第3話 契約者は管を巻く。

 酒をオルトから注がれたレイモンは、礼を言いつつ早速ジョッキを持とうとするが、先に舌が塩気を欲したため、手元に残った料理はないか目を向ける。

 視界に映るのは、白い皿の底ばかりだった。


「あれま、ツマミが切れた。おうい店員さーん!」


 酒のアテが切れたことを察したレイモンが、階下で走り回る店員を呼ぶ。

 酒場は二階まで客席スペースが確保されており、オルトとレイモンがいるのは二階だ。中は吹き抜け構造となっているため、階上からでも階下の店員を呼び止めることができる。

 ただ、大半の客がひしめいている一階にサービス系統が集中してしまっているため、二階をわざわざ選ぶ旨みは少ない。見れば、二階に座っている客は二人を含めてもまばらだ。

 これらを承知している二人が、尚も二階を選んだ理由。それは、単に一階全体を包む祝杯ムードを嫌厭したからだ。


「お待たせしました。ご注文を承りますー」


 今日が忙しくなることを想定し、あらかじめ店員の数を増やしていたのか、ひっきりなしに一階で注文が飛び交っているにも関わらず、まもなく茶髪の年若い女性店員が二人のテーブルまでやってきた。

 それに感心しつつも、通い慣れた両者はメニュー表を見ることなく欲しい料理名を口にしていく。肴がなければ宴ははじまらないのだから。


「俺はドリル貝の刺身とアミ羊の香草焼きで」


「んじゃ俺はバイ鳥の辛味揚げ大盛りで」


「三品ですね。畏まりまし―――あれ?」


 レイモン、オルトの順番で注文する料理名を口にする。

 そうして両者から注文を受けた茶髪の女性店員は手元の紙片にメモを取った後、厨房へ向かおうと足を動かしかけるが、ふと違和感を覚え、何故かレイモンの顔をじっと注視し始めた。

 女性の視線を受けたレイモンは、表面上は平静を装いつつも、若干顔の向きを横へ逸らす。


「貴方は、もしかして今日『七等星』の席についたジュヴァリエ、『紫電』のレイモン・デカルト様、ですか?」


「実はそう―――ンぐッ!ひ、人違いだ。彼なら今頃、お城で上等なお酒とドレスの女に囲まれているだろうよ」


 大層な肩書きを並べられ、むくむくと自尊心を刺激されたレイモンは、危うく実はそうなんですと言いかけるが、テーブルの下でオルトに脛を蹴られ、すぐさま軌道修正する。

 一方、レイモンから遠まわしに『ソイツは上流階級の人間』発言を聞いた茶髪の女性店員は、少し悲しげに目を伏せた。


「そ、そうですよね。すみません。…はぁ、私みたいな普通の女じゃ、やっぱりチャンスなんてないか」


「そんなことはないぞぉ!」


「ぇえっ?!」


 レイモン当人としては到底聞き流せる内容ではなかったらしく、半ば反射的に否やを唱えてしまう。これには女性店員も予想外で素っ頓狂な声をあげた。

 しかし、ここで自身の正体を明かせば騒ぎになるのは目に見えている。かといって本人ではない者が知ったような口でフォローをするのも変な話だ。

 悩んだ彼は、何とか当たり障りのないコメントを脳内で組み立てようと必死になる。


「ああーいや!何というかほら、あれだ!彼はきっとそういう見方で女性の価値を決めたりはしないと思うなぁって!」


「そ、そうなんですか?あれ、もしかしてレイモン様と親交のある方だったり?」


「えぇーっと、実はそんな感じ?かな?」


 親交があるも何も本人そのものなのだが、あくまでもシラを切り通そうと虚言を重ねるレイモン。

 しかし、これを聞いた茶髪の女性店員は先程の悲しげな雰囲気から一転、目を星のように輝かせてレイモンに詰め寄った。


「凄い!シュヴァリエ様とお知り合いだなんて!ということはアストラルでも上位職のお方なんですね!もしかして師団メンバーとかだったりして…あっ、握手してくれませんか!」


「ハハハ、マァソレホドデモナイヨ」


 見る間に深みにハマっていくレイモン。当人は茶髪の女性店員の向ける淀みのない羨望の眼差しにタジタジとなっている。


 しかし、よく考えてみてほしい。いくら式典の最中は正装していたとはいえ、ここにいる当人とを見分けられないのは些か妙だろう。

 顔を隠しているわけでもなし、式典の時と現在のレイモンの両方を重ね合わせれば、よほど鈍感な者でもない限り、気づくことはできるはずだ。


 実のところ、その違和感を抱くのは正解で、レイモンは他者が自身の姿を見るときに若干の認識をずらす魔術を発動している。女性店員が気づかないのも、これが原因だ。

 こういったアシスト、デバフなどの魔術はマナの属性関係なく、共通の詠唱を用いれば、あとは術者の技量次第で同様の効果を付与することができる。


「あっ、そろそろ戻らないと。…あの、またお店に来てくださいね!その時にお話色々聞かせてください!」


 そう言うと、茶髪の女性店員はレイモンに向かって浅くお辞儀した後、白生地のエプロンを翻しながらテーブルを離れ、階下へと小走りに消えていってしまった。

 正体がバレずに済んだレイモンは、どこか安心したような、しかし残念でもあるような珍妙な表情を見せつつ、塩気が先に欲しかったことなどすっかり忘れ、泡の消えたグラスの酒を喉に流し込む。


「うん。やっぱ、嘘はよくねぇな」


「当たり前だろ」


 反省の意を見せたレイモンだったが、バッサリとオルトにぶった切られる。

 レイモンとて、シュヴァリエになる前からチヤホヤされていたわけではない。他人から憧憬の感情をぶつけられることに慣れていないのだ。

 故に、こういった事態への対処がスマートにできず、醜態を晒すことになってしまった。


「ゼン、俺だって男だ。女の子にチヤホヤされたいと思うことはある。だからな、その目をやめてくれないか」


「ああ知ってるとも。女の子にモテたいって言ってたもんな。今なら選り取りみどりだぞ良かったな」


「待ってくれ、大丈夫だから!シュヴァリエの立場を利用してどうこうなんてこれっぽっちも考えてないから!」


 レイモンの弁明を聞いても、オルトは疑いの目を止めない。

 彼のことを一番よく分かっているのは、オルト・ハイゼンを置いて他にはいないのだから。

 現在、オルトの脳内では過去の(主に女性関係に関する)レイモンの発言がダイジェスト形式で流れており、それらの内容はとても『これっぽっちも考えていない』などと言えたものではなかった。

 そして、オルトと同じく回顧を終えたらしいレイモンは、観念したように天を仰いだ。


「すんません。割とガッツリ妄想したりしてました…」


「だろ?」


「だって!あの子結構可愛かったじゃん!お胸はほどよい大きさのお椀型で、お尻もいい感じにお肉がついてて、小走りの時にスカートから覗いた太ももが最高だったじゃないか!」


 本人がここにいれば羞恥のあまり頬に張り手を受けていただろう文言を捲し立てるレイモン。彼の無駄に凄いところは、こういった身体的特徴を勘付かせずに目視で余さず拾えるところだ。

 対するオルトは、残り一個の少し冷めてしまった鶏肉を咀嚼しながら適当に相槌を打つ。


「おおそうか、じゃあ『シュヴァリエのレイモンです。おっぱい触らせてください』って言ってこい。多分OK貰えるぞ」


「マジか!」


 レイモンは卓上のジョッキをひっくり返さんばかりの勢いで前のめりになり、オルトに詰め寄った。完全に本気にしている。

 オルトは赤らんだその顔を鷲付み、鬱陶しげに押し退けながら、ほぼ十割方冗談な発言を間に受けた友人に対し、呆れ返ったようにため息を吐いた。


「バカか。んなことやってみろ。俺が武警隊隊長の名の下、お前を現行犯でしょっぴいてやる」


「ゼンンン!友人を嵌めるとはどういう了見だぁ!俺の恋路を応援してくれよぉぉぉ!」


「いまテメェがスタートラインに立とうとしてんのは恋路でもなんでもねぇわ!ゴールテープ切ったらそこは留置所だぞ!ってか本命はどうした本命は!」


 こう見えて受け身のレイモンは、女性との関わり合いに乏しい。

 そのくせ高望みするタチなので、今の今までまともな交際経験が皆無な状況である。

 それでも、きっといつか来る運命の出会いが、己にとっての理想と引き合わせてくれるだろうと、そんなチェリーボーイ全開な妄想に取り憑かれているのだ。

 

 ただ、そんな彼をこき下ろせるほど、オルトも正常な恋愛観を持っているかと言うと、残念ながらそうではないのだが。


「ああそうだ!うん、やっぱり俺の理想は彼女だな!」


「はぁ…はいはい。シュヴァリエNo.2の彼女ね。もう浮気すんなよ」


「う、浮気ちゃうわ!ただちょっと…個人的な感想を述べたまでだし!」


 レイモンの言う彼女とは、シュヴァリエの中でも実力派の年若い女性だ。

 他者を寄せ付けない冷然とした態度と、徹底して表情を変えない鉄面皮ぶりから、その強さも相まってプルミエールからですら一目置かれる存在である。

 そんな排他的であるにもかかわらずレイモンを惹きつけて止まないのは、伝説で語られる麗人、エルフの生まれ変わりだとすら一部で噂される、そのビジュアルだ。


「寡黙なのがまたいい!そして徹底的に他人を拒絶するのもgood!しかも息を呑むような抜群の容姿ときた!プレミア感マシマシって感じだ!」


「ほー、で?そんなプレミア感はお前のするアプローチじゃプラスに働くのか?」


「ハハッ、正に難攻不落って感じだったぜ!」


 皿の端に残ったツマミの切れ端を口に放りながら問いかけたオルトに対し、レイモンは実にイイ笑顔でサムズアップして見せる。その目尻に輝くものが見えるのは錯覚だろうか。


 オルトはどんなアプローチをしてきたのか興味本位で聞いてみたところ、それとなく彼女の行動範囲を歩き回ってみたり、置き手紙やプレゼントを頻繁に試みたりなど、一歩間違えれば迷惑行為として通報されかねない内容がレイモンの口から飛び出してきた。

 端的に言ってしまえば、ただの変質者である。


「カル、お前そのうち牢屋の中にぶち込まれて臭いメシ喰うハメになるぞ」


「だって仕方ないだろ!?俺だって最初はにこやかな挨拶から始めたんだ!でも完全無視でよぉ…!」


「つまりなんだ。気を引くためには、こういう手段を使うしかなかったと?」


「ああそうさ!視線さえ向けられないなんて悔しいじゃないか!仕事仲間なんだし、もう少し好意的なトコ見せてくれたっていいだろうに!」


 なるほど、こうして自身の行いを正当化した変質者が生まれるのか、とオルトはジョッキグラスを傾けながら他人事のように思う。

 一方のレイモンは話すうちに嫌な過去を思い出してしまったか、もろとも胃に流し込む勢いで7分入ったジョッキグラスを一息に呷り、空にしていた。


 さて、レイモンの語るシュヴァリエのNo.2と呼ばれる女性だが、彼女に対し並ならぬ感情を抱く者は、アストラル内部・外部を問わず多く存在する。

 彼としても、ライバルが多数いることからくる焦りもあるのだろう。

 

 しかし、焦る必要などどこにもないのだ。今の彼女にとって、彼らは皆等しく路傍の石ころにしか映っていないのだから。

 オルトは過去に数度彼女を見かけているため、それを少しばかり察知している。

 その瞳は、浮ついた感情など一分も感じさせない、氷のように冷え切った色をしていた。


「カル、いいことを教えてやろう」


「むぐむぐ、なんだよ。慰めならいらんぞ」


 オルトからの提案を受けるも、つい今しがた卓上に並べられた料理を咀嚼しながら、不機嫌そうに半眼を作るレイモン。

 その料理は先ほど注文した品々なのだが、配膳してきたのは男性店員で、受注をしていた茶髪の女性店員ではなかった。大方、彼はそれが気に入らなかったのだろう。

 やれやれと、フォークを使って熱々の鶏肉を口元へ運びながら、オルトは言葉を続けた。


「彼女はおそらく実力主義だ。気にかけて欲しいんなら、追い縋って見せるのが有効打なんじゃないか?」


「実力…あっ、そういえば『一等星』の居る南方極地に行かせてくれって、何度もプルミエールに具申してる、みたいな話を聞いた気が…」


「ほれ見ろ、一番を意識してるじゃないか。この分なら、お前も三つ目ぐらいに上がれば何か進展ありそうだろ?」


「お、おお…」


 割と適当なことを言ったオルトだったが、レイモンが予想以上に上手く別の事実と結びつけてくれたおかげで、現実味を帯びたようだ。

 しかし、シュヴァリエの昇格は難しい。他のシュヴァリエ二名を含むアストラル内部からの一定数以上の支持者と、確かな功績の双方が必要であり、その道のりは長く険しいものとなる。

 その事実を裏付けるように、歴代のシュヴァリエの中でも、就任から解任までの間で一つの昇格もできなかった者は複数例みられる。

 それを知ってか知らずか…おそらくは都合よく忘れているのだろうが、レイモンは酒の力も手伝い、瞳にみなぎる闘志を燃やし始めた。


「士官学校時代じゃ不可能だと思ってたシュヴァリエになれたんだ。なら、俺は不可能を可能にする男ってことだ」


「そうだな。この調子ならプルミエールにもなれたりするんじゃないのか」


「わっはっは!そうだな!ほれゼン!未来のプルミエールさまだぞ!サインとか欲しくないのかね!」


 突拍子もなく立ち上がり、片足を席の上に乗せつつレイモンが差し出したのは、サイン用の色紙でもなんでもなく、空のジョッキだった。

 これだから、この男とつるむのがやめられないのだ。自分の抱える悩みがちっぽけなものだと思わせてくれる。

 オルトは笑いつつ、酒瓶を傾けてレイモンの持つジョッキに酒を注ぐ。


「カルがプルミエールになったら、直接貰いに行くさ」


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