第9話 契約者は仕事をする。

「さて、と。お仕事始めますか」


 オルトは右腕に警戒中の腕章をつけ、規制線の張られた街道に出た。ここをレイモンたちは周囲からの喝采を浴びながら歩むことになる。

 彼の主な役目は、そんな式典の最中に興奮のあまり規制線を越えようとする見物人を制止したり、要人を狙った不届き者のよからぬ企てを未然に防ぐことだ。

 相手によっては、後者は些かオルトにとって荷が重い役割ではあるが。


 腕章をつけた軍関係者であれば、規制線を越えることは許される。

 だからといって主役ではない人間が街道の中央を歩くわけにもいかないため、オルトは路肩沿いに歩を進めながら、あらかじめ指定された配置場所へ向けて移動を開始する。


「ん?」


 その道すがら、オルトは瞳に映る景色にわずかな違和を感じ、ピンポイントにフォーカスし詳細な発生源を探る。

 すぐに違和感の正体は捉えた。そこでは、笑顔の溢れる喧騒からは明らかに浮く、黒いフードを目深に被った奇怪な二人が言葉を交わしていた。


(何だ?あいつら…あっ)


 オルトは訝しみつつ、動向を窺おうと足を止めるが、すぐに人混みに紛れて見えなくなってしまった。

 一瞬は追うことを考えたものの、結局ここを持ち場として受け持つ軍の隊員へ情報を渡すことにし、オルトは移動を再開する。


 オルトの持ち場は、凱旋ルートのフィニッシュに近い。

 襲撃者側としては、ここまでくれば何もないだろう、という意識の緩みを突けることから、警護側のこちらとしては最も最高戦力を配置するべき場所、なのだが…


「ここに俺を置くとは、プルミエール様の考えることはよくわからんな」


 さて、気になることはあったものの、いざ現地に着いてしまえば手持ちぶさたなオルト。

 周りは人だらけだが、気さくに言葉を交わせるかといえばそうでもない。道中に仕事を通してできた顔見知りと二、三やり取りはしたものの、仕事柄彼のことを知っている者は少数だ。

 さらに言ってしまえば、彼は初対面の人物とも気軽に言葉を交わせる社交性の持ち主ではない。


「…しかし、紫電か。随分大層な義名を授かったもんだ」


 ふとオルトの頭に湧いてきたのは、旧来の友人であるレイモン・デカルトのことだった。

 士官学校時代から平均以上の魔術の才能を見せてきた彼だったが、なかなか活躍の場に恵まれず、今日まで燻ってきた。

 件の事実に対する愚痴は、これまでのオルトとの酒の席で散々話題にされている。その度にオルトは強い酒と旨いつまみを勧めながら慰めたものだが、それもようやくお役御免となるのだろう。


 シュヴァリエの地位はアストレアでのほぼ終着点。その上がプルミエールなのだが、これは努力して成り上がれるような場所にはない。

 とはいえ、シュヴァリエにもランクはある。それは星で現され、最高ランクは『1等星』、最低ランクは『7等星』となる。

 レイモンは7等星なのだが、成ったばかりのシュヴァリエであれば大概が一番下からの参入だ。別段珍しいことではない。

 過去を見れば5等星からシュヴァリエの位へ上がった怪物も存在したが、これは例外と言える。

 ちなみに、『巌姫』アリアは2等星であり、軍でも最強の一角に位置する。


「あの怪物だらけのメンツの中で、どこまで喰らいつけるかね」


 そうして思いを巡らせているオルトをよそに、凱旋式が始まった。

 開始地点から火の魔術と風の魔術と使った小規模な打ち上げ花火が上がり、次いで一際大きな歓声がオルトの耳まで響いてきた。


「すげぇ盛り上がりだな。まぁ、無理もないだろうけどさ」


 そう。観客が熱狂するのも無理はないのだ。

 何せ、この式典に参加しているプルミエールのソニアと巌姫アリアは、見目麗しい姿であるにもかかわらず、滅多に人前に姿を晒さないことで有名なのだから。


 そんなレアキャラ二人が今回の凱旋式に参加することとなったのは、次のような理由がある。


 まずソニアだが、ソニアはプルミエールとなってから今年でちょうど10年の節目であること、そして自身がプルミエールとなってから、初めて選任したシュヴァリエの晴れ舞台であることが、本式典に参加した主な理由だ。

 次にアリアだが、彼女は作戦でレイモンに次ぐ武功を挙げており、アストラルの総務担当から参加を依頼されていたのだが、これを迷うことなく一蹴。

 これをよく思わなかったソニアが、半ば無理矢理連れ出している、ということだ。こちらは非常に明快な理由といえる。


 しかし、観客が盛り上がる理由はそれだけではない。

 巌姫アリアが大衆に姿を見せないのは、ただ単に注目を浴びることが好ましくないからであろうが、ソニアは違う。


「プルミエール様は姿を晒すと、強烈なカリスマで骨抜きになっちまうから反則なんだよな」


 オルトは仕事の関係上、ソニアとは何度か会っているため分かるが、対面するとのだ。

 それは言うなれば、圧倒的なカリスマ。

 神の造形としか表現しようのない、性の別すら些事と思える美貌。洗練された所作。それらが混然一体となり、ソニア・ブレスは紛れもない王の風格を纏っている。

 凡人が正面から受ければ、暴力的なほど反抗意欲は抑圧され、賛美と肯定にとって代わる。


 ソニアはこれを疎んじ、同じ地平に立って意見を交わす場などでは必ず姿を隠しているのだ。

 シュヴァリエはともかく、ヒラの隊員が参画する場で姿を晒せば最後、会議の体を為さなくなる。


「しかし、あの人の性別ってなんなんだろうなぁ…本当にどっちにも見えるんだよな」


 ソニア・ブレスは性別不詳だ。

 見た目は黒い長髪、切れ長の碧眼と細身の長身な体躯。そんな風貌だけ聞くと、まず女性であるかのように思えてしまうのだが、いざ対面してみると絶妙な中性的顔立ち、そして言葉遣いなどの雰囲気から、男性の線も意識せざるを得ないのである。

 そうして今の今まで、オストラントの市民であれば誰もが知る筈のソニアは、決定的証拠を出ぬまま今日まで性別不詳となっている。


「おっと、見えて来たな」


 先頭は勿論、ソニア・ブレス。長い黒髪を翻しながら、広場を出て街道へ姿を現した。

 やはりというか、ソニアが笑顔で大衆へ向けて手を振るたびに、恐怖すら覚えるほどの大歓声が周囲から上がる。それは後続の一人に対するものでもあるのだろう。


 そう。ソニアのあとを追う、巌姫アリアだ。

 肩にかかる長さの金色の髪を風に揺らしながら、黒い隊服に身を包んだ彼女は、ソニアとは対照的に愛想を振りまくことなく、赤銅色の瞳で真っ直ぐ前方を見据えて歩を進めていた。

 一方のレイモンは、アリアのほぼ隣に位置する形で凱旋式に参加していた。プルミエールと巌姫に喰われているかと思いきや、意外なことに彼へ向けてかけられる声援はかなり多い。


「あれで結構見てくれはいいからな…」


 よほどのことがなければ、シュヴァリエと言う肩書きを得るだけで絶大な民衆からの信頼と支持を受けることができる。

 長らく7等星が空席だったこともあり、そこに収まったレイモンに対しては期待が大きいのだろう。


「よし、と」


 オルトは気を引き締める。式の開始前に怪しい動きをする者を確認しているからだ。

 面子が面子なので、手を出すこと自体が自殺行為であることは明らかだが、驚くことにクーデターを企む集団は存在する。

 滅多に公の場に姿を表さない分、今日を好機と見て彼らが仕掛けてくる可能性は高い。


 彼らがプルミエールやシュヴァリエのみを狙い撃ちしてくれれば、まだオルトにとっては都合がいい。柔な鍛え方はしていないだろうし、大事には至らないだろうとの考えからだ。

 だが、安易に周囲を巻き込む大規模な魔術などを行使するとあれば、彼としては黙っていられない。


(三人の後ろにはエミがいる。巻き添えになることだけは、許せない)


 喧騒が近づいてくる。

 今回の凱旋式で、プルミエール、巌姫、紫電、その背後につくエミリを含んだ楽隊メンバーは、およそ300mの距離を中央都市ネヴァダの街道に沿って移動する。

 オルトが立つのは、ルートの終盤。正に宴の酣、奇襲を講じるなら絶好のタイミングだ。

 何事もないのが一番だが、ここ最近で連続している修羅場をくぐり抜けた賜物か、突如首筋を刃物の腹でなぞられるような寒気が襲ってきた。


「…」


 やがて、ソニア・ブレスがオルトの目前を通過していく。その最中、国のトップであるはずのプルミエールは、実に自然な挙動で彼の立つ路肩へ目を向けると、一瞬ではあるが明らかに笑みを濃くした。

 澄み切った湖面のような碧眼に射抜かれたオルトは、否応なしに鼓動を早くしてしまい、短く舌打ちを鳴らしながらひとりごちる。

 曰く、自分の立場をもっと弁えてくれ、と。


 それから少し遅れて巌姫アリアがオルトの前を通り過ぎていく。

 会ったことはありつつも遠目で見かけた程度だったため、こうして改めて近場で見た彼は、噂以上の容姿に息を呑んだ。

 まるで砂金の如く輝く髪と、薄雪を張り付けたような肌。ソニアに引けを取らない整った顔立ち。


 ―――そして、この場のどこも見ていない、温度の抜け落ちた瞳。


 一気に熱が引く。この目にオルトは覚えがあったからだ。

 それは家族を失い、家を失い…全てを失った時のオルト自身がしていた、自棄と諦観とが入り混じった瞳だった。

 彼は思わずアリアに声をかける寸前まで行ったが、不意にレイモンの声を聞いて思いとどまる。


「…アイツ」


 その顔は、『彼女』に声をかけても無駄だぞ、とでも言いたそうな表情だった。

 対し、オルトは肩を竦めながら分かってる、という思いを込めた表情を返す。すると、レイモンは満足げな笑顔を覗かせてから、観衆の声援に応える役目に戻ていった。

 長いため息を吐き、蟠った緊張感を取り払ってくれたレイモンに今回ばかりは本気で感謝しつつ、今度はエミリのいる楽団へ目を移そうとしたオルト。


 だが、鋭い風切り音を耳が捉え、即座に意識を切り替える。


「!」


 風切り音の正体はだった。それも、魔術で凝縮された風の矢だ。

 放たれたのは二矢。狙いは巌姫、そしてプルミエールの両者である。


 直後、爆音が響き渡る。


 遠距離からの狙撃ゆえか、プルミエールの張っていた『網』に掛からなかったらしい。二人とも完全に無防備な状態で被弾してしまった。

 岩肌すら削る鋭い一矢は、着弾の瞬間に押し込まれていたマナを開放する。石畳を砕き、激しい暴風を辺りへ振りまいた。

 それに呑まれた二人は、無惨にも八つ裂きに―――――


「へぇ、相当な距離があったはずだけど、当てるものだね」


 ―――無傷。

 風が解け、砂埃のカーテンから歩み出てきた巌姫アリアとソニアは、揃って傷一つ負わず健在であった。

 それが何故かは、余裕の笑みを浮かべ、矢が飛来してきた方向へ首を向けながら感心するソニアの周囲を注意深く観察すれば分かることだろう。

 その身体を万遍なく覆った、黄金色に薄く発光する半透明の盾に。


 巌姫アリア・バドルドスの高位魔術、『岩層結界』。


 この盾が風の矢を完璧に弾き、衝撃の一切を遮断していたのだ。

 無論、術者本人であるアリアにも展開されている。

 アリアはこうした事態も想定し、あらかじめ不可視の防護結界を凱旋式の参加者すべてに付与していたのだ。

 恐るべきことに、それは背後のエミリたち10余名の楽団メンバーも含まれる。オルトには逆立ちしてもできない芸当だ。


「お二人とも大丈夫ですか!?」


「ああ、問題ない。ここは任せて、レイモン君は街道沿いの異常を確認してきてくれ。少しでも違和感を覚えたものがあれば報告するように」


「…分かりました。お気をつけて」


 走り寄ってきたレイモンに対し、顔を向けないままで応答を返すソニア。その目は何かの気配を追跡するように細められている。

 アリアの方も何かを試みているのか、目を瞑ったまま片腕を水平に伸ばしたまま微動だにしない。ちなみに、彼女が腕を伸ばしている方角とソニアが視線を投げている方角は同じだ。

 ソニアの指示を受けたレイモンは、若干の不服さを短い沈黙の内に混ぜながらも、了承を返して凱旋ルートを引き返していった。

 それから間もなくアリアは上げていた腕を下ろすと、表情を変えないまま隣に立つソニアへ向かい頭を下げる。


「申し訳ありません。対象の補足はできましたが、風属性の魔術師が仲間にいるため、追跡は難しいです」


「君の『岩槍』でも難しいかな?」


「二度ほど試みましたが、いずれも振り切られました」


「うむ、承知した。―――皆!見ての通り私たちは怪我一つない!賊も引き払った!ひとまずは安心してほしい!」


 アリアとの会話を終えたソニアは、どよめく観衆に向かい、よく通る声でそう宣言する。

 普通であれば不安からパニックに陥り、聞く耳を持たない者が多数を占めるだろうに、流石のカリスマ性というべきか、徐々に広がった動揺が小さくなっていく。


「これからシュヴァリエも含め、警備についているアストラルの者達が、周囲に不審物や不審者がいないかの確認を執り行う!これが完了し、問題無しと判断次第、式典を続行する!」


 畳みかけるように明確な方針を示したことで、観衆たちの間に安堵の雰囲気が波及していく。中でも、シュヴァリエが共に見廻るという言葉は安心感に拍車をかけた。

 何せ、ここにいるのはオストラントのNo.2だ。束になってかかった魔すら敵わない無双の魔術師であれば、心配など無用だろう。

そして、降って湧いたようなトラブルに見舞われつつも、これでシュヴァリエ二人とプルミエールは完全に警戒態勢へ入った。

 こうなれば同じような奇襲は通じず、かといって油断や隙を突ける状況でもない。ここから敵方が打てる有効策は限られるはずだ。

 オルトを含む軍たちが軽く見廻り、結果何も見つからずに事態は収束へ向かうと、誰しもがそう思っていた。

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