メインエピソード -女神の祝福と制約-

第2話 契約者は祝杯を挙げられない。

 軍政都市オストラント。


 ここはその名の通り、軍が政治の実権を握る都市だ。

 軍、と聞くと、圧政や弾圧などを行っている物騒なイメージが先行しがちだが、この世界において軍が中央政府を担うことは、民衆にとって圧倒的な利益を生む結果となっていた。


 争いは尽きないが、であるからこそ都市は栄え、そこで暮らす人々の大半は何一つ不自由のない生活を享受している。道往く民の数人に今の暮らしが満足かを聞けば、九割方肯定を返すであろう。

 ―――では、国に富みを、民衆に喜びをもたらす争いとは何か。


 それは、記録がある限りではおよそ数百年ほど前から続く、『魔』と呼ばれる異形との戦いである。


 戦を知る者が指揮を執り、政治を行うからこそ、外敵に対する策に余念がない。

 この世界の国は、人間同士の小競り合いや、財政事情の破綻で滅ぶことより、魔に攻め込まれて崩壊する事例のほうが圧倒的に多いのだ。

 頑として王政を続けた国々の殆どは、その誤りを証明するかのように悉く滅ぼされていったのだから。


 そうして、世界に存続する大国と呼べる土地は、ここ軍政都市オストラントを含む三国のみとなってしまった。

 ご察しの通り、多少の違いはあれど、いずれも同様に軍事組織が政権を握っている状態だ。


 中でも、オストラントの発展は目覚ましいものがあった。


 十年前にあった今代のプルミエール主導の大胆な人員転換以降の戦では全戦全勝。

 十二年前から今日まで、一度も都市から半径10km圏内に魔を侵入させたことはない。


 つい昨日も、大規模な討伐作戦をやはり完勝で締めくくり、まさに盤石といっていい体制を国内外に示しつつあった。


 ―――だというのに、その都市に住む一市民である青年、オルト・ハイゼンは祝杯ムードの酒場で一人陰鬱な空気を醸し出していた。


「はぁぁぁぁぁぁぁ…」


「おいおい、ゼン。なんつーシケた顔で溜息吐きやがる。酒が不味くなるだろ?」


 オルトに顰め面で苦言を申し立てたのは、十年来の友であるレイモン・デカルトだ。対面の席に座りつつ、普段はまず口にしない高級魚のソテーを頬張っている。

 彼はそれを飲みこみつつ、酒で口内に残った油分を流し終わってから、やれやれとでも言いたげなジェスチャーを見せた。


「この酒場でそんな面してんのはお前くらいだぜ?長いこと事情を聞いてきた身からすりゃあ気持ちは分からなくもないが、そのうち雰囲気壊すなって酒飲みに絡まれるぞ」


「ケッ…いいよなぁカル、お前はさ。念願のシュヴァリエになれたんだから」


「おう、まぁな。俺としちゃ、ようやくってところだが」


 騎士シュヴァリエ。それは軍政都市オストラントでは誰しもが目指す憧れの職業だ。

 有力な魔術師の中でも、さらに頭一つ抜けた人員のみで構成されるメンバーであり、国内最高権力者であるプルミエールの補佐。

 そして皆が羨む、戦場の花形だ。

 魔との戦で挙げた戦功こそが、オストラントで得られる最高の栄誉ということを鑑みれば、シュヴァリエの位階の高さは推して知るべしと言えるだろう。


「ここのところ、俺の扱える雷系の魔術が型にハマる戦場ばかりだったからな。最近は星の巡りが良いのかもしれん」


「はん…星の巡り、ねぇ?」


「こいつ鼻で笑いよった」


 彼…レイモン・デカルトはまさに大規模討伐の隊に配属され、前線で戦闘を繰り広げてきた腕利きの魔術師だ。

 さて、魔術師とは何か。その説明をするにはまず、マナというものについて知る必要がある。


 マナはこの世の大気中であればどこにでも存在する、自然界のあらゆる物質や現象の素となるエネルギーだ。この世界で生きている人間であれば、すべからく知っているものである。

 このマナには大きく分けて五つの種類があり、それぞれ火・水・風・土・雷という属性で呼称される。いずれのマナも単体では微弱すぎて全く機能しない。


 一個のマナでは何も為せないが、一点に大量に集約された時こそ真価を発揮する。火のマナであれば炎を生み、水のマナであれば水を生み、風のマナであれば風を生み…というように、マナは寄り集まると様々な現象へと姿を変えるのだ。

 これらの現象は大半が自然の法則に基づいて適切に運用され、この世界に数多の資源を生み出している。

 つまり、マナとは自然のみが扱えるエネルギー物質なのである。


 その理法を覆すのが、魔術師だ。


 魔術師とは大気中のマナを扱い、人為的に自然現象を引き起こすことのできる者の総称である。また、そうして人が起こした現象を魔術と呼ぶ。

 しかし、基本的に大元となる五つの属性を複数扱えるものは存在しない。人間の身体が知覚できるのは、先天的に定められた一個の属性のみなのだ。

 それ以外はあると理解できても、水に融けた砂糖のように、濃いか薄いか程度の判別しかつかない。

 仮に火の魔術に適正があるとすれば、術者はそれに応じたマナを体内へ取り込み、術者自身が詠唱を介して出力する。他の属性の魔術でも、結果が異なるだけで大体の工程としては同じだ。


 そして、何を隠そうオルト・ハイゼンは、実に珍しい『マナ抵抗』という特性持ちで、外部からマナを非常に取り込みにくい。


 この体質自体は以前から認知されていたが、彼のような悪性物質に反応する免疫作用が如く徹底的に弾いてしまう例は類を見ない。

 魔術は術者が扱える属性のマナを選択的に体内へ取り込み、それを己が持つイメージで成形し、整え、強化を施す。

 こうして出来上がった魔術を放出すれば、そのまま敵への攻撃となるし、自身の適切な部位へ浸透させることで身体強化が可能となる。


 つまるところ魔術とは、マナを体内に取り込むところから全てが始まる。

 逆説的に言えば、マナを取り込めなければ何も始まらない

 結果、彼は魔術の才能が限りなくゼロ、ということと相成ってしまった。


「ま、まぁお前だってなぁ!?特例でアストラルに配属されてるじゃないか!今日び魔法が使えなきゃ門前払いされるのがあたりまえだってのにさ!」


 そうなのだ。オルト・ハイゼンは有能な魔術師の巣窟である『アストラル』に属している。

 このアストラルこそが、オストラント内での軍に相当するのだ。

 そんな魔術師であることが大前提な国防の要に就いた、たった一人の例外こそ、オルト・ハイゼンだ。

 例外などと表現されれば格好はつくが、本人はさらさら光栄などとは思っていない。


「珍しいから適当な職で縛って手元に置いておきたいだけだろ。下位の魔一匹も満足に倒せねぇのにアストラルに入れる理由なんてそれくらいしか思いつかん」


「でもアストラル内じゃ重宝されてるぜ?武警隊隊長殿」


「やめてくれ。俺一人しかいねぇのに隊もクソもないだろ」


 この国のトップであるプルミエールの命により、実質オルトのためだけに設立された、武警隊と呼ばれるアストラル直轄の組織は、主に軍政都市オストラント内の治安を守る役割を担っている。

 無論、武警隊とは別に保安の任に就く組織はあるが、民営のため実力が不足している部分は否めない。

 自己流の鍛錬で発現させたり、アストラルから降ってきたなどの理由で、簡易的な魔術を扱える市民もいるため、彼らが暴徒化したり犯罪を働いた際、それを阻止できる者は相応の心得がなければ返り討ちにあってしまう。


 かといって対魔戦の要であるアストラルの人員を割くのも得策ではない。


 アストラルに入った魔術師たちは、例外なく魔と戦うことでオストラントを守るという志と誇りに溢れている。

 そんな彼等を民営組織がやっている仕事と同等の職に就かせてしまえば、計り知れない落胆を受けることだろう。

 国内の秩序を守ることは、言うまでもなく大切なことだが、目に見える異形の脅威がある以上、それを些事と捉えてしまうのも無理はないことだ。


「そうネガティブになるなって。お前くらいだぜ?それなりの魔術を使える連中すら無傷で組み伏せられるのは。保安じゃ大概返り討ちだし、アストラルの人間じゃ触発されて病院送りにしちまう」


「…」


 そんなレイモンの励ましを、しかし仏頂面で受けるオルト。

 オルトは魔術ができないからこそ、魔術以外で何かが為せないかと考えてきた。


 その結果、行き着いた先が武術や体術だ。


 マナを要する事なく、相手に攻撃を浴びせるとあらば、これ以外に手はない。

 だが、技を磨けば磨くほど、知恵をその身に宿せば宿すほど、魔との戦いには武術体術など意味を為さない現実を理解させられた。


「お前は軍人らしい仕事をしてるから分からんのだろうが、俺みたいなアストラルの看板背負いつつも、魔の討伐をしていない輩がどんな目で見られるか分かるか?」


「それは…」


「ビビッて戦場から逃げ出した臆病者、市民をいびるしか能のない役立たず、だよ」


 アストラルの役目が魔の討伐に集約されているからこそ、その題目から外れた行動をする者がいれば否が応でも悪目立ちするというもの。

 ましてや、それが彼らの支持に直結しているのであれば尚更であろう。


「勿論、俺を知る全員が全員というわけじゃないが、そう思う奴も確かにいる。ただまぁ、役立たずなのは確かかもな」


「ば、馬鹿いえ、役立たずなはずあるか!お前は街の平和を―――」


「魔を討伐することに関しては、まるきり役立たずだろ?」


 そう。いくら身のこなしが優れようと、武や剣の練度を上げようと、魔術がなければ少し硬い程度の外殻を持つ敵や、最低レベルの防御魔術を扱える敵にすら勝てない。

 当然のことだ。ただの拳や剣で岩は割れないのだから。

 故に魔と殺し合う戦場では無力。彼の持つ力は、非力な人間程度にしか通用しない。


「はぁ…すまん。めでたい日に下らない愚痴聞かせたな。


「いや、いいさ。普段じゃ吐き出せる相手なんていないだろ?」


「そりゃそうだが…でも良かったのか?だったら耳障りのいい言葉を沢山聞けただろうに」


 レイモンは今日の朝にアストラルの本所で受勲式を終え、シュヴァリエの証たる義名ドゥノームをプルミエールより直々に頂いている。

 その後も軍の内部関係者や王族を交えたパーティーが当日一杯まで開かれるため、本来であればこの時間も、彼は会場で同じように武功を上げたアストラルの人間や、来賓のお偉方と酒を酌み交わしているはずなのだ。

 そちらの方がよほど有意義で、貴重な場であるはずだというのに。

 オルトはそう言ってみたが、レイモンは肩を竦めて口角を下げた。


「気にすんな。あんな堅っ苦しいところで値が張るだけのシャンパンをちびちび啜るより、気心の知れた旧友と行きつけの酒場で安酒呷る方が万倍もアガるってもんよ。それにな―――」


「?それに、なんだ」


 オルトの催促に、どこか気恥ずかしそうな表情で頬を掻くレイモン。


「まぁ、なんだ。お前には真っ先に言わなきゃならねぇと思ってたんだ。俺とお前がどんな職や任に就こうと、この関係は絶対に変わらないってな」


「―――――」


 オルトが言葉を失ったのは、自省からだ。

 彼はもとより、マナ抵抗という特殊な体質が災いして周囲と上手くなじめず、他者と壁を作りやすいきらいがあった。

 オルトの持つこの性質をレイモンは熟知している。

 紆余曲折ありながらも、これまで大体は同じ目線の位置に立っていた己が、オルトの求めていた高さまで一息に上がってしまったのだから、精神的なショックは少なからず受けているだろう…そうレイモンは考えた。

 同時に、だからこそ、ここで互いの関係の再確認は大きな意味を為すだろうとも。


「あーあ、俺ってみっともねぇな。ホント」


 それら全てを理解したオルトは、愚痴を吐きつつもどこか晴れやかな表情だった。

 レイモンに対し、まさに遠い存在として勝手に遠慮しつつあったオルトにとって、この言葉は差し伸べられた救いの手にも思えた。

 アストラルの花形であるシュヴァリエが、アストラルの落ちこぼれとつるんでいれば、要らぬ噂話が立つことは避けられない。だが、レイモンはそのようなことを歯牙にも掛けないのだろう。

 言わせておけ、とニヒルな笑みを浮かべる彼を容易に想像できたオルトは、くっくと喉を鳴らす。


「今は飲んどけ。そのうちいいことあるさ」


「そうだな。信じてりゃ、またどっかの気の良い神様が恵んでくれるかもしれねぇ」


「神?…ああ、あのやたら詠唱の最後あたりに出てくるやつか」


 レイモンの口振りは、言われるまですっかりと存在を忘れていたかのように聞こえる。

 実際、まさしくその通りで、オストラントを含めた世界人口の大半は、神を崇拝、信仰していないのだ。

 残された古い文献や伝聞などから、千年ほど前に存在が確認されており、その力はこちらの世界でも圧倒的であったことは伺えるものの、それらは人々の信仰に結びついていない。

 何故なら、そのような不確かな存在より、現代では身近に力を与えてくれるものがあるからだ。

 では、その力とは何か?


「神なんてとうの昔に消えちまったものより、マナを信じ敬いたまえよ」


 そう。マナだ。

 世の生物に恵みをもたらす自然現象の源であり、魔術という素晴らしい御業を人にもたらした偉大なる要素。

 この世界においては、レイモンの口にしたマナに対する信仰と敬愛が、大半の人間の精神的な拠り所なのだ。


「マナ、ねぇ…俺にとっちゃもう裏切り者に等しいんだがな」


「まぁ、気持ちは分からんでもないが、もう一度信じてみてもいいんじゃないのか?聞いた話だと、それまでからっきしだった奴が、毎日一時間以上祈ってたら魔術を使えるようになった、って例もあるらしいしな」


「眉唾くせぇ」


 怪しい広告にでも載ってそうな謳い文句をレイモンから聞いたオルトは、顰め面を浮かべつつジョッキグラスを傾ける。

 言ったレイモン当人も、オルトの反応を見て引用する話題としてはよくないと思ったか、「確かにな」と反省の色を滲ませ頭を掻いた。

 と、言葉や話題選びに難儀することはあれ、レイモンとしては本心からオルトに対し報われて欲しいと思っている。

 つまるところ、彼なりの不器用な励ましなのだ。

 レイモンは気を取り直すようにつまみと酒を胃に落とし、空のジョッキの底でテーブルを打ちつつ快活に笑った。


「大丈夫だ!いつかお前も、魔術をぶちかませる日が来るさ」


「想像もできないな。天変地異が起きて、世界の法則がひっくり返りでもしないと無理だろ」


「いやぁ分からないぞ?明日にでもソイツがドカンと一発起きるかもしれねぇ」


 冗談を言い合いつつ酒瓶を取ったオルトは、己とレイモンのグラスに黄金色の液体を注ぐ。丁度グラス2杯分で空になったため、そのまま空瓶を机の下へ。

 二人の足元に置かれたケースに差さる空き瓶は既に10に届きそうなほどだ。冒頭でオルトが焼け気味に呷ったこともあり、宴が始まってから一時間ほどでこの本数となっている。

 それでも、めっぽう酒に強い二人はペースを緩めない。ダース単位で頼んでおいた別のケースに置かれた酒のストックから、オルトは二本まとめて引ったくって卓上へ移動させた。


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