第8話 契約者は式典を楽しむ。
「やっぱりすごい人の数だね…」
「英雄を讃える式典だからな。参加する人も人だしさ」
「まぁ、あの二人じゃ無理もないかな」
中央市街ネヴァダの広場は、大量の見物人や観光客でごった返していた。
集まった人々は老若男女の分け隔てなく。皆一様に瞳を輝かせ、ある人物たちの登場を心待ちにしている。
大衆の目的は、先の大討伐にて武功を挙げた『紫電』レイモン・デカルト、『巌姫』アリア・バドルドスのシュヴァリエ二名、そしてプルミエールである『賢人』ソニア・ブレスだ。
「露店があるな。相変わらずすごい数だ」
「出せば売れるって外からもこぞって集まってきてるらしいからね」
沿道の端には色とりどりの露店が並び、そのいずれにも人が群がっていた。
こういった場で露店を開いている者のほとんどは、オストラント外からやってきた商人たちだ。
景気の良いオストラント内は、よほど珍妙なものを売りに出さない限り、文字通り出せば売れる。全国の商人にとっては夢のような場所であり、誰しもが国内への出店を目標にしているのだ。
「おっと、保安だ。ありゃ見回りかね」
「ほんとだ。今回は許可証を持たないまま店を出す人、どれだけ捕まるかなっと。…あっ!おにぃ、あれおいしそう!」
「何だいきなり。あれか?」
盛況な市場であるからこそ、取り締まりもまた厳しい。
ここへ許可を得て出店している商人たちは、事前の超高倍率の抽選で勝ち残った者たちだけ…なのだが、中にはそんな彼らに紛れ、正式な許可証を持っていない、もしくは偽装したりした商人が店を構えることも少なくない。
規律規則を重んじるプルミエールがこれを野放しにするはずもなく、徹底的な監視体制を敷くことで、不埒者を撲滅している。
催事の際に検挙される違法な出店をした商人、もしくはそれに関わった関係者は毎回100名を悠に超え、この数字からもオストラントがどれほど彼らにとって魅力的な売り手市場であるかが窺える。
「はいよにいちゃん!出来立てであちぃから嬢ちゃんに渡すとき気をつけな!」
「ありがと、おっちゃん。はいお代」
「毎度ありぃ!あぁはいはいっ!そちらさんは3枚ね!もうすぐ焼けますよ!」
オルトが露店に立つ渋い顔付つきの壮年の男性から受け取ったのは、紙に包まれた2枚の大判なお菓子だ。
表面は見事なきつね色となっており、絶妙な市松模様状の焦げ目が走る。そして、何といってもこの食欲を際限なくそそる香ばしい匂いだ。
エミリに促されるまま購入したオルトだったが、手に持った途端にあっという間に魅了され、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。
露店には彼と同様に香しい薫香や聞きつけた評判につられ、群がる客で溢れかえっていた。店主の男性は先ほどから右へ左へてんてこ舞いだ。
他の露店を見ても、ほぼほぼ同じ光景だ。まさに入れ食いである。
そんな景色を横目で見ながら、オルトは両手に持つうちの片方の菓子をエミリに手渡す。
「ほれ、エミ。熱いから気をつけろよ」
「ありがと、おにぃ。…あむ、んん!美味しいっ!歯応えとしょっぱさが最高!」
舌と鼻孔を駆け抜けた未体験の味わいと香りに、エミリは髪を逆立てんばかりな反応をする。
嗜好品は大体甘味系ばかりを選んでいた彼女にとって、この絶妙な塩気は一種のカルチャーショックに等しかった。
「エミは好評、と。どれ、むぐ…おお、これは何というか…あれ、どこかで食ったことがあるような味だな」
「ええ?嘘だぁ。だってこれヴァイエルンのご当地料理だよ?オストラント初上陸とか書いてあるし、一回も行ったことないのに食べたことあるわけないじゃん」
「だよなぁ。まぁ美味いけどさ」
エミリとオルトが露店で購入し口にした大判の菓子の製法は、米に似た穀物を練って焼き、これまた醤油に似た調味料で味付けしたもの。
つまり、せんべいにとても近いものだ。
それにどこか強く思うところがあったのか、オルトは筆舌に尽くし難い感覚に襲われていた。
しかし、美味しいことには変わりない。かなりの大きさにもかかわらず、二人はあっという間に食べ尽くした。
「美味しかったぁ…外国料理恐るべし。ん?おにぃおにぃ!見て、あれなんだろ!」
「はいはい、今度はどうした?」
再び興味を惹くものを見つけたらしいエミリ。お財布役であるオルトの手をぐいぐいと引きつつ、一つの露店の前まで移動した。
仕事前にあまり腹を膨らませたくないんだが、と食べ物関連であることを予期し腹をさするオルト。
だが、エミリとともに人混みをかき分けつつ店頭を覗き込んだ彼が見たのは、その予想を覆すものだった。
「これは…何だ?人形?」
オルトの目に飛び込んできたのは、店の前に設置された円形の台に乗り、2体の奇妙な人型が取っ組み合っている光景だった。
人型は武者鎧のようなものを着込み、赤と青で色分けされていた。
観衆の声援やら喧騒を聞くに、どちらの色の人型が勝つか賭けているのだろう。オルトはそう察した。
しかし、と、そんな騒ぎを他所にオルトは興味深げな表情で顎へ手を当てる。
「すごいな、これ。自律して動いてるとはとても思えない機敏さだぞ」
店主は台から少し離れたところで声を張り上げて実況している。
あれでは手動で動かせるはずもなし、仮にこれが何らかの魔術であれば、こんなところで露店など開かず魔術師になって然るべきだろう。
であれば、結論はただ一つ。
あらゆる状況下で『こう動くべし』とあらかじめプログラムしたマナ石を組み込み、完全自立駆動を実現しているのだ。
そして、オルトにとって何よりの驚きが、動きの滑らかさと俊敏さだ。
赤の人型が放った正拳突きを青の人型は腕を横に振って払い、カウンターの左拳を放つ。
赤は青のカウンターの動きに合わせるようにして、体を後方へ引きつつ上半身を捻って躱す。その最中に足払いをし、青を地面に組み伏せた。
倒れた青めがけ、止めの一撃を振り下ろす赤の拳が、直前でピタリと制止する。
―――決着だ。
「すご…何あれ、おもちゃとは思えない」
「ん?これおもちゃなのか?」
「そうらしいよ。ほら」
エミリの指さした先には、一枚の立て札。
そこに書かれていた文字を読んだオルトは、感心したように溜め息を漏らした。
「ロマネス生まれの高性能おもちゃ、『からくり』。その動きはまさに千変万化。大人も子供も魅入ること間違いなし、か…へぇ」
オルトは、試しに店先に並ぶ一体のからくりを手に持ってみる。
さすがはあれだけの動きを成すだけあり、中身もそれなりに詰まっているのか、彼の腕はそこそこの重量を訴えてきた。
とはいえ、寸法は高さ20cm、幅10cmほどで、かなりのコンパクトサイズだ。
「値段は結構な額だが、アレと同じ動きができるんなら、正直悩んじまうな」
「うーん…そうでもないみたいだよ?」
「む?」
「ここよーく見て、ここ」
今度は立て札の右端の方を、屈み込みつつ両手の人差し指を交互に動かして指し示すエミリ。
真剣な顔付きなのに動きは可愛らしく、オルトは和やかな気分になった。
しかし、そんな和みムードは隅に書いてあった文章を目に入れた瞬間、あえなく霧散する。
「※一般販売品は模擬戦を行った個体とは多少の性能差があります。予めご了承ください…だと?」
「おにぃ、わざわざ※の部分も声に出すんだ。…まぁ、そういうことらしいからあんまり期待しない方がいいかもよ?」
「ぐぐぐ」
顔を顰め悩むオルト。ネガティブな文言を続けて両人差し指で示すエミリ。
わざと誰も気がつかないように小さくしているということは、知られては不都合がある事実なのは明白だ。
厄介なのが、あくまで見難いだけで、記載していないわけではないので、後から『こんなことどこにも書いてなかった』というクレームは突き返されてしまう。
基本、こういうやり口を講じる手合いから物を購入しない方がいいのだが…悩み抜いた末、オルトは購入を決意した。
なぜなら、記されていた内容が、『多少の個体差がある』だったからである。
あれだけ動けるスペックを有しているのなら、多少であれば性能の落差にも目を瞑れるだろう。…そう考えての判断だった。
先方の定義する多少とは、どの程度を指すのか判然としないところが不安だが…
「毎度あり!可愛がってやってくれよ!」
「よしっ、家に帰ったら早速試運転だぞ、エミ」
「うぅーん、嫌な予感がするなぁ」
手乗り武者(赤)を手に入れたオルトは、まさに新しいおもちゃを手に入れた子どものような高揚感に包まれていた。
もしかしたら、これまで書物のみを漁って身につけた武術や体術に、新たな境地を見出せるかもしれない。そんなことすら考えてしまうほどに。
一方、そうして目を輝かせる兄の隣を歩くエミリは、苦笑いで頬を掻いていた。
どちらの判断が正しかったのかは、明日以降に明らかとなる。それは今、この場では語るまい。
「おっと、そろそろ時間か」
「そうだね」
落ち着きを取り戻したオルトは、街路に設置されたマナ時計を見て、少し残念そうに肩を落とす。
エミリも同じ気持ちなのか、それまで溌剌としていた声から少しばかり精彩が失われていた。
だが、二人にとってみれば、これはあくまで前座。ここにきた本当の目的は飲み食いするためではないのだ。
「さて、エミは楽隊やるんだったよな」
「やるよー。格好良く奏でるからしっかり見ててよね」
「もちろん目に焼き付けさせてもらうとも。しかしマナを奏でるなんて芸当、よくできるよなぁ」
そう。エミリは『楽隊』の一員としての役目を負うが故に、この式典に参加するのだ。
さて、楽隊とは何かを説明するにはまず、エミリ・アイレスの所属から明らかにせねばならない。
―――エミリが通う魔術学校は、数あるオストラント内の学舎でも五本の指に入る名門である。
彼女はその中でも優秀な成績を納めており、今回の凱旋式において楽隊の派遣先に選ばれた学校側から指名を受け、彼女は同様に優秀な他十名の生徒とともに代表でマナを奏でることとなったのだ。
マナを奏でる、という行為は非常に繊細な技術が必要であり、魔術とはまた違った感覚が要される。優秀な魔術師でも満足に奏でられる者は限られるほどだ。
ここまで語れば大方察しがつくだろうが、エミリはオルトと違い、高い魔術の素養を持っている。しかも魔術だけでなく、一般教養の成績も高い。
魔術は下の下、その他の成績は中の下ほどであったオルトからすれば、兄として立つ瀬がないのだが。
「じゃ、俺は武警隊の仕事があるから。ここでな」
「うん。気をつけてね、おにぃ」
「エミもな」
とはいえ、オルトはこと対人戦であれば無類の強さを発揮する。
こういった場で発生しうる暴漢などへの対応に当てれば、マナ抵抗と相まって大きな活躍が見込めるはず。現役魔術師たちと異なり、騒ぎと被疑者側への危害を最小限に抑えられるのだから。
…と、我らがプルミエールは判断したのだろう。オルトは精鋭の魔術師たちに混ざって、この式典にて凱旋ルートの警護を担当することになっていた。
そう。驚くべきことに新設された武警隊の監督役はプルミエールであるソニアなのだ。これがまた、エミリの不安を煽っている原因でもあるのだが。
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