこれが原因で物損事故を起こし、後片付けをしなかった傭兵、させなかった商人が特定されれば最後、被害者側へ賠償金を支払うハメになるのだ。


「ん…?」


 片付けが一区切りついたところで、頭上から聞きなれない異音が響いてきたような気がした男は、首を倒して抜けるような晴天を眺める。

 遮るもののない陽光に目を細めながら、音の正体を探して視線を彷徨わせるが、一向にそれらしい物体は見当たらなかった。


「気のせいか?虫にしちゃあ、こう軽くない音というか、ずっと遠くから響いてきてるような感覚というか…ううむ、分からん」


 これ以上太陽に目を灼かれると未来永劫ホワイトアウトしてしまいそうだったため、いまいち納得いかないながらも探索を切り上げる。

 そして、汚れた手袋を麻袋の中へ放り込み、額に浮かんだ汗を拭う。傭兵を雇っていれば、こういった作業も報酬に含まれるため、一から十までお任せできるのだが、雇用していない男は全てを一人で為さねばならない。


 なぜ雇わないのか?その問いへの答えは単純だ。お金がかかるから。男にとってはそれだけであり、それだけで十分な理由になる。

 無論、男に魔との戦闘の心得がなければ、大人しく傭兵を雇っていた。

 つまるところ、男は自分でできることを面倒くさがって、金で解決しようとする考えが嫌いなだけだ。


 商品に臭いがうつらないようにしっかりと包んで封をし、念の為借り物の馬に傷がないか確認した後、男は荷馬車へ乗り込む。

 腰を下ろすと、手綱を握る前に脇に置いてあった鞄を漁り、地図を取り出す。

 発った中継地から、現在までの移動距離が如何程のものか思案する。ここまで休みなく、妨害もなく走らせられたので、恐らくは―――


「ん…このあたりか。これならあと四時間くらいでオストラントにつけそうかな」


 男は印をつけた地図を鞄へ戻し、今度こそ手綱を握る。続けて腕を上下に振り、何度目かの号令をかけられた馬が素直に前進を始める。

 あともう少しで、世界一安全な地と言われるオストラントへ到着する。

 そこは、波いる軍の実力者を押し除けて上り詰めた7人のシュヴァリエと、その頂点たるプルミエールが統治する、正真正銘の軍事国家だ。


「『シュヴァリエ騎士』ねぇ。魔術師の中でも飛び抜けた連中で、曰く上位種にも一対一で対抗できるらしいが…」


 果たして、己がかつて出会ったあの魔に、彼らは勝てるのだろうか。

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