女神さま、契約破棄します!

@at-water

プロローグ -未だ見えぬ全貌-

第1話 契約成立

 やぁ。初めまして。


 初対面から急にフランクだな、と思う方もいらっしゃるだろうが、もはやこんなノリじゃないとやってられないので、そこは多めに見て欲しい。

 だって、ここは360度どこに目を向けても驚くべき白さ!な気の滅入る空間だからだ。

 目視するものすべてが単色で構成されているからか、奥行きも高さもわからない。

 ついでに浮いているような感覚があるため、もしかしたら深さもあるのかもしれない。

 しかし、今の俺が見て感じている上下左右は、この空間で言う上下左右なのだろうか。

 平衡感覚が狂い、それすらもわからなくなってくる。誰か方位磁石貸してくれ。


 とまぁ、こんなトンデモ空間で時がくるまで黙っていると気が触れてしまいそうだったので、俺はこの場を見ているであろう『誰か』がいることを信じ、こんな風に駄弁ることにしたのだ。

 おい、今誰か既に気狂いだろとか言わなかったか?


 まぁいい。では、何から話そうか。

 ああ、まずは最低限の礼儀として自己紹介からしておこうかな。


 俺の名前は…名前は…ええと、ヤベェ。なんだっけか。


 いやいやちょっと待ってくれ。さすがに順番がおかしすぎやしないか。

 了承はしているから記憶を消すのはわかっちゃいたが、何も身の上を語る上で欠かせない名前から抹消ってそりゃないだろ。

 あぁーだめだ。出身とか家族の名前とかも全く思い出せねぇ。あの女神、長期記憶から消していってやがるのか?


 仕方ない。わかる範囲で語らせてもらおう。


 では、すっぱり忘れた名前は飛ばすとして。

 俺は日本在住の普通の大学生だ。年は…確か21だった気がする。

 まぁどこにでもいる、特に明確な目的もなく、その日その日を不自由なく生きられればそれでいい、みたいな考えの自堕落青年だった。


 こんな何の捻りも面白味もないような輩が、なぜ白のペンキを満遍なくぶちまけたような異空間という、普通とはかけ離れた状況下にその身を置いているのか。

 詳細を語るのもやぶさかではないが、あんまり冗長すぎると『いいから3行で話せ』と言われかねないので、こうなった理由の核心だけを伝えておくことにする。


 俺は既に死んでいる。トラックに轢かれて即死したのだ。


 いや、言わないでくれ。正直、俺もどうかと思っている。

 転生者の通過儀礼とでも言われるそれは、神に誓って狙ったものではない。

 普通に死ぬとばかり思っていたから、こんな状況になってしまって心底戸惑っているのが本音だ。


 とはいえ、やはり望んだ死ではなかったので、このまま消えてしまうのは嫌だった。

 次があるとして、再び人間になれるとは限らないし、フジツボに生まれ変わる可能性だってあるのだ。


 …うん、ちょっとなってみた想像したけど絶対嫌だな。フジツボくんには悪いけど。


 なら、俺が俺であるまま転生できるという提案を受けたのであれば、一も二もなく飛びつくというもの。


 そう。『転生』。『転生』だ。

 いいね、とてもいい響きだ。夢と希望を感じさせる。


 きっと生まれ変わった先では凄まじい能力を振るい、只人をことごとく薙ぎ倒すことができるのだろう。転生者にはつきものの、いわゆるチート能力というやつだ。


 死ぬ前に生きた世界ではどう足掻こうと不可能だったことであり、創作物語の中の人物でしか為せないと諦めていたこと。それが現実のものとなる。


 そうして俄かに胸が熱くなりかけていた俺を前に、女神は冷水を浴びせるかの如く、こう付け足しやがったのだ。


『ゴメーン!実はミスっちゃって!転生後の記憶ないけど許してね!』


 それじゃ当事者的に転生とは思えないじゃないですかやだー。

 夢も希望もありはしなかった。結局はほぼ死んだのと変わらないだろ。ふざけんな。

 怒り心頭な俺はかっこよく神を相手に啖呵を切ってみたが、やっこさんはお気楽に笑うだけだった。とっても可愛かったので一瞬許しかけてしまった。


 ということで、俺は、俺であるという認識を持てぬまま次の生を歩むことになる。

 まぁ、仕方ない。創作物ほどうまくは行かないのが現実というものらしいし。


 え?怒り心頭だったんじゃなかったのかって?


 いやいや。常識的に考えて、神に人間が歯向かって勝てるとでも?

 だだをこねる子どもを見るような感じで一笑に伏すと、容赦無く転生の段取りをチチンプイプイしてやって帰って行きましたよ。

 それもそうだよね。歯向かうなんてキザな台詞回ししてるけど、実際にやってたことなんて腕ぐるぐる回したり足バタバタさせたり暴言吐いたりで、低レベルさ丸出しだもの。

 俺だってそんなアホの相手するくらいだったら、さっさとやること済ませて帰るわ。


 はぁ…ともかく。これで俺の運命は決まってしまったのだ。


 当然ながらこのような経験など皆無なので、どうなるか分からない。故に恐怖はある。

 それでも、女神が語ったことが真実であるのなら、記憶を失うだけで、俺はちゃんと次に進めるのだ。ここで消滅するわけじゃない。

 うん、今はそれでよしとしよう。

 恐怖するより、希望を見出さねば。ストレスで禿げそう。


 うお…今ごっそりと記憶抜け落ちたな。

 そろそろ潮時ってところかね。


 はぁ、次はもう少しマシな人生を送って、穏やかな最後を迎えてほしいなぁ。

 記憶を失うんだし、生まれる世界も違えば育つ過程で性格やら思考回路とかは変わってくると思うけど、本質はきっとこのままだろう。

 そうであれば、少し不安は残る。


 何せ、風に巻き上げられた枯れ葉を万札と勘違いして車道に飛び出し、トラックに轢かれてくたばるという、そんな死に芸をするのが俺だ。


 無双できればそれに越したことはないが、無双できないのであれば、せめて死とは縁遠いところで別のアプローチをし、ビッグになってもらいたいものだ。

 ビッグ…うぅーんビッグかぁ。


 ビッグになった俺、想像できねぇなぁ。





     ◆◆◆◆◆





 ここは、あらゆる生命が踏み入らなくなって久しい、とある朽ち果てた神殿。

 埃や砂は山積し、内装は経た時間の長さを物語るように激しく劣化している。


 そんな、長らく来客を迎えてこなかったはずの神殿内部に二人の人物がいた。


 二人は、少女と青年だった。


 ―――カラン、と。硬質な物体が落下し床を叩く音が反響する。

 それは、青年の手から滑り落ちた光輝く剣だった。

 その刃先を見ると、滴るほどべっとりと付着した大量の血で濡れている。

 埃の積もった地面に投げ出された剣は、それきり役目を終えたように空気へ解けて消えてしまった。


 青年は消失した己の武器になど目も向けず、座り込んだまま力なく俯いている。

 その目は、腕の中で横たわる美しい少女にのみ向けられていた。


 今しがた息を引き取った。血に塗れた少女に。


 その事実は、青年にとって受け入れ難いものだった。

 拒絶したかった。嘘だと叫んで目を逸らしたかった。

 それでも、目の前の残酷な事実は幻ではなく、変わらぬ結果としてそこにあった。


「これで!これで満足かッ?!なぁ!もしそうなら見せてくれよ!この子がどう世界にとっての悪なのか、見せてみろよぉっ!」


 青年は激昂した。

 己の拳が砕けるのも構わず、怒りに任せて叫びながら硬い石床を殴る。何度も。何度も。


 血液が散る。皮膚が裂け、骨が砕け、尚も地面を打つ青年は目も眩むような痛みを感じた。

 それでも、火薬庫に火をつけたかのような憤怒の猛火は止まらない。

 くべられた激情を糧に火焔は一層燃え上がり、全てを灰燼とするのも構わない勢いで青年の心中を焼く。

 彼は一面を煤原とすることで、いっそこの光景に何の感情も抱けなくなってしまいたかった。


 やがて喉が潰れ、訴えかける言葉を吐き出せなくなるまで、それは続いた。


 ようやく自傷行為を止めた青年の右手は、当然の如く目も当てられない有様となっていた。

 五指はひしゃげて根元からなくなり、折れた骨が肉を割いて手の甲から飛び出している。

 二度と使い物にならなくなっただろう右手は、しかし程なくして淡い光に包まれたかと思うと、出血が完全に止まった。


 それにとどまらず、光は失われた指の形を構成し、続けて曲がり、砕けた骨を修復し、裂けた皮膚と肉をつなぎ合わせていく。


 まるで、録画した映像に巻き戻しをかけたかのように、一瞬にして青年の右手は元の形を取り戻す。

 声を出しすぎて潰れた喉も、同様に光が集まり治癒された。


 奇跡。

 まさしく、そう表現できる光景だろう。

 速度も、修復の精度も人智を明らかに超えている。



「…教えてくれよ、クソっ…ごほっ!」



 だというのに、青年の表情は傷が治癒された事実を厭うように苦々しく歪む。

 そして、まだまともに動かないはずの喉を使い、無理やり先の問いかけを続けた。


 問いの答えは無論、ない。


 青年はギリリと奥歯を鳴らすと、まるで敗者のように汚れた地面に蹲り、弱々しく床を叩いた。


 青年は懺悔した。

 あの時の自身の判断を。


 青年は呪った。

 万能で絶大な、忌々しい己の力を。


 それはさる女神より賜った祝福。

 青年が望み、そして望んだ通りになったはずの、力だった。


 しかし、その力では民衆を守る正義は名乗れず。

 彼は地上のいずこかに生まれ落ちた悪意を、人類に敵と認識される前に刈り取る影法師であり。

 また、真にこの世を救済できる者が現れるまで、混沌とした演目を整頓し続ける舞台装置となった。


 それは制約だ。

 青年はこの制約を理解しているつもりだった。十全に紐解き、解していると認識しているはずだったのだ。

 だが、その判断はあまりにも浅はかであった。


 青年の役割―――影法師と、舞台装置―――それはつまり、真の正義の味方が到着するまでの時間稼ぎという呪われた制約を意味する。

 無銘の端役である彼の行いに賛辞は無く、報酬ももたらされない。

 そして、その功績は誰に語り継がれることさえなく闇に葬られるのだろう。


 彼はこの世において唯一無二の力と引き換えに、永遠の日陰者となることを選んだのだ。



 青年の名はオルト・ハイゼン。



 これは、女神の講じた陥穽から脱しようともがく、一人の人間の救いの無い物語である。


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